は、手に持った菓子を落としそうになりながら、渡殿を歩く。

 イタチはの様子に気をつけながら、隣を歩いた。





 炎一族邸は、寝殿造りになっている。

 寝殿を中心に東西北の対屋が建てられ、それぞれが渡殿で繋がっており、寝殿と北の対屋を宗主蒼雪と婿
の斎が、東の対屋を娘である東宮と許嫁のイタチが使っている。




 宗主一家は体調が悪くない限り、食事は寝殿でとる。



 そのために生活空間は、寝殿にあった。

 だが、一家の中で寝殿に赴かない麗人がいる。

 西の対屋に住む風雪御前である。





 彼女は前宗主の正妻で、現宗主蒼雪の実母。の祖母に当たる。




 前宗主は恋多き女性であまたの側室を侍らせ、庶子もたくさん作った。

 それでもたくさんの女性の中で高い地位を築けたのは、人柄と、彼女の身分だ。




 豪快で気が強く、それでいて酷く優しい彼女は、風雪宮家出身の女性だった。

 宗主の子女には、例外なく宮の称号が与えられる。

 多くの場合それは一代限りのもので、子孫が名乗ることはできない。




 宮の称号を継続して与えられるのはごく少数。



 彼女は宮の称号を許された数少ない宮家の一つの出身だった。

 身分の高い正妻は、多くの女性の中でも大切にされた。

 彼女は白炎使いである姫宮蒼雪を産み、その地位を確かなものにした。




 けれどおそらく、心労がたたったのだろう。




 彼女は前宗主が亡くなった頃から、体調を崩し、滅多に対屋から出てこなくなった。

 西の対屋は、清潔で柔らかな調度品で整えられている。

 夏色の几帳を、イタチは酷く穏やかな思いで見つめる。




 あれ程気が強く、剛胆な人なのに、これほどに穏やかな装いを好むのだ。





 そのギャップがイタチは好きで、彼女はそれを好むイタチを気に入っていた。

 廂に入って、は声を上げる。











「東宮、扇宮イタチ、参りました。」










 が少し緊張した面持ちで御簾の奥にいる麗人に届くように、大きな声を出す。



 扇宮とは、イタチがの許嫁として形式的に与えられた称号だ。

 ちなみに斎がもつ称号は蒼宮だ。









「嬉しや、孫宮がおいでなり。」











 高く、年の割に良く通る弾んだ声が応じる。












「こちへ、」












 御簾が上がり、綺麗な女性が現れる。





 蒼雪に似た柔らかな銀髪に、きりりと目尻の上がった青色の相貌。もうすぐ五十を数えるであろうに、頬は
淡く色づき、唇の紅は赤い。それがこれ以上ないほどに似合っている。

 清らかな美しさと言うよりも、匂い立つような艶やかさをもつ風雪御前は、孫の姿に柔らかに微笑んだ。










「おばぁさまっ、」










 が嬉しそうに風雪に駆け寄る。

 その際に持ってきた菓子を廂に忘れてしまったので、イタチは仕方なくそれを持ち上げた。











「ご無沙汰しておりました。」

「扇宮もしばし見ぬまに随分顔つきがかわり申した。」










 飛びつくを抱きしめながら、風雪はイタチにも笑いかける。




 初めて見たときから美しい人だが、彼女は今でも美しい。

 動けなくなった今でも、彼女は優しく、酷く純粋だ。



 そう言うところは、孫のに似ているかも知れない。










「予選、通過したと、皆から聞いた。」












 そっと、風雪はの頭を撫でる。

 はこくんと頷いた。











「本戦をおばぁさまも見に来る?わたし、がんばるよ。」











 迷い無く言えるのは、大きな成長だ。

 風雪は青色の瞳を細めて、孫を眩しそうに見つめた。










「まさか、東宮の晴れ舞台をこの目で拝める日が来たりとは、喜ばし。」










 涙をこぼしそうなほど嬉しそうに、彼女はに柔らかなまなざしを惜しげもなく注ぐ。










「そう、そなたに渡そうと思いしものあり、」












 そう言って、風雪は綺麗な螺鈿の箱を取り出す。

 手のひらほどのサイズのその箱の中には、綺麗な象眼が施された簪があった。



 金色の簪でこった蔦模様が細く、其れでいてしっかりと描かれている。



 蔦の先にはまるで木の実を示すような赤い宝石がついていた。

 そこからぶら下がる金の房飾りが、ちりりと擦れ合って柔らかい音を鳴らす。










「これ?簪?」

「然り。妾の婚礼に父が作りしものなり。」












 はじっと皺の刻まれた風雪の手にある簪を見つめる。

 イタチも近づいて、間近で見せて貰った。




 見事な作りの簪だ。風雪は元々高貴な宮家の出身者。

 彼女が嫁ぐ際のものというなれば、火の国でも一、二を争う細工師に頼んだものだろう。

 その風格は、十分あった。











「これを宮に献上つかまつろうぞ。」










 そっと、風雪はの紺色の長い髪に手を入れ、簪で束ねる。



 少し暗い夜空のようなの髪には、華やかな金色の簪がよく似合った。

 風が綺麗な庭を撫でていく。

 は自分の髪を撫でる祖母の手に、身をゆだねた。












( 髪を束ねるもの 人と人とを結わえるもの )