叩きつけるような大雨が降り注ぐその日、は家の中でじっとしていた。
「借りてた奴だ。」
そう言ってサスケがの対屋を訪れたのは昼過ぎだ。
この間父の斎がいる間にの本を借りていたのだが、それを返しに来たらしい。最近小競り合いも多く、複雑な心境なのはお互い様だったが、彼はいつもそういう面では律儀だ。
「面白かった?」
は本を開きながら尋ねる。
父が詳しく調べたことのあるというその本は、数代前の宗主が諸国を周遊した際に書かれたものだった。
「・・・そこそこな。」
サスケはの問いに素っ気なく答えた。
「他の本も借りていく?」
は気軽に尋ねる。
父と母が使っている対屋である寝殿の塗籠は、今や大量の本で埋まっている。両親の先祖伝来のものが多数存在しているらしく、もほとんど内容を知らなかったが、自由な出入りを許されていた。
本来なら大きな一族の宗家と言うことで両親との関係は希薄なことが多いらしい。
実際に先代の宗主であったの祖父白縹には沢山の妻がおり、の直接の祖母、蒼雪の母で正妻であった現在の風雪御前をはじめこの広い屋敷には沢山の女性がひしめいていたらしい。子供も八人いた。
乳母の制度もあったため親子関係も希薄で、家族でも御簾越しに会わないというのが常だったと言う。
しかし結局現在は女の蒼雪が当主となりそう言った風習は基本的にすべて消えた。は乳母をつけずに育てられたし、両親は儀礼的なもので娘のとの壁を作ろうとは絶対にしなかった。そのため東の対屋に部屋を与えられてからも、は自由に両親の対屋である寝殿に勝手に出入りすることが出来る。
「姫宮、ご連絡が、」
侍女の一人が御簾のまだ向こうである簀子の上に膝をついて、静かに声をかけた。
「はい?」
「扇宮が、少し遅くなるとのことでした。」
返事をすると、侍女は淡々とした声音で言った。
最近イタチが遅くなるのは常のことなので気にしていないが、イタチは必ず遅くなる時言付けをする。そういう所は本当に昔から律儀だ。
「ん。わかった。」
「あと、斎様と蒼雪宗主は帰ってこられると。」
「そっか、じゃあ、父上様と一緒に寝ようかなぁ。」
イタチが遅くなるとわざわざ言うと言うことは、帰りは夜半を過ぎるだろう。ひとりでは寂しいから、久々に両親のところで眠っても良いかも知れない。
最近よく話す時間もなかったから。
「おまえ、まだ親と一緒に寝てるのか?」
呆れたようにサスケが言う。
「え?うん。」
は彼の呆れた様子の意味が分からず、首を傾げた。
「おまえ、もう年だろう。」
「12,もうすぐ13歳になるね。」
「なのに、まだ親と眠ってるのかよ。」
「年をとると、親と寝たらだめなの?」
の家ではしょっちゅう一緒に眠っている。斎も時々寝殿からやってきての布団に潜り込むことがあるし、も同じだ。悪い夢を見た時はぽてぽてと歩いて寝殿に行く。イタチが来てからそういうことは減ったが、やはり彼が任務でいない時などは両親のところで寝ることもしょっちゅうだ。
別に両親がそれを嫌がることはないし、にはサスケの言っている意味が分からなかった。
「・・・・」
サスケは説明のしようもなく、口を半開きにしたまま言葉を失う。
が幼い頃から病弱だったため、一般常識が飛んでいるのは知っているが、ここまで話が通じないとは思わなかったのだ。というか、両親も常識が飛んでいるだろう。
サスケは斎の顔を思い浮かべて、何となくそれも納得出来るような気がした。
「・・・兄貴は、最近うちはに戻ってきてるな。」
よく、うちは一族の集会所の近くで見かける。
大人達が最近よくそこに出入りしているのは知っていたが、イタチもそれは同じだった。炎一族とうちは一族の不和が明確になった今、イタチの行動は内通を疑われてしかるべきだ。それはにとっては不利な問題のはずだが、が気にしている様子は全くない。
かまをかけるためにサスケはに尋ねてみたが、は別段心にとどめることがないのだろう。
「うん、うちはのおじさまと仲直り出来たんならよかったんじゃないかな。」
イタチが家に頻繁に帰るのを、彼が両親と和解したと考えているらしい。
「イタチが、いらない情報をうちはに話しているとか、考えないのか?」
「いらない?」
「炎一族の、重要な情報とか。」
サスケがダイレクトに尋ねたが、はそれをころころと鈴を鳴らすような笑い声で否定した。
「重要な情報って、なぁに?」
「何って・・・」
「うちにはそんなもの、ないよ。わたしたちの血継限界くらいだけど、簡単にはかれるものじゃないから、」
炎一族の血継限界は基本的に炎だが、どんな効力を持つかは個人によるし、複数の効力を持つのが普通だ。仮にの能力が漏れたとしても、の母である蒼雪はそういったことに非常に気を遣ってほとんど自分の力を他人に見せることがないので、イタチだって何も知らない。
また炎一族全員に利く弱点は効力がすべて違う炎を持つことから、ない。
機密と言われて思い当たるのは、斎の予言の能力くらいのもので、これもイタチがどうこうできる情報ではない。あくまで斎がもつ能力なだけだ。
「へんなサスケ。」
は口元に手を当てて笑った。
「そんなに心配しなくても大丈夫。わたしたちは何もないよ。」
両親の愛情、庇護をは疑ったことがない。命をかけて自分を守ってくれるだろう。そしていつか自分もそうできるようになりたいと思った。成長した今でも、いろいろなことを知っても、両親を疑うなど考えられないことだった。
「・・・なぁ、。」
サスケのぽつりとした呟きが、響く。
「ん?」
「・・・オレは、ずっと・・・」
続きの言葉は、消えるようだった。好きだったよ、と言う儚い声は、の耳にも聞こえない。
「え?なんて?」
が聞き返した。風がサスケの言葉を途切れ刺すようにふわりとふいて、松明を静かに揺らす。それにサスケは目を閉じた。
好きだった、憧れ続けた。その純粋さと、儚さに。
「なんでもない」
サスケは風と揺れる炎にイタチを見た気がした。
わかってる。
言ったって何も変わらない。彼女を逆に苦しめるだけだろう。知らない方が良いこともあるのだ。
が自分に思いを向けることはないだろう。イタチがいる限り。そしておそらく逆も然りだろう。兄が自分に真剣に思いを向けてくれることもない。は彼の一番で、結局変わらない。
愛しさと共に感じる嫉妬。憎しみ、不満。
愛憎紙一重と言うが、まさにその通りだ。サスケの他人に向ける感情は、まさにその一言に尽きる。
「お休み、。」
サスケはそう静かに告げて、御簾を上げて外に出た。
そのときはまだ、二度とここに来ることがないとは、思いもしなかった。
道
( すべてのひとがもつ違うもの )