サスケが謝りに行くと、は体調が悪いらしく自分の住まいである東の対屋の寝台にいた。体調は先日までそこそこ回復していたらしいが、昨日突然夜に熱を出したらしい。




「…ごめん。」




 一言そう言うと、彼女は首を振って「わたしこそごめんね。」と悲しそうな顔で返した。

 意味がよく分からなかったが、彼女が自分のことに関して気に負っているのだけはよく分かった。だが、彼女は悪くないはずだ。

 サスケが勝手にを攻撃をして、イタチに怒られてぼこぼこにされた。事の発端はサスケが問答無用でを攻撃したことなのだから、が謝る必要などこれっぽっちもない。







「…なんで、おまえが謝るんだよ。」





 何か酷くそれが不満で、サスケが怒ると、彼女は俯いた。




「だって、色々…わたしのこととかも、」

「…それは、親父たちが話さなかったんだ。」




 が病で死にかけていたことは知っていた。しかしその病がチャクラが多いためだとか、それをイタチが命をかけて肩代わりして、だからイタチが許嫁になったとか、そういった事情をサスケは知らなかった。

 だがそれもが悪いのではない。サスケが幼いからと思って話さなかった父親たちが悪いのだ。に罪はこれっぽっちもない。

 それに、サスケとてどこかで知っていた。

 イタチは昔から師である斎と、のことになるとサスケを放り出した。多分、ふたりはイタチの中の血のつながりを超えた『特別』なんだろう。心のどこかで、それを疎ましく思っていたのも、事実だった。




「うん。でも、ごめん。」




 けれどやっぱり、は謝罪を口にした。サスケが眉を寄せると同じ言葉を反芻する。




「わたし、はしゃいでたんだ。いろいろなことが出来るようになって、嬉しくて。少し成長したような、気がして。」

「それは、」





 誰が見ても、事実だろう。

 サスケから見ても、は成長した、一年半前、病弱で外にも出られず、一週間をほとんど寝台の上で過ごしていた彼女に比べれば、その成長は誰もが想像しなかったものだ。




「外に出られるのが、その、嬉しくて、イタチがいてくれて、すごく、幸せだから、はしゃいで、多分、サスケを思いやってあげられなかったと思う。」




 はふわりと笑う。その笑みにサスケは目を丸くした。それはよく見たことのあるものだった。

 幼い頃から身体が弱かったは、外に出る機会も少なく、ほとんど屋敷の中で過ごしていた。端から見れば、不幸だった。東宮として生まれながら、なんの力も行使できず、ただ身体も弱く、死を待つだけの存在。

 どうしては外に出られないんだろうと、サスケは幼心に何度も思った。病だとわかっていても、もっと外に出て、いろいろしたいんじゃなかろうかと思った。

 でも、いつもは『良い子』だった。

 自分が熱を出しても両親は任務に出かけていく。追いすがったりはしない。弱音を吐いたりはしない。苦しそうに息を吐きながら、ただ御簾の間から見える外だけを見て、生きていた。彼女の世界は小さいけれど、ただ、いつも笑っていた。

 小さな手は同い年のサスケよりもいつも小さかった。身体も小さく、容姿も幼かった。

 外に出ず、勉強も身体が悪くまともに出来なかったため、言葉は非常に拙く、言動はいつも幼く、子供だった。けれど、死にゆく彼女は大切な人が自分に何を望んでいるのかをいつも知っていた。


 終わりが近いことも、分かっていた。誰よりも知っていただろう。でも。 



 ――――――――――だい、じょうぶ、だよ?




