斎とイタチが炎一族邸に帰ってきたのは夜の10時過ぎだった。




「まじありえない。あいつらうざい。」




 自分の住まう寝殿に戻った斎は遠慮もなく荷物を放り出し、子供のように寝転がって手足をばたばた
させる。

 日頃なら流石に三十路の大人、注意の一つもするのだが、今回はイタチも何も言わなかった。

 の昇進延期を上層部は渋りに渋った。


 上忍全員が否を示しているのに、しつこい。

 斎が全員で多数決を提案し、結局の昇進は否決された。

 上層部としては一番能力の高いを早めに昇進させ、暗部か中隊長にしたかったらしい。

 狙いは見え見えなので、斎も上忍もみんなで粘ったわけだ。

 斎が他人に対してはっきりとした嫌悪感を示すことは少ないのだが今回は仕方が無いことと言えた。




「やってらんないよぉ。あの老いぼれども。」




 不満を隠す気もなく、斎は枕を抱きしめる。

 話し合いが長引いた上に、まだ斎には仕事があるのだ。

 迷惑この上ない。


 自来也がもうすぐ綱手を探すために出発するらしいのだが、彼女が見つかるまでは斎が代行をつとめ
なくてはいけない。

 それが斎が火影に就任しない代わりに上層部が出した、条件だ。

 さすがの斎も自分でその条件に持っていっただけに、サボるわけにもいかない。


 多忙極める師を手伝って、イタチも夕飯すら出来ず一〇時帰宅だ。

 自分が斎のことを思って勝手にしていることなので後悔もないし、本当に仕方が無いのだが、疲れも
マックスで、行儀が悪いとはわかっていながら大きな柱にもたれかかって足を投げ出し座り込んだ。

 は侍女の話では、夕刻はれぼったい目でナルトやサクラに送られて帰ってきたらしい。

 悩んでいるようだから話を聞いてやりたいが、なかなか斎もイタチも時間がとれない。



 はもう眠っているだろう。

 年の割に早く眠るの邪魔をしてはいけないから、今日はの住まう東対屋で眠らず、斎の住まう寝
殿で眠らせてもらおう。

 イタチがそう思っていると、御簾の向うの庇に人の気配を感じた。




?」




 イタチが気付くより早くに気がついた斎は、娘の姿に素早く立ち上がる。

 御簾の向うのがびくりと肩を震わせたのがわかった。

 入ろうか、入るまいか考えているようだ。




「入っておいで。」




 斎はが踵返す前に御簾を上げ、を中に招き入れる。

 は父親の顔をじっと見ていたが、背中を押されて促されるまま中に入った。

 斎に似た紺色の瞳は少しはれぼったくて、日頃は二重なのに一重になっている。


 久々にまともに顔を見たので、イタチは自分の表情が緩むのを感じた。


 の表情は朝までの憂鬱さが消えて、この間より少しましになっていた。

 寝間着姿のままおずおずと中に入ってきて、イタチからも斎からも離れたところにちょこんと座る。




「えー、おいでよー。」




 の表情を知ってか知らずか、わざわざ離れたところに座ったに、不満そうに斎が膝を叩いてから
手を伸ばす。

 言われてほっとしたようには斎の隣に座って、斎の膝に頭を預けた。





「よしよし良い子だ。」





 斎は優しく自分と同じ紺色の髪に手を絡め、の頭を撫でる。

 幼い頃から、は体が弱くて両親と外で遊ぶなんてことは出来なかった。

 その代り、よくこうしてスキンシップをしているのを、イタチは見ていた。


 が今でもよくイタチにくっつくのも、その名残だ。




「少し良いことあった?」




 斎は柔らかな声音で尋ねる。





「うん。ちょっと。良いこと。」





 は人差し指と親指で僅かな間を作って、ジェスチャーする。




「ナルトくん達?」

「うん。よくわかったね。」

「何となくね。彼ら優しそうだから。特にナルトくんは良いよね。」




 ナルトが同じ班で、斎は安心している節がある。


 それはイタチの思い過ごしではない。

 斎は4代目火影と兄弟弟子として、長い時間を過ごした。

 その息子であり、心根のどこかで似ているナルトとが同班になったことは、もしかすると偶然では
ないのかも知れないが、斎はとても嬉しそうにしていた。


 彼の底抜けの明るさは、に安心を与える。

 イタチもそのことをどこかで感じていた。

 

