「起きた?」
優しい声音が響く。母親のようで、それでいて低い声。
「斎、さん?」
「うん。」
サスケが目を開くと、そこには斎が心配そうな顔でこちらの顔をのぞき込んでいた。
周りに目を向けると病室なのか、白いカーテンと白い壁が目立つ。
もう夜は過ぎ去り、昼間なのか日が明るい。
「しばらく、眠っていなかったんじゃない?よく眠っていたよ。」
斎はサスケの意識が戻ったのを確認して、小さく息を吐き、中途半端な長さの紺色の髪をかき上げた。
体を起こそうとあがくが、サスケの体はほとんど動かない。
体中に傷があり、それが熱を放っている。
「…動けないだろう。多分2週間は安静だよ。」
斎が目を伏せてそう言う。
それでサスケは思い出した。
「負けたの、か。」
「そうだね。」
斎は柔らかながらもあっさりと頷いた。
完敗だった。
今までやってきた努力なんて無意味だったとでも言うように、何も歯が立たなかった。
「…なんで、」
やりきれない。
その思いは一族を捨てて自分の恋を追いかけたイタチへの憎しみと、イタチを超えたいという渇望へと姿を変えた。
強くなりたいと思って、なのに、周りが徐々に追いついてくる。
ナルト、。
今まで目標として入れたこともないような人物が周りから認められていく。
なのに、自分は周りから認められず、おいて行かれる。
彼らと自分の優越は、強さであるはずだ。
彼らより強ければ、彼らより認められるという単純な考えは、によって、否定された。
―――――――――人を傷つける強さで、認められるなんて、そんなの違うよ!
は真っ向からサスケを睨み付けてそう言った。
いつも控えめで病弱で、ただイタチの隣で笑っていただけのが、サスケの前に攻撃の姿勢すら見せず、それでもたちふさがった。
サスケはを恐れていた。
自分を超えた力を持ち、それを認められるを恐れた。
だが、彼女は最初から何も恐れていなかった。
サスケなど、見てすらもいなかった。
それが恐ろしくてたまらなかった。
サスケはこれほどに他者から認められることを渇望しているというのに、彼女は何も求めていない。
―――――――――わたしは、傷つける強さなんて、いらない。
紺色の瞳には、いっぺんの曇りもなかった。
ただ、まっすぐにサスケを見据え、自分の正しさを信じていた。
それは迷うサスケをあざけるようですらあった。
「なん、で、」
サスケは霞む視界に問いかけた。
「なんで、オレはここにいるんだ?」
うちは一族を嫡男であるイタチが捨てた時点で、次男であるサスケが将来的に一族の代表者となるのは、当然のことだ。
だが、一族は未だにイタチを望んでいる。
サスケがいなくなれば困るはずなのに、イタチを望んでいるのだ。
サスケにイタチの姿を重ねて、出来ない、使えない奴だと平気で言う。
イタチは逃げた。
次男であるサスケがいるから、逃げることが出来た。
でもサスケはもう、逃げられない。
一族を率いる立場に立つべきだと育てられながら、イタチを望む一族の中で、その葛藤と共に逃げ場所すらもなく生きていかねばならない。
「オレは、どうすれば良い?」
相談する相手も、誰もいない。
兄であったイタチは失ってしまった。
ライバルでもあるナルトに弱みを見せるなんてまっぴらだ。
も傷つけた。師であるカカシに対しても、抵抗があった。
ただ座って聞いていた斎は困ったような表情でサスケを見ていたが、軽く小首を傾げてと同じ紺色の瞳でサスケを見た。
「…逃げたいの?」
柔らかな光を宿す瞳に問われて、サスケは言葉が出なかった。
「逃げても、良いかもしれないね。僕は逃げたことがある。」
「え?」
「本当に、任務も放り出して逃げたことがある。」
彼は、サスケに意外な告白をした。
サスケの知る限り、斎の経歴は鮮やかだ。
幼くして上層部から予言の力を必要とされて取り立てられ、10代で暗部に名を馳せ、4代目火影が就任した際にはその右腕として働き、炎一族の女宗主と結婚し、その後も後進の指導に全力を注ぎ、幾度となく火影候補に挙げられながらもそれを自分の信念から断り、上層部からも火影や上忍からも一目を置かれる。
天才の名を恣にし、30代にして火影の次に権力を持つと言われる木の葉の重鎮の一人だ。
その経歴には、一点の曇りもないように思っていた。
目を丸くするサスケに、斎はふっと笑った。
「僕は、超人じゃないんだよ。」
当たり前のことだ。
天才とはいえ同じ人間なのだから、
なのにその当たり前のことを、サスケはすっかりと失念していた。
「君と同じで、僕はいる場所を選べなかった。気づけば上層部に求められるがままにたくさんの人を殺してきた。」
幼い頃から上層部に出入りしていたというのは、確かにコネクションを作る意味では重要だったが、同時に選択権を与えられなかったと言うことだ。
