斎がイタチに渋い顔で言ったのは、イタチの昇進が決まって一週間後のことだった。




『フガクさんに報告だけは行きなよ。』




 家出した挙げ句の果てにの婚約者となり、炎一族の婿になるとまで勝手に決めたイタチだが、間違
いなくうちは一族の嫡男である。

 両親への昇進の報告は必要だと、斎は言うのだ。





『え、でも父上ですよ。』





 イタチはもの凄く嫌そうな顔を隠そうとしない。

 子供を使って里での興隆を目指す父の思想と、平和主義かつ事なかれ主義のイタチの思想は混じり合
うはずもない。

 それ故に家を出たのだ。


 基本的には会いたくない。




『でも、イタチ一応、うちはの嫡男ってことで炎一族の東宮の婿になったんだし?一応両家の立場もあ
るしさ…。』




 斎は申し訳なさそうな顔をする。

 彼もまた東宮の父であり、炎一族の宗主の婿だ。

 年齢的にもうちはの代表者のフガクより遙かに若い。

 家格は炎の方が上でも、うちはに対して立場的に微妙な部分が色々あるのだろう。


 要するに、あまりもめてくれるなと言うことだ。

 日頃は悪態をついていても、自分の師が、イタチの勝手のせいで苦境に立たされるとなれば、放って
などおけない。

 それでなくとも迷惑ばかりかけているのだ。





『わかりました。』





 斎のお願いとなれば、嫌いな父親と顔を合わせるくらい小さなことだ。

 自分に言い聞かせて、イタチは頷く。




『ごめんね、その代り、連れてって良いから。』





 許嫁である限りは小まめに顔を出させておきたいらしい。

 は元々強面のフガクを苦手に思っている節がある。

 イタチとが結婚すればフガクにとっては義理の娘となるのだ。

 今から慣れさせておきたいし、にもうちはに慣れて欲しいのだろう。


 緩衝地帯にを連れて行くのは嫌だったが、斎が言うなら仕方が無い。

 結局週末の金曜日に、イタチはを連れて久々にうちは一族に足を踏み入れた。





「ふぇー、すごいねぇ。」






 うちはの家紋があちこちに描かれ、そして活気ある街が出来ている。

 はそれを物珍しそうにきょろきょろ見ながら、歩く。

 まるで田舎から都会に出てきたお上りさんのようだ。


 実際には旧家のお嬢さんだが、の様子はお上りさんそのものだった。


 彼女は体が弱かったため、まず外に出なかったし、炎一族とうちは一族では炎の方が家格で遙かに勝
る。

 有事の場合は炎一族邸が広いこともあり、うちは一族が炎に出向く形が多かった。

 そのためがうちはの敷地に足を踏み入れるのは初めてだ。


 はしゃぐ気持ちがわからなくはないが、なにぶん今や戻りたくない自らの一族である。

 家出して炎一族の婿になったという噂も流れているので、周りからの視線もただ歩いているだけで厳
しく、すでに集落に足を踏み入れた時点で帰りたかった。





「おせんべいだぁ。」






 イタチが気付けばは硝子の向うにたくさん並んだせんべいに釘付けになっている。

 に他者の視線など関係ない。


 せんべい屋は木の葉では珍しくなった。

 見たことがなかったらしく、特に顔ほどの大きさがあるせんべいに興味津々だった。





「おや、嬢ちゃん木の葉の子かい?」





 イタチの顔との顔を見比べて、せんべい屋の夫人が尋ねる。

 木の葉の子ならば大方せんべいを買いに一度はこの店に訪れる。

 当然多くの場合夫人も顔を覚えているが、は全くと言って良いほど見たことのない顔だ。

 せんべい屋の夫人の疑問も当然だろう。





「え?わたし?」





 は質問の意味がわからず、首を傾げる。





「あぁ、炎一族の東宮だ。」





 イタチは久方ぶりにあった夫人に何気なく答える。

 家出したと噂のイタチに微妙な顔をした彼女は目を丸くしてを見た。





