が熱を出したのは家に帰ってすぐのことだった。

 斎はサスケの付き添いのために 病院に行ってしまったため、屋敷にはイタチしかいない。

 仕方なく、イタチはの足の捻挫を見てから、の薬を青白宮の屋敷まで行ってもらってきて
に呑ませた。

 気持ちが高ぶっているのかやはり落ち着かないらしく、イタチにしがみつくように寝転がって
いる。



 同じ褥に横たわって、イタチは落ち着かない彼女の背を数時間なで続けたが、珍しくなかなか
寝付かない。

 が眠った時には、夜中を過ぎていた。

 彼女が深く眠っているのを確認して、イタチは身を起こす。

 御簾越しに外の様子をうかがうが、庭には松明が焚かれているだけで、それ以外は真っ暗。

 今日は月が出ていないようで、部屋の中はただ松明で揺れるだけだった。






「暗いな、」






 小さくひとりごちて、イタチは御簾を上げて庇に出る。

 夏だが少し涼しく、庭の向こうで松明が揺れていた。

 たまに、庭にある池で魚がはねる音がする。

 イタチは穏やかにそれを聞きながら今日のサスケに対する仕打ちを考えたが、酷いことをした
と思っても、やはり後悔はなかった。





「ただいまーー、」





 しばらくすると斎がふらふらしながら庇を歩いて来た。

 の様子が見たくてわざわざ東の対屋に来たのだろう。





「先生、お帰りなさい。」





 疲れた様子の斎に悪いとは思いながらも、イタチはふっと笑う。





「あぁ、サスケは大丈夫だったよ。」





 イタチの隣に腰掛け、斎は言う。

 出血量は多かったし、筋がやはり足では切れていたので完治に時間はかかるが治らないことは
ないと医師が言っていた。

 だが処置に時間がかかって、結局夜中過ぎまでかかってしまった。



 うちはの両親は理由を聞かなかったが、それなりにわかっているようだ。

 彼が治ったらしばらく炎一族邸―イタチやの住まう東対屋ではなく、斎の住まう寝殿か青白
宮の屋敷で預かれないかと尋ねた。


 フガクは当然渋ったが、母親であるミコトはサスケの焦燥に何となく気付いていたようだ。

 少しお願いしますと控えめながら言われた。

 疲れて帰ってこれば、今度は侍女達にが熱を出したと聞かされたのだ。






が熱を出したようだけど?」

「大丈夫ですよ。少し寝付きは悪かったんですが、今し方眠りました。」







 イタチはの寝顔を思い出して穏やかに返す。

 斎は娘のことにほっと息を吐き、それからイタチを見た。

 侍女が起きているイタチたちにわざわざお茶を持ってきてくれる。

 夏場なので寒いほど涼しいわけではないが、温かな緑茶は有り難かった。





「大変な一日だったね。」

「そうですね。」






 疲れた顔の斎に、イタチも素直に頷く。






「イタチは、良かったの。あれで。」

「良いんですよ。アイツはいい加減にお兄ちゃん離れするべきです。いろんな意味で。」







 を襲った時のサスケに、おそらくイタチが出てくるとか、怒られるとかそう言った感覚はな
かっただろう。

 実際、アカデミーを出てからサスケとイタチは目立った喧嘩はしたことがなかった。

 イタチとてサスケをおちょくることはあるし、戦いについては厳しいことを言うこともあった
が、常の時には喧嘩をしても大抵はイタチの方が退いていた。


 彼の頭には、イタチが激昂するからやめておこうという感覚は無かったようだ。

 いつものようになぁなぁで許してくれると思っていたのかも知れない。


 だが、イタチにだって譲れない物がある。

 譲れない人がいる。


 兄ではなく、一人の男の自分もいることを、いい加減に知らせておくには良い時期だったのか
も知れないとも思う。

 また、自分にこだわらないためにも。







「俺はもう、うちは一族に帰る気がありませんからね。」









 イタチは苦笑してお茶をすする。

 帰るのはの元だと決めてしまった。

 サスケの前に立ちはだかっていたイタチはもう、二度と一族には戻らない。

 心の中でどこかで前のイタチで、いつも笑って、なんだかんだ言っても親の言うことを許すイ
タチを、思い出していたのかも知れない。


 けれど、もう違うのだ。






「俺は、ここで生きると、決めた。」





 の正式な婚約者になって、一族に認められて、扇宮の位をもらって、と共にうちはではな
く炎一族を治めていく。

 それがこれからのイタチの未来だ。

 もうとっくに、道は分かたれたのだ。 






「だから・・・・・」






 どういう形であれ、彼は彼の強さを見つけ、焦燥を乗り越えていかなければならない。

 斎は静かにイタチの言葉を聞いていたが、困ったように眉を寄せ、イタチを見た。






「でもね、イタチ。僕は兄弟って言うのがいないからわからないけれど、君が思う以上に、下の