ましてや斎のように予言の一族に生まれてこれば、生まれた時から上層部との関わりを持つのは当然のことだ。
あまりにも当たり前に、彼は道を選ぶことなく決められていた。
「僕はもう逃げられない場所まで来ていたからね、だから、どうやって前を向けば良いかを考えたよ。」
自分のいる場所の中で、どうやったら自分が前を向けるのか。このまま進んでいけるのか。
考えて、考えて、でもやはりだめだった。
「くじけて、全部放棄して。1週間ぐらいボイコットした…もっとだったかも?」
軽い調子で斎は言うが、きっと軽い心持ちではなかっただろう。
彼が持つ透先眼は千里眼の効用を持つため、何かと任務に引っ張りだこになるし、作戦立案には常に彼が必要だ。
そんな簡単にボイコットできる人材ではない。
仮に1週間だったとしても、里はパニックに陥っただろう。
斎はだらしない行動をしていながらも部下に優しい。
日頃はサボったりしていても、本当に迷惑がかかるところでは絶対にそう言った行動はしないし、怪我をしたり何かあった時は頼りになる上司だ。
それを考えれば、よほど苦しかったのだと思う。
周りがどうでも良いと思えるほどに、苦しんだのだ。
「でもね。一つだけ言っておくけど、流されると決めたのも、僕なんだよ。」
人から与えられた環境は、確かにたやすい。
たやすく流され、まるで無理矢理に与えられたかのように勘違いしがちだ。
だが、努力すれば本来ならそこから逃げ出すことが出来る。
サスケがすべて放り出しても良いと思えるのならば、逃げるというかたちで労力を使うのならば、可能なのだ。
それをしないで流されるという選択をしたのも、自分、だ。
「…それは、オレを責めてるのか…?」
サスケは天井を見上げたまま、斎に問う。
この状況を選んだのも、自分だと、言うのだろうか。
斎の言葉が受け入れられず、サスケは彼の言葉の意味をとりかねた。
彼の言葉は常におおむね正しい、だからどういう意図があって言われているのかが理解できない、否、理解したくなかった。
サスケの周りにある状況は兄の家出が生み出した不本意な状況で、自分のせいではない。
そう思うからこそ理不尽を我慢し、兄への憎しみや恨みと共に、耐えてきたのだ。
「…考え方は、いろいろだと言うことだよ。でも、自分を変える方が、簡単だという話。」
他人を変えるより、自分を変える方が簡単。
斎はそれ以上サスケに理解を求めず、困ったように笑って見せただけだった。
サスケは解消されない焦燥とわからない彼の言葉に苛立ちを覚えて、身を起こそうとする。
だが、体は動かなかった。
「イタチに怒られた意味を、よく考えることだ。手段は、目的ではないんだよ。」
斎はベッドの近くの椅子から立ち上がり、病室の扉の方へと向かう。
「まず、イタチの怒りの意味を知ることだ。間違いは誰にでもある。ナルト君はとても君を心配していたから、すぐにやってくるだろう。カカシにも、怒られなさい。」
そう言って、彼は病室を出て行った。
サスケはぼんやりとその背中を見送っていると、入れ替わるように、カカシが入ってきた。
「斎さん、何か言ってた?」
彼は相変わらずの片目でサスケを見たが、軽い調子を見せる。
ナルトとサクラも後ろにいて、心配でたまらないという顔をしていたが、今は正直は会いたくなかった。
彼らはを攻撃したサスケのことも、わかっているはずだ。
「別に、何も。」
サスケは結局素っ気なく返した。
カカシはあからさまにサスケにため息をついて見せてから、先ほどまで斎が座っていたベッド近くの椅子に座る。
「これ、果物だから、元気になったら食べなさい。」
一応見舞い品を持ってきたらしい。
その隣にナルトが無言でカップラーメンをおいた。
サクラは花を置く。
サクラはともかく、ナルトはライバルでもあり、彼の心遣いを素直に受け取れるほど今のサスケは心穏やかではなく、ぎりりと奥歯をかみしめる。
「イタチの過激なお怒りを受けたらしいね。」
カカシはさらりと言ってのけた。
サスケが眉を寄せても、彼の態度は一向に変わらない。
逆にナルトが焦るような表情をする。
「…とイタチのことを、誰も話したことがなかった気がしてね、だから話しておこうと思って。」
カカシは僅かに鋭い表情を見せて、サスケを見る。
「も?」
ナルトが首を傾げる。
「そうだ。のことを知らなくては、イタチの怒りの理由が分からないからね。」
を攻撃して、イタチにぼろぼろにやられた。
そのすべての根源は、にある。
カカシは不思議そうなナルトに黙れと言うように、しかしくしゃりと宥めるように頭を撫でて、口を開いた。
理
( すべてのものの理由 そして、所以 )