 侍女達がまだ食事をしていない斎とイタチに食事を運んでくる。

 夕飯は結構多かったが、昼もろくに食べられていないので、気にはならなかった。




「ご飯、食べてなかったの?」





 は食事をする斎の膝から尋ねる。




「忙しくてね。上層部と喧嘩してたし。」





 斎はさらりと軽い口調で言って、ご飯を口に運ぶ。

 もきゅもきゅと食物を咀嚼しながら、片手間に箸をぴっと天井に向ける。




「それと、中忍昇進はなくなったから。」

「え、」




 あまりに簡単に言われ、は目を丸くする。




「当たり前じゃないか、がいやだって言うんだし、それにまだには早いよ。」




 箸を持っていない左手で斎はぽんとの頭を軽く叩く。

 優しく細められる紺色の瞳を見て、はすりっと斎の膝に頬を寄せる。





「もう少ししっかりして、僕が認めたら、ちゃんと推薦するから、ちょっと待って。」




 宥めるような斎の口調に、は安堵する。

 の実力も、精神性も過大評価も過小評価もしていない。


 実力通りを認めてくれる。


 それは炎一族東宮としてとか、血継限界を持っているからではなく、の力量を見てくれる。

 そのことに、は安堵した。


 本当は少し、中忍昇進を蹴ったことを、悲しんでいるかも知れないと不安に思っていたのだ。

 は感極まって父親に抱きつく。




「父上様、大好き。」

「はは、それは嬉しいな。」





 突然の行動に箸を取り落としたが、娘の愛情表現に、斎は心からほほえみを浮かべた。





「そうだな。にはまだ早いな。」




 イタチもふっと笑って、の顔を見る。




「俺もが隊長で任務に出るなんて不安だしな。」

「むぅー。不満だけど、何も言えない。」




 はぷくっと頬を膨らませたが、ころりと表情を変えて明るく笑う。

 いつもの明るい調子が戻ってきたは、斎の膝から離れてイタチの食べている小鉢の栗をつまみ食い
する。

 イタチもそれを笑って許した。




「ただ、ちょっとサスケの反応が気になるかなぁ。」




 斎がぽつりと呟く。




「サスケ、ですか?」

「サスケが?」




 イタチとは同時に首を傾げる。

 サスケと言えばと同じ班の一員でありイタチの弟だが、の昇進には正直な話何の関係もない。




「中忍候補って、同期の中にもうひとりいるって知ってる?」




 斎がいつもの軽い調子ながら、真剣な目で尋ねる。

 自分が推薦されたことがショックすぎて、他にも推薦された人がいるなど、考えたこともなかった。


 は首を振って、イタチの顔を伺うように見上げた。




「誰?ナルト?」




 ナルトはあの強敵、ネジに勝利している。

 戦いを放棄した節のある君麻呂にまがいなりにも勝利したが中忍候補に挙げられたのだ。

 完全なる勝利を収め、戦いも精神力もめざましく成長したナルトにお呼びがかかってもおかしい話で
はない。



 むしろ、当然だろう。

 だが、イタチは違うと答えた。




「違う。ナルトくんは確かにめざましい戦いぶりだったが、中忍は隊長だよ。隊長としての資質に欠け
る。」




 戦いぶりや能力ではない。

 求められるのは判断力や統率力だ。

 独断が多いナルトは、実力的には相応しいとされても、不適合だとされた。


 それはも同じだ。




「シカクのところの息子だって聞いてるよ。」

「シカク…さん?」




 父の口から出てきた聞いたことのあるような名前に一生懸命思い出そうとするが、の頭からいまい
ち出てこない。  

