イタチがうちは一族から帰ってくると、寝殿に明かりがついていた。

 寝殿にいるのは今日は斎だけだ。蒼雪は確か、任務で今日はいないと聞いている。夜遅くまで起きているから、多分朝起きられず、寝坊するのだ。イタチは息を吐いて寝殿の御簾を上げる。




「何、やってるんですか?」




 中をのぞき込むと、斎は可愛らしいパジャマを着て寝っ転がったまま、足をぱたぱたさせて本を読んでいた。彼の隣にはお盆に盛られた大量のクッキー。そしてマグカップ。




「…」




 だらしない、と言う言葉をイタチは思わず心の中に思い浮かべる。イタチの父が見たら真っ青で怒鳴られるだろう。




「あ、おかえり。」




 斎は起き上がろうとすらせず、くるりとイタチの方を向く。




「えぇ、何してるんですか。」

「なにって、読書。」




 本をひらひらとさせてみせる。イタチはため息をついて、明日は任務なのにと思った。



「イタチ、早く寝なよ。」

「先生、起きてるじゃないですか。」

「僕は良いんだよ。」




 自分を棚に上げてあっさり、斎は近くのクッキーを手で摘む。それきり、別段イタチに何も言わない。





「…何か、聞かないんですか。」





 イタチは腕を組んで柱にもたれた。

 今日、うちは一族にイタチは行っていた。最近は頻繁に戻っている。この間まではを連れて行っていたが、今では単独でもよくある。それを斎とて知っているはずだ。イタチは炎一族に来てからも、当然だがうちは一族と繋がっている、そんなことは知っているはずだ。

 今、うちは一族と炎一族の仲が明らかに悪くなって、イタチのその行動は不利に働いる。

 知っているくせに、彼が何も聞かないのは、少し不可解だった。何となく落ち着かず、イタチは斎に眉を寄せる。




「聞いてほしいの?」





 斎が言ったのはそんな言葉だった。





「いや、聞いてほしいかって、今は確かに聞いてほしくないですけど…」

「なら良いじゃないか。」




 イタチが視線をそらせば、斎はあっさりと引き下がった。そのまままた、クッキーに手をつけ、本のページをめくる。

 あまりの素っ気ない様子に思わず複雑な表情を浮かべれば、斎はイタチの方にクッキーを放り投げる。それをイタチが受け止めると、斎は口を開いた。




「うちは一族が何をしようとしようが、僕は変わらない。」




 足をぱたぱたさせながら、イタチを見ること無く言う。




「だから、聞かない。」 




 うちは一族が何を望んでいようが、斎の精神性が変わるわけではないし、斎の結論は変わらない。

 斎は目の前のことしか見ていない。

 目の前の大切な娘、妻、弟子。そういった目の前のことしか見ていない彼は、大方短絡的でふらふらした人物だと思われがちだ。しかし彼は大局的なものの見方を出来ないわけではない。彼は彼として確固とした意志と意見がある。

 それは彼が目の前のことしか見ていない割に、あまりに強く、動かない。

 多分彼にとってうちは一族が何を目的にしているかを分かっている上、自分がどうするかも変わらないから、何をしようとしていようが、それに対して対処するだけだから、聞かなくても良いと言うことなのだろう。

 でも、とイタチは思う。




「俺が何をしているかは、聞かないんですか?」

「だから、聞いてほしいの?」

「否、まぁ、そういうわけじゃないんですけど。聞かれないのも落ち着かないって言うか。」

「何それ。聞いてほしいなら聞いてあげるけど、聞かないでほしいなら聞かないよ。」




 斎は初めてイタチの方を向いて、身を起こした。

 紺色の瞳がじっとイタチを見据えている。透き通った瞳は、によく似ている。否、彼が親なので、が似ているといった方が正しいのか。イタチはこの夜闇色の瞳以上に純粋な色を見たことがない。





「気にならないんですか?」

「気になるに決まってるでしょ。イタチは僕の可愛い弟子なんだから。でも聞いてほしくないって言うなら別に良いし、どのみち聞いても変わらないよ。」




 斎はあぐらの上に片肘をついて顎を置く。




「裏切ってたら、どうするんですか?」




 イタチはの能力を使用することが出来る。唯一、炎一族の宗主に反旗をひるがえすことが実力的に可能なのだ。それは斎とて理解しているだろう。




「だったとしても僕は構わないよ。全力で止めるし、それでも僕は君の味方だと言うだけの話だよ。」





 斎は別に驚くそぶりも見せず、軽く首を傾げて見せた。紺色の髪がさらりと揺れる。




「先生、貴方はお人好しすぎます。」




 イタチは自分の師ながらもそう言わずにはいられなかった。

 確かに信頼してくれるのは嬉しい。でもそれがいつかを傷つけるかも知れないとすら思う。けれど、困ったように斎は笑った。




「君を弟子にした時に誓ったんだ。どれだけ裏切られても、絶対に味方でいようって。」




 それは斎が昔、弟子を取り始めた頃に思ったことだ。

 裏切られても、味方でいてやろう。全身全霊で怒って止めはするけど、味方でいてやろうと、心に決めた。それは斎のエゴだった。




「別にそれ自体を気にしなくても良いよ。でも、僕の両親はそういう人だったし、僕がそうしてほしかったんだ。」





 斎の両親は忍界大戦の折に相次いで亡くなった。

 斎が12,3歳の時だったと聞いている。両親共に亡くなり、孤児になる子供も多い時代だったが、斎は既に忍びとしてしっかりとしたキャリアを持っており、生活には遺産もあったため困らなかったという。ただ、お坊ちゃんで育っていた斎にとって、両親の死はショックだったと、前にイタチも聞いたことがあった。




「僕は困ったさんだったからね。でも、いつも味方でいてくれて嬉しかったから、僕も子供が出来たら、そうしようって決めたんだ。」




 斎はかなりの問題児だったと言うから、両親はいろいろな大人たちから責められることがあっただろう。それでも常に自分の側に立ってくれた。それを信じて、疑わなかった。

 愛されていることを、疑わなかった。




「優しくされないと、優しく出来ないもの。」




 斎はいつもそう言う。だから悪い人にでも優しくするのだと、笑う。

 自分がもらわないと、他人に与えられない。だから人を傷つける方法しか知らない。そういう忍はたくさんいる。だからこそ、斎は他人に優しい。




「裏切ったって良いよ。でもね、忘れないで。」





 斎は柔らかにイタチの頭を撫でる。




「僕はいつでも君のことを大切に思っているよ。」




 裏切られても、それでも自分の愛おしいと思ったものを愛している。彼らの幸せを願っている。その揺るぎない心があるから、斎は何があっても歩いて来た。




「だから、裏切っても困ったらいつでもおいでよ。」





 斎は内緒話をするように人差し指をたてる。イタチは目を丸くして、それから少しむっとした顔をして斎を睨んだ。








「馬鹿なこと言わないでください。俺はこれからも先生の元にいます。」




 裏切れるわけがないのだ。

 自分のために簡単に命を捨ててくれる人、名誉でも何でもなく、ただ無償の愛をくれる人。その愛をイタチに信じさせてくれた人。




「俺はここに、大切なものを持ちすぎてるから。」




 斎や、炎一族の人たち、里の忍びたち。

 うちは一族以外の所に、イタチは沢山の大切な人を持っている。だから、彼らを裏切ることなんて出来ないと、心の中で何度も繰り返した。
( 大切なひとに いろいろなものを委ねること )