「イタチ、やめなさい、」






 穏やかだが厳しい声音が諫めるように響き、イタチの手を掴む。

 鎌鼬の風を纏うイタチの手、

 掴んでも全く怪我をしないのは、それ相応の手練れだからだ。



 イタチは自分の担当上忍である斎を見上げ、鎌鼬の術を解いた。

 風に煽られていたサスケの躯が抵抗もなくどさりと地面に落ちる。






「もう終わってますよ。」






 師の手を軽く振り払ってからとんとんと疲れたように自分の肩を叩いて、素知らぬふりでイタ
チはに歩み寄る。

 風の性質変化は便利で、少しくらいのチャクラの防御ならあっさりと切り裂いてくれる。

 特に風遁・鎌鼬は円形の竜巻で敵を包み、本来ならばらばらにする。


 サスケに対してはまだ風の刃を分散させた方だ。

 それでも筋の一本や二本は切れているかも知れない。


 イタチにとってそんなことよりも大切なことがあった。







、怪我はないか?」






 イタチはいつも通り優しい笑顔でに手をさしのべる。






「あ、う、うん。」






 怯えたような、躊躇ったような泣きそうな表情ではイタチのさしのべてくれた手を取る。

 だが、足をくじいたのか、立ち上がろうとするとふらりと崩れた。


 おそらく、最初にサスケに攻撃された時にくじいてしまったのだろう。

 イタチは意識のないサスケに冷たい一瞥をくれてから、の足の状況を確認する。

 内側にひねったのか、捻挫してしまっているようだ。

 少し腫れているから、帰ったら湿布を貼らなければならない。


 イタチはの前に後ろ向けになって跪く。







「おぶされ、歩けないだろう?」

「でも、重いよ?」

は軽い。」







 同年代の中でも小柄で、やせ形なのだから。

 の言葉にイタチははっきりと返すと、はイタチの首に手を回し、おぶさる。


 イタチは軽く立ち上がる。

 はイタチの首に回した手に、力を込めた。






「どうした?」

「うん。なんでもない。」






 いつもの優しいイタチだ。

 は僅かに安堵の息を吐くが、ナルトの声に表情を凍り付かせる。






「サスケっ!、サスケ」






 ナルトが必死にサスケを起こそうとしているが、完全に昏倒しているらしく、サスケが起きる
気配はない。

 体中イタチの鎌鼬でうけた裂傷でいっぱいで、あちこち血がにじんでいる。

 特に腹と腕に深い傷が一つずつあり、血が止めどなく溢れていた。







「揺らしちゃだめだよ。」






 斎が出血量を確認してから、ナルトを冷静に注意して自分の服を破って大きな傷を止血する。







「なぁ、斎さん。サスケ大丈夫だよな。大丈夫だよな。」







 くしゃりと表情を歪めたナルトはナルトは目に涙を溜めて繰り返し尋ねる。

 日頃仲が悪くても、ナルトは本当にサスケのことを大切に思っている。

 本気で疎ましく思っているのではない。






「大丈夫。深くはない。イタチも手加減しているよ。」







 斎はを背中に負ぶってあやしているイタチを振り返る。

 イタチが本気だったなら、サスケなど瞬殺だ。

 サスケは天才と言われても所詮下忍、今のイタチの能力は下手をすれば火影並だ。

 動きの速度も違えば、知っている術の量も違う。


 その上イタチはの能力を使用できる。


 の能力を全く使わずにサスケの相手をしたのは、イタチなりの弟に対する愛情だろう。

 もしもイタチがの蝶を使えば、サスケは一瞬で灰である。







「すいませんねぇ。ウチのサスケが・・・・」







 カカシはサスケの応急手当をする斎に頭を下げる。

 斎はチャクラコントロールが元々かなり得意で、綱手ほどとはいかなくても、使える程度の医
療忍術も修得している。

 カカシよりも応急処置には適任だった。






「お互い様だよ。今回はね。イタチも少しやりすぎだ。」






 兄弟間の確執については、斎も知っている。

 カカシがサスケを担当上忍に持つ前から、斎はサスケを知っている。 

 幼い頃から、イタチに憧れていながら、同時に疎ましく思うという、相反する感情をサスケは
イタチに抱いていた。

 優しい兄を慕う反面、家族に自分を見て欲しい、イタチではなく自分を認めて欲しいと強く願
っていた。

 アカデミーに入ってからも、懸命に術を覚え、イタチの担当上忍である自分になど近づきたく
はないだろうに、両親も構ってはくれないからと、恥ずかしがりながらもイタチに隠れて教えを
請いに来ていた。





