受け身なんて全くとれず、無様に木に激突する。

 速すぎる蹴りに避けることはおろか、反応することすら出来なかった。


 重い一撃はサスケのまだ軽い体を簡単に捉え、吹っ飛ばす。



 サスケはずるずると木を背に、地面に座り込んだ。






「ぐっ、」






 うめき声を上げて前を見て、息を呑む。

 家でくつろいでいたところを焦ってきたのか、普段着の黒いシャツ姿のままのイタチが立って
いた。

 夕方の赤い光にすらりとした華奢な体躯が照らし出され、瞳だけが光っている。

 煌々と輝く緋色の、どこまでも感情のない瞳。



 鋭い殺気を含んだ視線に、サスケは凍り付いた。

 兄のこれほど冷たい目を見たことがなかったからだ。

 イタチのアカデミー時代にはやはり兄弟喧嘩もしたし、殴られたこともあったが、それでも侮
蔑を含んだような冷たい目を向けられたことはなかった。




 いつも、彼が本気で怒ったことなんてなかった。

 サスケからどれだけ冷たい言葉をかけられようと、結局最後には、仕方ないなと困ったような
顔で笑っていた。

 あまりにも冷たい本気の怒りに、サスケは尻込みをする。

 だが、もう引き下がることなんて出来ない。


 震える足に力を入れて立ち上がり、腕を振り上げる。

 そのままイタチに向かって突っ込むが、あっさりと避けられた。

 全く無駄のない綺麗な動き。






「何を、しようとした。」






 イタチの低い声が耳を打って、重心のずれたサスケの躯をイタチの足が捉える。

 あっさりと回し蹴りを食らわされ、サスケは近くの木に激突した。

 木が陥没し、木片が散る。







「いっ、きゃっ!」







 が地面に座り込んだまま両手を握りしめて悲鳴を上げるが、あまりにたくさんのことが起こ
りすぎて事態を把握することも止めることも出来ず、瞳に涙を溜めて呆然とした。






っ!」

「大丈夫かい?」







 イタチの後ろからきたカカシとナルトが座り込むを気遣って尋ねる。

 元々、カカシとナルトは今日サスケと一緒に修行をする予定だった。 

 彼が来なかったから、心配していつも彼が隠れて修行している場所にやってきて、チャクラの
大きな動きに、慌てて飛んできたのだ。



 イタチはを振り返り、無事を確認してからもう一度サスケに向き直る。

 イタチ自身でも自分が冷静を装いながらが傷つけられそうになったことに激昂していること
がわかっていた。

 怒りにかられて暴力を振るうことはいけないと激情を押さえ込もうとするが、の姿を見れば
わかっていても心にわき上がる激情を押さえ切れそうにない。


 サスケに殴られかけたは受け身を取ることもなく地面に座り込んだだけだった。

 白い蝶が戸惑うようにイタチの肩に止まる。

 いつもは敵からの攻撃に自動防御する白炎の蝶は、サスケの攻撃を自動防御しようとはしなか
った。

 それはがサスケを守った証だ。


 白炎の制御が難しいのは、その白炎自体が主を守る意志を持つからだ。

 主が攻撃を受けそうになれば、それに反応して敵を攻撃する。

 蝶の自動防御から来る攻撃をまともに受ければサスケの命はなかっただろう。

 自動防御は相手を戦闘不能にしようと莫大な力を発揮する。

 は自動防御をやめれば自分が攻撃されるのをわかっていながら、蝶の自動防御を自分自身で
押さえ込んだのだ。


 優しい



 なのに、サスケはを攻撃することに躊躇わなかった。

 イタチは自分の弟だからこそ、サスケの行為が許せなかった。

 生まれた時から見守ってきた可愛い弟だ。

 イタチは兄で、弟である彼を守る義務がある。


 しかし、同時にイタチは一人の男でもある。

 男として、は命にも代えがたい愛しい少女だ。

 命をかけて守ると願った誓いは、一時たりとも忘れたことがない。


 を傷つける者は、サスケが例え弟だったとしても、許すことが出来ない。

 弟が自分と同じ感情を抱えると知るが故に、愛しい者を傷つけるなど、どんな事情があろうと
もあってはならない。

