母が帰ってきたのはイタチの昇格をが知った次の日だった。

 木の葉崩しから一週間ほど帰ってきていなかった母の帰還はとても嬉しいが、もう一つ、は教えて
欲しいことがあったから、は彼女の元を昼から訪れた。




「あら、姫宮、おいでなさい。」




 蒼雪は娘の姿に柔らかな笑みを浮かべる。

 は少し恥ずかしいながら御簾の中へと入った。


 珍しく母は北の対屋にいた。

 本来なら宗主が寝殿へ、宗主の正妻が北の対屋に住まうのが慣例だ。

 しかし現宗主の蒼雪は女であるため、婿の斎が寝殿を、母が北の対屋を使っていた。

 とはいえ、母は多くの時間を寝殿で過ごし、眠るため結局北の対屋は物置とかしていた。




「何をしてるの?」




 雑然とたくさんの物が並ぶ北の対屋で、巻物を開いている母の姿に、は首を傾げる。




「昔物の整理をしようと思って、」




 巻物の一枚を蒼雪はにも見えるように開く。

 中に描かれているのは風景画だ。

 墨一色の水墨画に描かれているのは様様な風景だ。




「これは、砂漠?」

「そうですわ。私が昔任務に出た時のです。」




 蒼雪は長らく綱手の弟子として過ごしていた。

 その間にいろいろな国を旅していたと聞く。

 どうやら巻物の絵は母が描いたらしかった。 



 は別に驚きはしない。

 幼い頃、彼女と一緒に絵を描いた時にかなり絵が上手だったことをは覚えている。

 父の斎の方は絵に関してはさっぱりだが、も病弱で暇をもてあましていたこともあって、絵はかな
り上手だ。

 才能は母譲りらしい。

 ちなみに父の描いた絵は、父が描いたと主張する物体の原型すらとどめていなかった。




「風の国?」

「そ、私が初めて行った国です。」




 巻物を順番に広げて行けば、様様な国の風景が出てくる。




「こちらは、音の国かしら。懐かしいわ。ミナトや斎と行ったのです。」




 柔らかに灰青色の瞳を細める蒼雪の姿に、はじっと絵を見つめる。

 さぞかし思い出深い場所なのだろう。




「楽しかった?」

「少しね。この頃の私は素直ではなかったから、いつもミナトや斎を困らせていましたもの。」

「困らせる?」

「そう、困らせてましたわ。」




 娘の質問に蒼雪は含みを持って口元を着物の袖で隠して微笑む。

 誰にでも子供時代があり、恥ずかしいことや弱かった自分がある。


 は少し目を伏せて、母を見上げる。

 今は押しも押されぬ実力を持つ彼女にも、弱かった頃があったはずだ。

 そして、それを超えてきた。

 同じことをもしなければならない。




「母上様、わたし、強くなりたいの。」




 は母の顔を見上げてまっすぐ告げる。




「それはどうしてですの?」





 蒼雪は僅かに目を見開いて、穏やかに尋ねる。





「わたしは、自分の身を守れるようになりたい。」




 君麻呂との戦いで、は自分の力不足をこれ以上ないほど知った。

 誰かの誇りになりたいと、自分を守ってくれる両親やイタチのように強くなりたいと、思ったけれど
、それをはなせないほどに自分は弱く、自分自身すら守れないことを知った。