 シカクはよく斎を起こしに来ていたし、よく知っている人だ。

 しかし、突然息子だと言われてもぴんと来ない。




「シカクの息子のシカマルくんだよ。10班だったかなぁ。」

「え、シカマル?!」




 はあまりに昇進に結びつかない相手に目を丸くする。

 冗談だろう。




「何、そんなに意外な人間なの?」

「い、意外だよ。だってやる気ないもん。」




 中忍試験の際、二人で真剣に本戦に出るか悩んだ記憶は新しい。

 の同期ならば皆同じことを言うだろう。


 逃げ腰、どべナルトと並び称せられる、やる気なしシカマルである。




「あれ?そんなに問題ある人物だっけ?」

「だって、いつも寝てるし。アカデミーの成績もずっと…」

。アカデミーの成績は昇進に全く関係ない。」




 イタチはの背中を撫でて落ち着かせる。

 子供達の間ではやはりアカデミーの成績が物を言うと考えられているのかも知れない。

 だが、言い切っても良い。全く関係がない。




「そうだよー。実際的に僕なんてアカデミーの成績は後ろから数えた方が早かったさ。」




 斎は偉そうに言う。

 その実力を認められていくつも飛び級してアカデミーに入っていたし、すでに自来也の弟子だったた
め忍術もかなり出来ていたはずだが、真面目な積み重ねは大嫌いで、授業など半分以上寝ていた。

 先生をおちょくり倒すことに重点を置いていた当時の斎は内申も悪く、何度アカデミーの教員から呼
び出しを食らったかわからない。


 本当にろくでなしだったわけだ。




「斎先生の経歴は自慢することは出来ないが…まぁ、そういう例も多いと言うことだ、」

「ちょっと、イタチ。」




 斎が歯に衣着せぬ物言いをする弟子に突っ込むが、結局のところ斎の例が示すとおり実力が全てだ。

 確かにアカデミーで首席だったりすれば、基礎能力は高い。


 しかしながら、アカデミーでの天才と、本当の天才はまた話が違う。


 学校というところは定期テストをとれるかにかかっている。

 実力テストと定期テスト、どちらが良い人間かという話だ。

 両方とれる人間ももちろんいるが、実力テストだけが良い人間も希にいる。


 所詮学校の成績というのはそんな物だ。

 アカデミーに出てからの伸び白がどうかというのも、大きい。





「特にシカマルくんは、実力もさることながら、実際に戦術の立て方はなかなかのものだった。僕も推
薦した。」




 斎が楽しそうににたりと笑う。




「IQも高いらしいんだ。いやぁ、楽しみだね。」




 声を弾ませる父に、はきょとんとする。

 何が楽しいのだろう。

 本心から不思議に思っていると、イタチが横からに耳打ちする。




「先生もIQがかなり高いんだ。」

「え?そうなの。」

「あぁ、だから口論が滅茶苦茶強いんだ。競合相手が出来るのが嬉しいのさ。」




 斎は戦術や口論をゲームのように楽しむ癖がある。

 それは高い能力故に幼い頃から忍として生きてきたことに起因するのだろう。

 イタチとの口げんかも、結構楽しんでいる節がある。


 IQが高く、戦略的な問題を言い争える人間が増えることを、とても喜んでいるのだ。





「今度上層部に書類提出しにアスマと一緒に来るんだって―。精一杯弄ってやろうと思うんだ。どう切
り返してくるか楽しみ−。」




 忙しい中でのささやかな楽しみだが、シカマルにとっては大迷惑だろう。




「可哀想、シカマル。」




 の呟きは、楽しそうな斎には届かないようだ。

 イタチが大きなため息をついた。





( 心躍ること 喜び 溢れること )