 大切な者を大切に出来ない力など、絶対にあってはならないのだ。

 力を手に入れるのは傷つけるためではない、守るためだ。

 それを忘れた力など、自らの弟だからこそ、認めるわけにはいかなかった。






を傷つけて、どうする気だったんだ?」





 イタチは一歩、一歩と城壁の下で座り込むサスケに近づき、睥睨する。

 声音は冷たくあったが怒りを感じさせない程静かだった。





「黙れっ!アンタには関係ない!!」





 サスケが叫ぶが、その声はもう後には引けないためか、悲痛だった。

 追い詰められているのがわかる。

 だが、イタチの対応は冷ややかだった。





「関係がない?俺の婚約者だ。」

「勝手にアンタが斎さんにすり寄った結果だろ!!」

「炎一族にも認められている事実だ。勝手の結果ではない。」







 イタチはサスケの叫びに淡々と答える。

 サスケはイタチがのチャクラを肩代わりしていることも、きちんと炎一族と話し合ったこと
も知らない。



 だから勝手に居候し、担当上忍である斎に言って婚約してもらったと思っている。


 うちは一族から絶大な期待を受けながらもそれを拒絶し、手に入れた別の地位。

 兄への期待が大きかった故に、許せなかった。






「その上、俺への不満はには関係ない話だろ?」

が中忍に推挙されたってことは、オレより価値があるってことだろ!?」






 に勝てば、少なくとも自分の価値はより上だという証明になる。

 サスケの叫びは、自分のやってきたことへの疑問でもあった。

 血が吐くような努力をしてきた。

 血継限界に慢心せず、懸命に努力を重ねてきた。


 なのに、落ちこぼれと言われたナルトが我愛羅を倒し、希少な能力を持つだけのが中忍に推
挙された。






だって同じ土俵に立った、覚悟はあるはずだ!」






 中忍試験では、戦う可能性だってあったはずだ。

 もそれを承知で勝ち進もうとしていた。






「ちがっ、わたしは、」







 ナルトに支えられたが、サスケに叫ぶ。

 サスケから道を奪うつもりなんてなかった。


 中忍の資格なんていらなかった。


 ただ、みんなといたかったのだ。一緒の場所に立っていたかった。

 違うのだと叫ぼうとするが、の言葉は遮られる。








「違わない!オレはに勝って、価値を証明する。」





 そうしないと、一族で認めてはもらえない。





 ――――――――――なんでイタチのようには如何のだ・・・・・






 父が俯きがちに呟くのを影で聞いていた。

 一族を裏切って他の一族の後継者になることを決めたイタチを、まだ誰もが望んでいる。

 表向きにはあんな奴と言いながらも、心ではサスケでは役不足であるからと、イタチを求めて
いる。



 彼を超えないと、サスケはいつまでたっても一族の中で孤立したままだ。

 一番羨望のまなざしで見た、天才・うちはイタチ。

 望み、憎んだ、兄。






「アンタに勝つために、オレはっ、」






 サスケの押し出した言葉は、の目にはあまりに苦しげに映った。

 イタチに勝って、そして一族で価値を認めてもらうために、サスケはここまで頑張ってきた。

 努力を重ねてきた。


 それは、無駄だったのかと、問うているのだ。




 は涙ぐんで、ふるふると首を振る。

 無駄なんかじゃない。

 そう言いたくても、言葉が出ない。

 そしてがその言葉を吐くことを、許してはくれないだろう。





「サスケ、刃を向ける相手が違うぞ。」





 完全に戦う気のサスケをカカシは厳しい声で諫める。

 サスケはよくも悪くも真面目だ。

 だからこそ急速に能力を伸ばすナルトやに焦燥を抱いた。

 理解はしているが、に焦燥を向けても意味がない。

 それを強くなる力にしなければ、意味がないのだ。


 仲間を競合相手―敵だと見誤ってはならない。敵は外に、自分の中にいるのだ。


 しかし、カカシを押しのけて、イタチが一歩前へと踏み出した。