 人を守りたいと思うなら、自分が強くならなければならない。

 そのことには初めて気付いた。




「自分の身を守ることが、まず誰かを傷つけないことにつながると、思うの。だから、まず、自分。」

「そして、次に誰かを守りたい?」




 蒼雪は娘の言葉の続きを受け取る。

 は顔を上げて、大きく頷く。




「うん。みんなが守れるように、強くなりたい。」




 自分を守ってくれていた一族の人や、両親や、イタチ。

 彼らのように自分も誰かを守りたい。


 焦らなくても良いとイタチはいつも言ってくれるから、一つずつクリアしていこうと思う。

 時間をかけて、いろいろな人に認めてもらいながら、一つずつ。

 それが、自分に必要なことだと、自分で思う。




「で、私に何を聞きたいんですの?」




 蒼雪はの答えを聞き、静かに問う。

 本当は答えなど知っているが、あえて娘に直接尋ねる。


 何をしたいのか、

 主張することの少ない娘に、言葉にさせる。




「炎の、コントロールの仕方。わたしは、このままでは人を傷つけてしまうから。」




 君麻呂との戦いで、は自分が炎を完全にコントロールできているわけではないことを知った。

 戦いながらコントロールできる量を探っていた。

 きちんと自分の能力を把握できていないのだ。


 いつか、任務などで誰かと共闘した場合、は大切な仲間を傷つけてしまうかも知れない。

 そして、守りたいものを殺してしまうかも知れない。

 その可能性に、初めて気付いた。




「だから、母上様に、教えて欲しいの。どうやったら、がんばれるか、どういうことをしたら効果的な
のか、教えて欲しい。」

「わかりました。」




 蒼雪はの主張に大きく頷いてみせる。

 強くなりたいと願うの心にゆがみはない。

 ただ、純粋に人を守りたいとの願いのために、自分の強さを求めている。




「まず一つ、」





 蒼雪は白い指でそっとの頬に触れ、微笑む。




「あなたはまっすぐに育った。そのことが母はとても嬉しいわ。」




 一片の穢れもなく、外に出てもまっすぐと前を向いて成長している。

 親として、病弱であり、外の害意を知らぬがどうやって戦っていくか、歪んでしまわないか心配だ
った。

 だが、はまっすぐに育ち、自分で答えを出して人のために強くなりたいと思った。




「何があってもその心に誓ったことを、忘れないこと。近道などないのですから、それが貴方に一番出
来ることです。」




 これから様々な事態に見舞われ、焦り、忘れそうになることもあるだろう。


 だ。

 自分は自分の信念を守り、自分のペースで歩くこと。

 近道などない。遠回りも、決して無駄にはならない。

 遠回りが、また自分の糧になるだろう。


 そう思って、焦らず自分の信念に従うことだ。

  

 蒼雪はの頬を撫でながら、春のうららかな日を思い出す。

 遠い日、酷い痛みに耐えて産んで、腕に抱いた赤ん坊は小さくて弱かった。

 赤子と言うには未熟児で顔色も白く、身体的にも自分の血筋のせいで大きな欠陥を背負わせてしまっ
た。

 長くは生きられないかも知れないと言われ、泣くばかりしか出来なかった赤子が、こうして大きくな
って、自分の意志で強くなりたいと願っている。

 弱くて小さくて、ただ泣くだけだったのに、




「願いに、手助けをしましょう。」




 蒼雪は灰青色の瞳をに向けて、言う。




「自来也様が、綱手先生を連れて帰ってくるそうです。」

「つなで、先生って、母上様の?」

「あの方はチャクラコントロールに関しては天才です。一度私から貴方についてご相談しましょう。」

「え、ど、どういうこと?」




 は相談の意味がわからず首を傾げる。




「弟子にとってくれるか、内密に打診します。」

「それって…できるの?」

「もちろんですわ。まぁ、貴方も綱手先生に一度お会いしても良いと思いますしね。まぁ、その代り。
強い人ですわよ。」




 とはタイプが全く違う。 

 ぐずぐずしていたら殴りかかられそうだ。


 は笑みを形作った唇の端を引きつらせる。




「が、がんばるっ!」

「その意気ですわ。」




 虚勢を張って叫んだに、蒼雪は口元を隠して高い笑い声を上げる。

 小さかった白い手はいつしか大きくなって、今度は誰かを守りたいと願い出す。

 子供の成長とは、本当に早い。



 夏の終わりの少しぎらついた太陽が、御簾にあたり、柔らかに部屋に差し込む。

 陽光に遠い日の春を重ね、蒼雪は宿った笑みを隠した。

 今のと同じように、小さな手をした白いを何があってもこの手で守りたいと思った、


 柔らかい日々を思いだして。










( 誰かを守ること、楯になること )