「大馬鹿ものだよ。」
斎はイタチに会うと開口一番にそう言った
暗部の長の執務室は、今斎とイタチしかいない。斎はその部屋の椅子に座って、イタチに言い放った。人払いがしてあるらしく、誰もいる気配がない。イタチは師のストレートな叱責は初めてで、思わず目を伏せるしかなかった。よく考えれば、彼に面と向かって怒られたことはなかったかもしれない。
「これで君はうちは一族に戻れなくなった。」
「それで、良いんですよ。先生。」
イタチを慮る彼の言葉にイタチは首を縦に振った。
「だって、」
どちらも死んでほしくなかった、と言おうとした言葉は、声にならなくて、イタチはそのまま俯く。すると小さく斎が執務机から立ち上がり、イタチの側まで来て、頭上で息を吐いたのがわかった。
「大馬鹿ものだよ。君は。」
声は脱力感すら含んでいた。
「こんな敵役みたいな立場になって。上層部や、ダンゾウの言いなりになって。」
本来なら、イタチが早めに通報してことが発覚していれば、暗部がつぶしにかかっただろう。今回はイタチの部隊の独断だったが、もし早く発覚すればそれをつぶしにかかったのは暗部のトップである斎だ。斎はうちは一族から大きな恨みを買うことになっただろう。
それは自動的に炎一族とうちは一族のより大きな争いと憎しみを生んだかも知れない。
だが同族を裏切るというかたちで、イタチはすべてのうちは一族の恨みを自分で被ってしまった。これからうちは一族は幽閉などの処置がとられるだろうが、いつかイタチを狙うものも現れるだろう。
イタチにも、その事実は痛いほど分かっていた。自分の家族を裏切った代償が、軽いものではないことぐらいは。
「…本当に、馬鹿だ。」
全部全部、イタチが被ってしまった。一人で、負ってしまった。
「でも…」
斎の声は明らかな憤りを含んでいたが、ふっとその厳しい声音が緩む。途端にイタチは温もりに包まれた。
「辛かったね。」
抱きしめられ、背中を叩かれる。
それは幼い頃、初めてであった時にしてもらったのと同じことだった。当たり前を求めていたイタチが、与えられた温もり。
「イタチが、一番辛かったね。」
斎の声は穏やかで、酷く温かい。
そうだ。イタチだって悩んだ。何が一番良いのか、一生懸命悩んで、止めようと努力して、でも駄目だった。肉親を裏切ることに、罪悪感を感じないはずがない。
「…おれ、は。」
言葉が喉の奥でそのまま詰まった。
自分の育った場所を、育ててくれた人々を、一族を全部裏切ってしまった。とうとうやってしまったという大きな感情が罪悪感や父のののしりとともにのしかかってくる。それから逃れるようにイタチは斎に縋り付いた。
もう18歳にもなって、なんて、そんな言葉はもう頭の欠片にも浮かばなかった。
「もう良いよ。もう良いんだ。」
斎はほんの少し自分よりも背の低いイタチの頭をくしゃりと撫でる。
「気づいてやれなくてごめんね。」
「そ、そん、な。」
斎とてそれなりの動きは知っていただろうが、それを完全に隠していたのはイタチだ。そして自分で罪をすべて被ったのもイタチだ。彼に欠片の非もない。罪悪感も、罪も自分で全部背負うと決めたのはイタチだ。
だが、斎の言葉にイタチは体からすべての力が抜け落ちる気がした。
「おれ、は、」
本当は、と声にしようとした続きが喉元で掠れて消える。
「こ、こんなこと、」
望んでいなかった。
本当は一族を裏切りたくなどなかった。もしもうちは一族が謀反を起こせば関係のない里の忍びが死ぬこともある。斎があられもない恨みをうちは一族から買うかも知れない。うちは一族にだって死者が沢山出るだろう。
ただ全員の命をせめて救いたかった。
大切だと思っていたから、誰も死んでほしくなかった。死はすべてから隔絶される恐ろしいものだ。どんな形でも、生きていてほしいと。
「うん。もう良いよ。」
斎は柔らかに笑う。
「君は今も昔も僕の可愛い弟子だ。だから、」
昔と変わらない言葉でイタチを宥めて、彼は穏やかに頷いた。
「もう、良いよ。よく頑張った。イタチはよく頑張ったよ。」
罪悪感に心痛め、すべてのことを気にかけ、誰にも相談せず、ただ、ただ心の痛みに耐え続けていた。葛藤がないはずもない。責任感が強く、思いやりもあるイタチだ。そして聡いからこそ、自分が起こすことがどれほどの意味を持つかも理解していた。すべてが分かるからこそ、苦しいこともある。
その負担は、いかようのものだっただろう。
「何も心配しなくて良い。一緒に背負うから、」
斎はイタチの背中を強く撫でる。
これからイタチが歩むのは茨の道だ。これによってイタチは上層部からの信頼を得たが、同時にうちは一族からの恨みを買った。里を抜けたサスケとて、イタチを憎んでいることだろう。それを一身に受けることになるイタチを、斎は理解している。
「炎一族は、正式に君を一族の一員として受け入れ、後見することになった。」
「え?」
うちは一族を裏切るという行為は、確かに里には貢献したが、しかし誉められる行為ではない。自分の一族を裏切ったのだ。古い一族からしてみればそれは忌むべきことだろう。責められることも覚悟していたイタチは驚きに顔を上げる。
「風雪御前や宮家は皆、イタチに同情的だ。」
炎一族の東宮;の婚約者であるイタチの行動に、当然炎一族もうちは一族が里を裏切ったことや、同族をイタチが裏切ったことにも驚いた。だが、風雪御前と宗主の蒼雪が口をそろえてイタチが不憫だと口にし、宗主を絶対とする炎一族はあっさりとそれになびいた。
単純な話である。
「でもそんなことをすれば俺がうちは一族に責められたら、」
イタチが炎一族の一員として正式な保護を受けるようになれば、イタチに何かあった場合炎一族との問題になる。
炎一族に、しいては斎に迷惑をかけることを何よりも恐れていたイタチは首を横に振る。だが斎は困ったように笑ってイタチの頭を撫でた。
「本当にイタチは人に頼るのが苦手だね。」
「だって、」
「一人で負うには重すぎるよ。」
うちは一族の中には、捕らえられずに逃げた者もたくさんいる。彼らはこれからイタチを狙いに来るだろう。イタチ一人で相手にするには、あまりに荷が重すぎる。
「僕は目の前の者が大切だと言ったはずだよ。」
辛い戦いが、始まるのだろう。憎しみというのは難しく、また終わりの見えない戦いだ。
「忘れないで、君は一人じゃないよ。も僕も、みんなイタチのことが大好きだよ。」
例え何をしようとも、その感情が変わることはない。
これから誹謗中傷する人も出てくることだろう。それでも、イタチを大切に思う気持ちが変わることはない。
「…はい。」
イタチは大きく頷いて、斎の肩に顔を埋める。
明日からは、自分で立ってみせるから、今、この瞬間だけは、この温もりにもたれかかっていよう、甘えようとそう思った。
想
( 愛すること 慮り 守り慈しむこと )