「本気で、俺とやり合う気か?」






 イタチは腕組みをしたまま静かに弟に問う。






「あぁ、」






 サスケは震える膝を叱咤して立ち上がり、兄を見上げる。






「・・・・・良いだろう。」






 沈黙の後、イタチは一度静かに目を閉じ、息を吐いてからやっと頷いた。

 目を開けた彼の目に映るのは、弟であるサスケではない。

 一人の、焦りに負けたただの無様にかけずる男だ。


 そしてイタチも兄ではない。


 を想う、それ故に強さを求めたただの男だ。






「イタチ、やめろ!」





 カカシは慌ててイタチとサスケの行動を止めた。

 勝敗など誰の目にも見えている。

 カカシは自らの弟子を思って止めるが、イタチの写輪眼がぎらりと光る。

 鈎上の怪しい緋色の瞳に、カカシは息を呑む。





「おまえっ、」

「これは男同士の喧嘩です。手出しはしないでください。」






 イタチは腕組みをしていた手を解き、左手を腰に、もう右手をぶらりとたらし、隙はないまで
も目立った武装は出さなかった。

 悠然と立つその姿には余裕が伺える。


 当然といえば当然だ。


 アカデミーを出て半年や一年の下忍などに負けようはずがない。

 彼は暗部の分隊長、里でも有名な手練れであり、火影候補・斎の愛弟子だ。

 彼には長い時を経て培い、すでに確立されたプライドがあり、守りたい者がある。

 それを侵食する者は誰であろうと許さない。





「イタチ・・・」





 が小さく名前を呼ぶ。

 呟くような声音だったが、イタチの耳に入ったのだろう。

 ふっとイタチがの方を振り向いて、サスケに向けたのと全く違う柔らかな笑みを浮かべる。






「悪いが、少し待っていてくれ。すぐ帰れる。」

「え、う、うん。」






 あまりに優しく言われ、はこくんと頷く。

 それを確認して、イタチはもう一度サスケを睨み付けるでもなく、静かに相手の行動を伺うだ
けのために、目に映す。

 愛情などない、敵を処理する時と同じ表情。


 上忍であるカカシでもイタチ相手では大怪我だけではすまない。

 里でもイタチに勝てる可能性があるのは、里でも今や数人。

 黙っておくしかなく、カカシはとナルトが二人の喧嘩に巻き込まれないように心を配ること
しかできない。


 にらみ合っていたサスケとイタチだったが、サスケが右手を振りかざす。

 白い電光が走り、それがチリリという音を奏でる。







「千鳥、」






 イタチは僅かに目を見張り、小さくその名を口にする。

 カカシは一時暗部だった時期があり、イタチもカカシと一緒に任務に数度出たことがある。


 だからその技も何度か見たことがあった。

 イタチはふっと嘲るような笑みを浮かべて、右手を持ち上げる。

 相変わらず左手は腰にしたままだ。





「アンタを倒すためにっ!!」





 サスケが叫び、突撃を開始する。

 イタチは全く動かない。

 ただことの成り行きを人ごとのように冷たい目で見ているだけだ。

 煌々と緋色に輝く写輪眼が、明るい光を映す。





「イタチっ!!!」





 が大きな声で叫ぶが、それは轟音にかき消された。

 酷い砂埃と近くの木を巻き込んだらしく、木片が飛び散る。

 幸いにもそれはすべてカカシに処理されて達にはあたらないが、は真っ青の顔でイタチの
名を呼んだ。

 千鳥の破壊力は、攻撃的な見た目からすぐにわかる。






「イタチっ!」






 この轟音と爆発ではただではすむまい。

 カカシもそう思ったが、それはとんだ誤りだった。

 砂埃が風に払われていく。






「何で・・・」






 呆然と呟いたのは、サスケだった。

 サスケの千鳥を放つ右手は、誰かに掴まれている。

 いつの間にか、イタチが二人になっていて、その一人の片手がサスケの千鳥を放った右手を無
傷のままに掴んでいる。


 右側の木が倒れていたが、二人のイタチにはなんの外傷もない。

 片方は影分身のようだ。