 そう言って、いつも彼女は笑っていた。苦しそうな息を吐きながらも、いつも笑っていた。不思議だった。苦しいだろうに、病で頭が痛くて、しんどいだろうに、いつも彼女は笑っていた。少し体調が良くなってと遊ぶ時、何をしても、ゲームに例え負けたとしても、は楽しそうだった。




 ――――――――――は、いつもとてもたのしそうだよね。




 兄に、ぽつりとそう言ったことがある。するとイタチは酷く悲しそうな顔をした。




 ――――――――――そう、見えるのか。




 呟くような、小さな声で彼は言った。それが酷く不自然で、でも彼のその悲しげな表情の理由も分からなくて、それからはの表情を窺うようにした。

 それで気づいたのは、彼女がすべてを知っていることだ。

 は弱くて、すぐに儚くなってしまう命だった。誰もがそれを理解していたし、幼い自身も、それは例外ではなかった。でも、両親の心を、自分を大切にしてくれるすべての人の心を知っていた。

 斎はに甘い、皆そうだ。

 そんなある日、斎に聞いたことがある。どうして怒らないのかと。彼は言った。に何も求めていない、ただ笑って人より短いであろうその人生を、最期まで幸せだったと、楽しく生きてくれれば良いと。


 諦めるしかなかった。

 おそらく、は両親や、自分を大切にしてくれている人たちの願いを知っていた。それを守るために、笑っていた。それに気づいた時、サスケの方が泣きそうだった。

 辛くないのか、寂しくないのか、そんなの誰だって感じる。同じことだ。

 ただ、他人のために、それをひたすらに我慢していただけ。自分の短い命で、大切な人たちの心を、守っていただけ。




「…おまえは、変わらないんだな。」




 の我慢と、悲しみに気づいた時、サスケはのことを好きになった。儚さとともに、強さを持って笑う姿が好きだった。

 あの遠い日の感情を、サスケは嫉妬故に追いやった。

 は強くなった。能力を使えるようになって、忍びとしての技量もどんどん成長している。でも、今も心は変わっていない。笑って、笑って、誰かを責めることは絶対にしない。自分を戒めて、ただ、自分が変わっていくことで、笑って生きていくことで、他人にかける苦しみを減らせるように、他人が心地良いようにと願う。その姿勢は多分今も何ら変わりない。

 は、何も変わっていない。変わったのはサスケだった。




「なんで、オレはこんなに歪んだのに、おまえは変わらないんだろうな。」





 劣等感に揺れる日々、アカデミーに入ってから、そして卒業して下忍になってからも確実に増えゆくそれを御する術すら知らず、歪んでいく。

 自分で分かりながらも、力を求めていく。止められない。




「わたしは、少しずつ変わってるよ。でもみんなを大事に思う気持ちは変わってない。」





 は静かにそう返した。

 考え方やものの見方は少しずつ変わっているのだとも思う。だが、大切なものは変わっていない。自分に無償の愛情を与えてくれる両親。イタチ。無条件で守ってくれる一族の人々、優しくしてくれた友人たち。

 きっと人が殺せるようになっても、は彼らを守ることだけは絶対に忘れないだろう。

 それがの原点。常に揺るぎなく存在し続ける、大切な人々が、逃げ出したくなるの足を厳しい場所に引き留め、時には背中を押す。

 焦りたくなる気持ちを引き留める。




「だから、おまえは違うんだな。」





 サスケはぐっと唇を噛んだ。

 確かに両親は大切に思っている。でもその反面兄しか見ておらず、自分に目を向けてくれないことに不満を覚えていた。イタチを敬愛しつつも、彼が常にを向いていることが不満で、また、彼の才能に酷い劣等感を抱いていた。

 歪んだ感情は膨らんでいく。

 のように純粋に両親を思うことなんて、誰かを思うことなんて出来ない。そこには嫉妬とすべてが介在している。多分サスケのに対する気持ちだって一緒なんだろう。

 嫉妬や負の感情、歪みがサスケを駆り立てる。誰かより優れていると証明しなければならないと、




「…、」




 そして誰よりも優れていることを必要とされていることを、理解している。

 一族は未だにイタチを望んでいる。すでに心がうちは一族にはない、イタチだけを望んでいる。涙が出るほどサスケはそのことを理解していた。

 どうしたら良いのか、自分でももう分からなかった。




( それは違える道の前 )