の家に本を借りに行ったサスケを迎えたのは、珍しく斎だった。





「ごめんねー、はちょっと綱手様の用事に行っちゃったんだよ。」







 斎はそう軽く言って、サスケを中に通す。

 イタチの担当上忍である彼のことを、サスケも幼い頃からよく知っている。優しい人物で、軽くてつかみ所のない人。

 少し苦手に思っていた。でも尊敬している。





「これこれ、」





 寝殿の一室の書庫には、沢山の本の中から、一冊を出してくる。





「メモとか挟まっていると思うけど、僕が見てたからごめんね。」





 斎は笑ってサスケにそれを渡した。



「…どの程度再現できるものなんだ?」





 サスケは正直疑問に思って尋ねた。

 に頼んでいた珍しい忍術の本だった。他国の忍術が沢山書かれているその本は元は何代か前の宗主が他国を旅して書いたものらしい。日記形式になっており術の再現自体は難しいが、珍しい品であることに変わりはない。





「うーん、3割かな。血継限界を持っている人の術は基本無理だからね。」





 斎は書いてある術の再現をやはり試したことがあるらしく、困った顔をして答えた。

 基本的に血継限界を持っている場合、血継限界をベースにした術が多い。要するに術を行使する最低条件が血継限界であり、そういったものの再現は不可能だ。





「僕基本的に、勉強って嫌いだし?ま、わからないところがあったら言ってよ。炎一族の本は一応そこそこ網羅したから。」







 斎は苦笑しながら、本をサスケの頭に載せる。仮に再現できなくても、術の存在を知っていれば対処法も考えられるので無駄ではない。






「ってことは、俺には5%も再現できないな。」







 サスケは息を吐いて本を受け取る。古い本はそれでも埃を被ってはいない。斎は古い術の研究に熱心だったと聞いている。

 それでふと気がついた。





「もしかして、あんたが術の研究に熱心だったのって…。」

「あぁ、のためだよ。」





 あっさり、斎は笑った。

 の病はチャクラがあまりに大きすぎて身体機能を潰すということで、チャクラを押さえれば事足りる。問題はの血継限界が他人のチャクラを燃やすことだ。術をかけても、すぐに解けてしまう。

 その対処法を斎はが生まれてからずっと探していた。

 それは先ほどの彼の言葉に示されている。彼は勉強が嫌いでゲームや漫画ばかりしていたと話を聞いている。その彼が炎一族の術のほとんどを網羅している原因は、ただを助けるためだけだった。





「あんたはどうして、里の中で上を目指そうとしないんだ?」





 サスケは顔を上げて斎を見る。目の前にある紺色の瞳は、不思議そうにサスケを見返していた。





「望めば、火影にだってなれるだろ?」





 火影候補には長らく彼の名が上げられている。30代という年齢は確かに若いが、四代目火影の前例と彼の能力を考えれば若すぎると言うことはない。




「上を目指す理由って、なんだい?なんのため?」





 もの凄く不思議そうに、斎はサスケに問い返した。





「君は賢いだろうから、僕の話ももう理解できると思うけど、あのね、強さとか地位って言うのは所詮手段だよ。」







 何かを手に入れるための手段が、強さである。地位も同じだ。





「その先の目的が重要なんだよ。何をしたいかって言う話。」





 何を欲するかが重要なのであって、別に地位を手に入れること自体が重要なのではない。ナルトが火影になりたいと願うのだって、それが里で一番の忍びの証であり、皆から認められるという目的があるからだ。





「僕の目的はと雪が、大切な人たちが、守れればそれで良いんだよ。それ以上でもそれ以下でもない。」





 それは、斎にとっての、世界のすべて。

 火影になりたいとか、上に行きたいとか、そんなことを斎は金輪際考えたことはなかった。里を変えたい、火影になりたいと努力したミナトはいつも隣にいたが、すごいなーと思いはしても、斎がそれを目指す気はなかった。

 斎にはいつも小さな目の前のものしか見えていなかった。

 目の前のゲームが楽しくて、妻である雪が大切で、娘であるが大切で、里にいる子供たちが大切で、そう言った目の前のことしか見てこなかった斎は、やはり成長しても結局里という大きな動きを見つめることは出来なかった。

 目の前のことだけで手一杯。それが、斎だった。

 後進を育てはじめても、やっぱり同じで、子供たちが大切だった。里全体の利益を考えて、なんて大きなことは考えられない。目の前にいる弟子が、ただ愛おしくて大切だった。




「里を変えたいなんて、大それたことを思ったことはないよ。一族なんて、僕らを守る枠組みで、だから上を目指す必要なんて無い。」





 大きな一族を作るメリットは、幼い頃に抵抗力のない子供たちを殺されないようにするためだ。才能ある子供たちでも、やはり幼い頃は弱い。だから一族がゆりかごになって、子供たちを守る。