 ――――――――――父さんに流石俺の息子だって言ってもらうのが、オレの目標なんだ






 アカデミー時代、サスケは笑って言っていた。

 その瞳に宿る深い孤独に、斎はすでに気付いていた。

 望まれるが故に、思想の違い故に苦しんだイタチ。

 望まれないが故に、憧れるが故に苦しむサスケ。



 相反する境遇、感情が入り乱れていくのを、斎は知っていた。

 しかし、斎の弟子はイタチだ。

 斎はイタチがうちは一族で望まれながらも思想の違いから孤立していくのを危険だと判断し、
イタチを一族から連れ出した。




 その時、残されるサスケのことを考えなかったわけではない。


 イタチを望む一族で残されるサスケがどういう扱いを受けるか、兄の代わりにはなれず、でも
自分を認めて欲しくて苦しむことはわかっていた。

 それでもイタチを優先したのは、イタチの方が切迫していたというのもあるが、やはり自分の
弟子だったからだ。


 斎も浅慮だったのだ。

 残されるサスケをもう少し気にしてやるべきだった。





「サスケも、一族から一緒に連れ出すべきだったのかな。」






 斎はいつも影からイタチと斎の修行風景を見ていたサスケを思い出す。

 仲間に入りたくて、自分も絶対的な味方が欲しくて、いつもじっとこちらを見ていた。

 アカデミーでは優秀であったけれど、あまり友達はいなかったという。

 一人苦しい想いだけ抱えて、悲しかっただろう。悩んだのだろう。







「すいません。俺がもう少しみとくべきだったんですけど。」






 なにぶん忙しくて、とカカシが申し訳なさそうに頭をかきながら言う。

 カカシは今までろくに弟子を取ったことがない。

 あまりに選り好みしすぎた結果だったのだが、だからこそ、サスケ達にかける期待は大きかっ
たし、だからこそ斎も娘をカカシに任せた。

 だが、木の葉崩しで人員が減ってしまい、任務に出なくてはいけなくなってカカシはサスケの
話を聞いてやる時間が減った。

 ここまで思い詰めたのはうまくサスケが感情をはき出せない性格だというのもあるのだろう。







「仕方ないよ。僕はイタチ一人が弟子だったけど、君四人いるんだし、」

「でも、もう少しうまく育ててあげられたら、ね。」








 ここまで思い詰めるまでに何かしてやれたら、

 カカシはそっとサスケの額についた裂傷をなぞる。


 イタチは、を傷つけたサスケが許せなかった。

 本当はサスケはのことが好きだ。イタチもそのことを知っている。
 なのに、を自分のプライド故に傷つけようとしたサスケが許せなかったのだ。

 イタチにとってプライドなんて言う物はを守るためのものでしかなく、彼はを守るためな
ら無様だろうが、どんなことでもしてみせる。


 がチャクラに食われて死にそうになった時、イタチは自分が死ぬ可能性も顧みず、のチャ
クラを肩代わりするという決断をした。 

 彼はとの未来を、自分の命よりも望んだ。

 彼にとってはは精神的基軸なのだ。




 しかし、イタチにもわかってやって欲しい。





 愛おしくてこの上ないを傷つけなければ存在意義を得られないと思い込むほど、サスケは思
い詰めていたのだ。

 そしてそれは、イタチに認められるへの嫉妬。

 イタチに存在意義を認められているに勝つことで、自分も存在意義が得られると、イタチに
認められると無意識に思ったのだ。






「カカシのせいじゃないよ。今のイタチをカカシじゃ止められないし。大怪我だよ。」






 斎はサスケの手を当てをしながらへらりと笑う。

 イタチはこうと決めると譲らないところがある。

 もしもカカシが本気で止めに入ったら、イタチも本気で応戦しただろう。

 それもサスケに対してと違って手加減などないから、カカシが大怪我をした可能性もある。






「まぁさ、人の心って難しいもんだよ。」






 斎はサスケの最後の大きな傷口を縛って、ナルトの頭を撫でる。







「ナルトくんもごめんね。」

「いや、あのさ、サスケ・・大丈夫?」

「大丈夫さ。多分ね。」







 かなりの裂傷と出血量なので、正直なところわからない。

 しばらく動けないことは間違いないだろう。

 下手すると筋に障害が残るかも知れない。



 サスケとイタチの両親への説明にも、この大怪我は困る。

 兄弟喧嘩を派手にしましたということだが、プライドの高いサスケはその敗北の事実を認めた
がらないだろう。

 未だにイタチを望みながらも思想故に疎むうちは一族への刺激にもなりかねない。

 ひとまず病院に運ばなければならないのは当然だが、回復した後どうするべきか。







「困ったな。・・・・ちょっとイタチ、手伝いなよっ!」







 斎はサスケの裂傷に薬を塗りながら、イタチを見やる。






「はい?」






 イタチはさも何かわかりませんといった様子で首を傾げる。

 をおんぶしてを宥めるという、いつもの調子に戻っている。

 彼の頑なな姿は以外を目に入れないでおこうとしているかのようにも見えた。






「サスケ病院に運ばないとやばいよ。」

「そうですか。」

「いや、そうですかじゃないよ。」