「い、いつの間に。」






 ナルトもあまりの速度と事態に驚きのあまり声が掠れている。

 サスケも同じ気持ちだっただろう。

 サスケの攻撃を受けるまでの間に、イタチが印を結んだ形跡はなかった。


 イタチは片手を腰に当てていたのだから。


 印を結ぶ速度、そして動く速度があまりに違いすぎる。

 チリリとまだ音をさせている千鳥に腕を掴んでいない方のイタチが、手を伸ばす。

 千鳥に触れては、その電光で怪我をしてしまう。

 なのにサスケの手を押さえているイタチの手も傷一つ追っていない。




 イタチはすっと電光に人差し指を差し込む。

 途端に、千鳥がかき消えた。

 サスケは目を丸くするが、次の瞬間、イタチに上から右手で殴られて地面に叩きつけられた。

 地面でバウンドした躯をまたもう一度イタチが蹴り上げ、今度は横に吹っ飛ばされる。

 続けざまに影分身のイタチがサスケに襲いかかり、別の方向から蹴り飛ばす。





「ぐっ、」






 無様にサスケは着地することも出来ず、地面に這いつくばる。

 を庇った時は一応急所を外していたが、今回は首の後ろと腹を狙ったところから、イタチも
もう手加減する気がないのがわかる。






「なぜ!!」






 千鳥が消えた理由が説明できず、サスケはイタチに問う。






「興ざめだな。」







 イタチは先ほどと同じように腕を組み、サスケにつかつかと歩み寄ると、サスケの首元を掴ん
で持ち上げた。

 サスケを宙づりにしたまま、投げ捨てる。

 軽いサスケの躯はあっさりと宙を飛び、近くの城壁に叩きつけられそうになるが、イタチの影分身
が、勢いのついたサスケの躯を再び蹴り上げる。






「一つ教えてやろう。」






 影分身のイタチがそう呟いて、サスケの間近で爆発する。

 爆風に煽られ、サスケは木の幹まで吹き飛ばされたが、何とか着地し、また千鳥を使ってイタ
チに襲いかかった。






「おまえは忘れているだろう。基本の基本だ。サスケ。」







 イタチは今回は影分身を使おうともせず、薄く笑う。

 それは先ほどと同じ、人を嘲るための笑みだった。






「おまえの性質変化は雷と炎。俺の形質変化はと同じ風と炎。」







 また先ほどと同じように人差し指を出し、イタチはそれをサスケの方にかざす。

 ふわりと周囲にあった砂埃が円を描く。






「雷は風に弱い。」






 上から降ってきた木の葉がイタチの手の近くに舞い落ちると細切れになった。

 周囲の風がイタチの指先に集まる。






「鎌鼬。」






 落ち着いた声音と共に円形の竜巻のようなものがイタチの指先に出現し、大きく膨らむ。

 千鳥は僅かにイタチの鎌鼬に触れただけで、揺らぐ。

 そして、サスケの腕に纏われていた雷光はイタチに届く頃には完全に消えてなくなっていた。


 勝ち目などあるはずがない。

 イタチの鎌鼬の竜巻に躯をさらすことになったサスケはあっという間に今度は風に吹き飛ばさ
れる。






「思い上がりも甚だしい。」







 イタチは木の葉のように風に煽られて倒れ伏すサスケを鼻で笑った。

 鎌鼬の攻撃は風の刃となってサスケに襲いかかり、躯を切り裂いていく。

 鋭い風の刃は、サスケが出来るようなチャクラの防御をあっさりと打ち砕く。






「価値?そんなもの今のおまえにはありはしない。」






 地面に激突したサスケはもう起き上がることも出来ない。

 ただ、イタチの操る風に痛めつけられるだけだ。

 追い打ちをかけるようにイタチの声だけがサスケの頭に響く。





「あるのは弱い心と体。ただそれだけだ。」








 鎌鼬の鋭い風がサスケの躯を持ち上げ、襲いかかる。

 体中が切り裂かれるのを感じながら、サスケは目を閉じた。

 の悲鳴と穏やかだが厳しい声音が響いたが、その意味を理解する前にサスケの意識は闇と消
えた。











( 敵より劣ること 人より劣ること )