子は上の子に依存しているんだと思うよ。」





 斎には兄弟はいないが、蒼雪には兄である青白宮がいて、姉がいて、弟がいて、妹がいる。

 家を継がず、別の場所で暮らす青白宮を困ったことがある度に訪ねる妻の姿を、当初一人っ子
の斎は理解できなかったが、今思えばサスケと同じ気持ちだったのかも知れない。

 一人っ子の斎や長男のイタチには、生まれた時からずっといる年上の存在というのが、根本的
に理解できないのだと思う。






「例えイタチが不快に思っていても、突き放したいって思っても、サスケは、昔に戻りたいんだ
と思うよ。」






 隣に兄が笑っていて、自分の傍にいてくれて、悔しいながらも兄の背中を目指す。

 そう言う日々を望み、想像していた。

 突然変わってしまったから、歪まずにはいられなかった。

 不安に思い、昔に戻りたいと思ってしまった。





「サスケは、にヤキモチを焼いているね。」





 斎はサスケの表情を思い出して言う。





「今までは体が弱くて、イタチを独占するって言っても外までは出てこなかったから、サスケ
もきっと、イタチを取られたって感じずにすんだ。でも、今は立場がかわってしまった。」






 家や外ではイタチを独占できたサスケは、イタチがの家に家出し、がイタチにチャクラを
肩代わりしてもらって、外に出られるようになって、外でも、家でもイタチを独占できなくなっ
た。



 いつも、がいる。

 の傍に、イタチがいる。

 兄がいなくなっただけでも衝撃だったのに、大きな戸惑いがあっただろう。






「もちろんイタチもわかっているとおり、サスケはが好きなんだろう。でも、それがよくわか
らなくなるくらい、イタチのことが、大好きなんだよ。」






 生まれた時から自分の前にあった、疎ましいけれど頼りがいのある存在。

 失ってしまった大きさは、兄のイタチにはわからないけれど、計り知れないくらい大きい。






「ちょっと、考えてあげなよ。」







 くしゃりと、斎がイタチの頭を撫でる。

 その手をイタチはおとなしく受け入れた。

 初めてであった時も、こうして頭を撫でて、抱きしめてくれたのを覚えている。



 一人だった。




 常に同年代の、否、比べられる誰よりも上に立つことを求められた。 

 羨望のまなざしで見つめてくる弟も、可愛くとも他者や大人と同じだった。

 期待、羨望、その視線はいつもイタチに注がれてきた。


 後ろを振り返ったことはない。

 振り返ればそこには仲間すらおらず、ただ闇が広がっていたから、絶対に振り返らなかった。




 前も見たことはない。

 失敗をして庇ってくれる人は誰もいなかったから。



 上だけを目指していた、






「俺には、先生とがいますから・・・・」






 今は、前には斎が、後ろにはがいる。

 どんなに悪いことをしても、失敗しても、師である斎が庇ってくれて、どんなに怖いと思って
も、悲しみを抱えても、がいるから退けないし、全てが終われば彼女が優しく抱きしめてくれ
る。



 笑ってくれる。




 そうやって、イタチは今も上に向けて、前に向けて進んでいる。

 それは間違いなく師である斎の与えてくれた物だ。

 今度はただ守られるのではなく、役に立ちたい。

 力をつけて、他者より優れた人間となり、上を目指すだけではなく、斎の力になりたいと、本
気で今は思う。


 だからこそ、今やっと力になれているから、嬉しいと思える。


 の隣にいて、一緒に笑えるから幸せだと思える。






「いたちぃ…・」






 御簾がゆっくりと上がり、が寝ぼけ眼の目をこすって出てくる。

 本当に眠たそうな様子に、イタチは思わず笑みを漏らした。

 ずるずると枕を引きずっている姿がまだまだ子供だ。






「どうした?」

「イタチいなかったから…」





 は鼻をすすって、涙目でイタチに訴える。

 寂しかったらしい。

 怖い夢でも見たのかも知れないと、そっとの手を握ると、躯の力を抜いてふらりとイタチの
胸に倒れ込んだ。


 眠い、寂しい。


 本能と理性との間でゆらゆら揺れるまなざしは、今にも閉じてしまいそうだった。






「いたちぃ…」






 甘えるようにイタチの胸に頬を寄せるの姿に、斎はぷっと吹き出す。






「まったく、は本当に甘えたさんだなぁ。」






 イタチに抱きしめられるの頭を斎が撫でると、奇声を上げてイタチに強く抱きついた。

 眠いから邪魔するなということらしい。

 いつもはハの字の眉が少しだけ上がる。





「もう遅いから眠りましょうか。」







 イタチはを抱き上げ、斎に笑う。

 その表情は僅かに晴れてはいなかったが、斎の言い分を納得したようではあった。

 



( すべてを認めること )