 元々生意気で自分勝手なところがあるイタチだが、最近は大人になって意地も張らず、聞き分
けもよく、自分勝手なところも影を潜めていた。

 ここに来て幼い頃に戻ったようだ。


 斎は久々に弟子のことで頭を抱えたくなった。

 だが、ここで苛立ちをぶつけては意味がない。

 サスケを殺す気はなく、手加減して相手をしたということと、限界まで痛めつけたという事実
はわかるが、イタチの心情を理解できたわけではない。

 想像で物を言って怒ってはいけない。


 怒るならばどちらからも事情をきかなければならない。






「話は後で聞こう。薬とか何か持ってない?」

「持ってませんよ。不穏なチャクラの動きを感じて慌てて飛んできたんですから。」









 薄いシャツ一枚のイタチは、手裏剣すら持ってきていなかった。

 薬どころか、絆創膏の一枚すら持っていない。

 仕方が無い。炎一族邸でくつろいでいたのに、急いで飛んできたのだ。







「良い薬でしょう、そのくらい。」






 イタチはまだ怒りの感情がおさまっていないのか、漆黒の瞳でサスケをちらりと見たが、すぐ
に興味を失ったように欠伸をする。

 最近連日仕事でイタチも疲れているのだ。






「それって、酷いってばよ。」







 ナルトが、ぽつりと絞り出すような声で呟く。







「サスケはさ、口では悪態ついてても、イタチ兄ちゃんに憧れてた。イタチ兄ちゃんに認めても
らいたいから、」






 サスケを傍で見てきたナルトには、サスケが彼に劣等感を抱きながらも、鮮烈に憧れていたこ
とを知っていた。

 里の中で誰よりも実力を認められるイタチ。

 里の人ではなく、誰よりもイタチに認められたかったのだ。


 だが、兄としてではなく、男としてのイタチは厳しい。






「だったら、俺は認められない。」






 イタチははっきりとそう言って、を抱え直す。

 それはサスケを、自分の弟を完全に突き放す言葉だった。






「今のサスケをすべてだ。俺は認められない。」

「・・・・それは、を攻撃したから?」







 悲しそうにナルトが震えた声で返す。

 はイタチの背中で思い詰めた顔で攻撃してきたサスケを思いだし、身震いをする。

 それを感じてか、イタチはあやすようにを揺らして宥めた。

 一方的に攻撃されれば、誰だって怯える。






「その通りだ。」






 イタチはナルトの言葉に迷わず頷く。

 を攻撃した。それが事実である限り、イタチはサスケを許せない。

 許せるはずがない。

 ナルトはぐっと唇を噛んで、の顔をちらりと見る。






「でも、サスケはと戦いたかったんだと、思う。俺だって、ちょっとそう思うから、」

「それが無理なことも理解しているはずだ。君は。」






 イタチは戦いが終わって初めて、ナルトに、以外の人間に笑いかける。 






「君はが、戦いをしたい人間に見えるか?」

「そ、それは・・・」

「最後まで戦いたくないと、そう思う人間だ。」






 はいつでも逃げている。戦いは基本的に大嫌いだ。

 それが仲間ともなればなおさらだ。戦いたいはずもない。

 限界まで逃げ続けるだろう。






「戦いとは一方的に相手を攻撃するんじゃない。お互いが戦おうとする意志があるから、成立す
るはずだ。」







 相対する意見の違う人間が、暴力という力で相手をねじ伏せようとする。

 悲しいことだが、戦いの定義とはそう言うものだ。

 だが、一方が拒むそれは戦いと言えるものだろうか。






「戦いたくないと逃げる人間を一方的に攻撃する。それはいじめと変わらない。戦場で、君は無
力な市民を、降参した忍を、攻撃するのか?」







 戦争で犠牲になるのはいつも一般市民や、戦う意志のない人だ。

 戦う意志のない者まで襲っているのでは、それはただの暴力に違いない。

 もちろん全ては暴力ではあるけれど、大義名分すらない暴力をイタチは認められない。 






「俺はサスケの兄だが、暗部の分隊長として、ひとりの男として、そういうただの暴力で、守り
たいと願ったが傷つけられそうになったのを、許すことは出来ない。」








 ナルトははっきりと言い切るイタチを見上げる。

 そこにある漆黒の瞳は、サスケに兄としてではなく男として向き合った、真摯な姿勢がある。

 ただサスケに対して手痛い仕打ちをしたわけではない。






「生意気言って、ごめんなさい。」






 ナルトは素直にイタチに頭を下げる。

 傷つけるだけ傷つけて、突き放すなんて酷いと思ったけれど、やっぱり彼はサスケの兄で、
の最愛の人だ。





「ひとまず、運ぼうか。」





 話が一段落ついたところで、斎はカカシに声をかける。

 傷に響かないようにサスケをカカシの背中におわせた。

 病院へ運ばないと、応急処置は出来てもやはりだめそうだ。






「俺たちはナルトくんを送ってから、先帰りますから。」






 イタチは相変わらず淡々とした調子で言うと、斎からの返事も待たずに踵返す。

 斎はそんな弟子の背中を見送って、ひとつため息をついた。

 

 














( 業を負うもの )