 里も同じだ。

 斎たちを守る枠組みだ。枠組みに踊らされて、大切なものを見誤るなど、馬鹿な話だ。

 斎はIQも高く、賢い割に短期的な今しか見ることのできない性格だった。だから斎の答えはシンプルだ。上に行けば拘束されることも増え、目の前のことに気をかけて選択できなくなる。それが嫌だった。

 そして汚いことに目をつぶれるほどの大きな望みも、願いも、夢も意志も、斎にはない。





「だから正直、僕にとって火影の地位は邪魔なんだよね。」





 斎にとっては魅力のない地位だ。





「だって、簡単に人をかばえなくなるだろ?火影が死んだら、大変だからさ。」






 四代目火影が死んだ時、三代目火影が死んだ時、里は大きな危機に見舞われた。

 基本的に、火影が死ぬことは大きな事件だ。国力の低下にも繋がり、つけ込まれて他国に攻め込まれることもしょっちゅうある。だから、よほどのことが無い限り火影は死んではならない。屍の上にあっても立ち続けなければならない。

 でも、斎にはそんな強さはない。





「僕は大局的なことのために、人を犠牲には出来ない。それが例え里のためであっても。」





 娘を犠牲に里を助けろと言われれば、斎はそれを拒絶するだろう。

 確かに沢山の人を救えるかも知れない。でも、斎にとって大多数よりも、目の前の娘の方が大切だ。





「僕は強くなったよ。大切な人を守りたいから。だからって守れない時もあることを、僕はちゃんと知ってる。」






 今も沢山の忍びが死んでいく。その中には友人達もいて、どんなに必死になっても守れない時もある。







「でも僕は今僕に出来る精一杯のやり方で僕の大切な人たちを守るよ。後悔はしないってそう決めたんだ。」







 今自分に出来ることを必死にやろう。必死に守ってみよう。

 どうせ自分たちは人殺しだが、大切な人たちを心の支えにする限り、斎に恐ろしいものなんてない。躊躇するものなんてない。全力で彼らを守るために人を殺す。それに後悔はしない。





「火影にはならない代わり、僕は大切な人たちにためにいつでも命を捨てられるし、里を捨てて逃げることだって出来る。僕はそれで良いのさ。」





 形にはとらわれない。地位にもとらわれない。

 それは斎の性格と姿そのものを表しているとも言える。形質変化は風と水。どちらもつかみ所のない、常に自分たちと共にあるけれど、決して掴むことは出来ない、囲むことは出来ない。

 幼い頃から天才と呼ばれ、上層部にその予言の力を求められ、地位を与えられた。

 そのくせに誰よりも自由で、とらえどころのない人。

 だからこそ、炎一族の宗主となるはずだった蒼雪は、彼を選んだのだろう。何となくそれが、サスケにも分かる。

 彼のあり方は、例え古い一族に産まれても、がんじがらめにされても、自由に生きていくことは出来ないわけではないと示している。




「それを向上心がないというなら、良いよ。」





 上へ上へと目標を明確に持って上がっていこうとする人々にとって、その才能がありながら目の前のことしか見ていない斎はさぞかし向上心なく見えることだろう。実際にそう言ったことをくってかかった奴もいる。

 だが人は人、自分は自分だ。上を目指す人間がいるように、目の前のことだけを見ている人間がいても良いのではないかと斎は思う。

 だから、




「僕は他人の向上心を否定しない。でも、だからといって僕に同じものを求められても困るという話さ。」




 斎にとって昇進や火影の地位は面倒だし、あくまで些末な問題だが、それを求める人を斎は否定する気は無い。多分本来は向上心がある方が普通なのだろう。

 だが、だからといって、自分は自分だ。人と同じものを求められても困る。





「僕は僕、君は君、イタチはイタチだ。自分の心の持ち方で、いくらでも変われる。」





 比べる必要はない。一族によって自由が規制されるなら、心は誰よりも自由であればよい。

 自分を探せば良い。他人との戦いではない。一族との戦いでもない。自分との戦いなのだ。すべては。





「…俺も変われるのか。」






 サスケは問わずにはいられず、呟くように尋ねた。





「君が望むならいつでも。」





 斎は優しく、柔らかな声音で背中を押す。

 それが一番重要なことだとサスケはまだ気づけぬままに、ただ彼の自由な生き方に憧れると同時に、自分には無理だと思った。


( すべてがかわりゆく 変化していくもの )