「あら、東宮様…」






 の顔をまじまじと眺める。

 仕方のないことだろう。

 炎一族と言えば里一番の名家で、規模も大きく、何より性質として多くの一族の者が炎の名の通り激
しい気性で知られている。

 宗主の蒼雪とて穏やかであるが、その実力や火影にも及ぶ。

 炎一族の次期宗主ともなれば、勝手なイメージがあるのだろう。



 はと言えば童顔の穏やかそうな少女だ。

 後々大きな一族のトップになれそうな資質は、どうも見あたらないのは仕方が無い。

 東宮として相応しくあれと、そう言った風に育てられていないというのが、一番大きい。


 自覚もなければ、自信も、気迫もあるはずがない。





「まぁた、可愛らしいお嬢さんで。」






 しばらく凝視して、それしか思い浮かばなかったようだ。

 は賞賛に恥ずかしそうに笑ってイタチの影に隠れる。


 はにかみ屋で人見知りの激しいにとっては当然だ。

 だが、ますますイメージに合わず、夫人の方が不思議そうな顔をしていた。





「うちはに足を踏み入れるのは、初めてなんだが、」

「そうですか。楽しんでいらしてね?」





 愛想良く夫人は言ったが、人見知りの元々強いはイタチの後ろに隠れたままこくりと頷くだけだっ
た。






「行くぞ。」





 イタチはの手を引き、ふっと淡く笑む。





「うん。」





 もイタチの笑みに安心したのか、ほっとした顔で手を握り返した。

 うちはの奥へと進んでいけば、大きなイタチの家がある。

 フガクは今日斎からイタチが家に来ると知らされているので、家にいるはずだ。





「ただいま。」





 小さな声でイタチが呟く。

 家出しただけに、家に帰るのは後ろめたいのだろう。





「お邪魔しまーす!」





 対しては大きな声で挨拶をした。

 挨拶を教えたのは斎だ。





『他人の家に行った時はね。お邪魔しますって言って、靴をそろえるんだよ。』





 は幼い頃病弱で人の家はおろか、まず外に出ることが少なかった。

 だから斎がアカデミーにが通う前に教えた礼儀だ。


 それを律儀に守って、はちゃんと自分の靴をそろえる。





「いらっしゃい。」





 声に反応してか、ミコトが慌てて駆けてきた。





「こんにちは。うちはのおばちゃま。」





 ぺこりとは久々に会ったミコトに頭を下げる。

 挨拶や礼儀に関しては旧家なだけにはしっかり教えられている。

 物を知らないだけだ。






「はい。こんにちは東宮。よくいらしてくれたわ。」





 ミコトはに柔らかく微笑んで、ちらりとイタチの方を向く。




「良かったわね。東宮が一緒で。」





 ちくりとした嫌み。



 東宮のがいれば、フガクは強くは出れない。

 フガクにとってはあくまで子供ではなく、炎一族の次期宗主なのだ。

 敬うべき存在ののいる場で、が大切に想っているイタチを声高に罵ることは絶対にないだろう。






「斎さんにしっかり感謝しないさいよ。」






 ミコトは自分より背の高いイタチの頭を軽く叩いた。

 完全に斎の作戦であることは、誰にでもわかる。


 斎はイタチとフガクの確執を見越して、をよこしたのだ。

 彼はやはりまごう事なき策士である。


 ミコトについて庭を越えれば、フガクが座っていた。

 イタチを睨み付けたフガクだが、を見れば僅かに表情を緩める。

 フガクが座っている部屋は庭に面した和室で、床の間には掛け軸が飾られている。

 は強面のフガクが苦手だが、イタチが畳に正座をすれば、もそれに倣ってイタチの隣に座った。





「斎先生から話は聞いているとは思いますが、暗部の統率機関“樹(たつき)”への昇進が決まりまし
た。」





 イタチは淡々と報告をする。





「ほぉ、確か斎さんがお作りになった“樹”か。」





 暗部の活動はほとんど知られていない。

 だがその中で唯一表に出てくるのが統率機関“樹”だ。 

 裏の仕事が多いために観察の入りにくい暗部を指揮し、妥当な活動をしているのか見張るのが統率機
関“樹”。


 斎が4代目火影と組んで作った、監査機関に近い物だが、事実上の暗部の最高機関だった。

 この機関を通せ、賛成を得られなければどの任務も行うことが出来ない。

 暗部の権力を弱め、一般監査を入れる組織に入れるのはごく少数。

 組織の創設者である斎をトップとしているが、斎も含め上位も下位も構成員の地位は投票権は一票と
同等である。


 イタチは優秀だ。暗部にいればいつか構成員として名が上げられただろう。

 しかし、暗部に入って8年と短く、異例の若さの昇進は師の斎なくしてはありえない。





「斎さんのお力だな、感謝するように。」





 いつものような、流石俺の息子だと言うような台詞はない。

 やはりイタチが家出をした身というのもあるだろう。





「先生の七光りだと言われないように、努力します。」





 選挙で選ばれたわけではあるが、イタチははっきりと強い語調で言う。

 選挙とはいえ、イタチの人格を知らない人間がイタチに票を入れた理由は、絶対に斎の弟子だからだ
ろう。


 これからの行動で評価は決まる。

 そしてそれが斎への評価にもなるのだから、イタチは昇進をしたからといって気を緩めることは出来
なかった。

 斎は気に負うなと笑うのだけど、師の邪魔にだけは決してなりたくない。

 師の役に立ちたいと思うのは、親を慕う子供のような感情だ。





「そう、か。」





 フガクは何か言いたげだったが、黙りこくり、次にに目を向ける。

 はイタチに身を寄せて、フガクの視線に耐えた。


 まともに話したのは、正式な婚約を決めた時だけだ。

 その時はの両親も同席だったが、ここにいるのはイタチも含めうちはの人間だけである。

 急に緊張したはイタチにくっつくことで視線に耐えた。



 対して、フガクもの扱いがわからない。

 うちはは男系で女性が少ないし、自分の子供も2人とも男なので、女の子の扱いがわからない。

 元来器用な方でもないから、子供で女の子で身分も高いへの対応など、途方もないことだった。





「東宮は、中忍昇進を嫌がられたのか、」





 フガクはどういう言い方をすべきか迷いながら口にする。

 はこくりと頷きながら、おずおずとフガクを見上げた。





「はい、それに、ついては…来週の両一族会議で、お話、します。」






 説明はきちんとしなければならない。

 が何も言わなければわからずにが不当な扱いを受けたと思う炎一族の人間だっているだろう。

 だから、一族会議では父に説明してもらったのだが、来週の両一族会議では自身できちんと説明は
するつもりでいた。

 両一族会議はうちはと炎の会議だが、が出席するのは初めてだ。





「そうですか、出席なさるのですか、」





 フガクは驚いたような顔をして、を見つめる。

 病弱だったこともあるが、体調が治ってもはろくに会議に出席することはなかった。

 元々力を持っているとはいえ東宮とは名ばかりで、跡継ぎとしての教育も全く受けていない。


 すぐには無理だというのは誰でもわかるが、そう言った教育を受けているイタチについて少しずつ変
わっていこうとしているのは、フガクにも伺えた。

 中忍昇進は拒みはしたが、前進をやめたわけではない。





「さすがは斎さんのお子さんだ。」





 フガクの口から勝手に零れた言葉は、彼の本心だった。





「父に、そう思ってもらえると、嬉しい、です。」





 は一瞬目を丸くして、はにかんだ笑みを浮かべる。

 フガクの言葉が、にはとても嬉しかった。

 





( 少しずつ上へ、上へ )