はじっと屋敷の門の前で蹲っていた。が屋敷に戻ったのは3時ぐらいだったが、イタチが戻ってきたのは既に暗くなってからだった。




「…」





 斎と共に帰ってきたイタチは、言葉が見つからないのか、を戸惑うようにじっと見ていた。は顔を上げて、立ち上がると、ぱんぱんと自分の着物の埃を払って、イタチを改めてみる。




「先に入ってるよ。」




 斎はあっさりと素知らぬふりでの頭を人撫ですると、そう言って先に門の中へと入っていく。はそれを横目で確認して、イタチを見上げた。



「おかえり、」




 絞り出すように言って、ぐっと唇を引き結んで、だから不機嫌そうな顔になってしまった。声音も厳しいような感じがする。ナルトや斎が言ったように、笑っては迎えられなかった。イタチの顔を見ただけでもう泣きそうだった。




「……」




 イタチは目を伏せたまま、答えない。口を一度は開いたが、結局閉じてしまう。




「おかえり!!」





 は唇を噛んで、大きな声でもう一度言う。

 イタチは相変わらずどうしたら良いのか分からないような顔をしていて、ただ、顔を上げてをじっと見ていた。

 漆黒の瞳はいつもよりずっと陰っていて、光がない。




「ただいまって言ってよ!」



 は何も言わないイタチに業を煮やして叫んだ。その拍子に、たまっていた涙が目尻からぼろぼろと溢れる。



「いつもみたいに言って!ただいまって言ってよ…!」



 涙を着物の袖で拭って、は懇願した。それでもイタチは何も言わない。

 だからは不安になって、彼をこの場につなぎ止めるようにイタチの服を自分から掴んだ。



「ねぇ、嫌だよ…どこにもいかないよね、ねぇ、イタチ、」




 イタチを見上げて一生懸命言いつのる。

 うちは一族は確かに解体されてしまうかも知れないし、それはとても辛いことだ。でも、だからといってイタチが炎一族から出て行く必要もない。イタチはイタチのはずだ。

 不安になっては何度も言いつのる。するとやっとイタチは躊躇いながらも口を開いた。



「…俺は、全部なくしたよ。」




 その声音は震えていた。




「全部、全部、なくしたよ。家族も、弟も、一族も、全部なくした。」




 空虚で、寂しい低い声だった。

 今までイタチを培い、育て、そして後見してきたすべてを、イタチは自分のその手で潰した。それは許されることではないし、事実上イタチのすべてを自分で奪った。手にはうちは一族で生きてきた何も残らなかった。

 愛おしい弟ですらも。

 すべてをなくしたイタチはに触れることも出来ず、ただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかった。




「全部、なくして、それでも良いのか?」




 イタチはに問う。そのことをずっと不安に思っていたのは、ではない。イタチだ。




「俺はうちはイタチじゃない。もうただのイタチだ。後ろ盾なんてないし、もううちは一族の嫡男でもない。」




 炎一族の東宮の婚約者になれたのは、うちは一族の嫡男だったからだ。

 しかし今やそれはなんの価値もない身分になった。もうイタチは嫡男ではないし、うちは一族は反逆した禁忌の一族として処分され、里に賞賛されながらもイタチはうちは一族の裏切り者となった。




「おまえだって、これからうちはの人間達に憎まれるかも知れない。巻き込まれるかも知れない。」




 逃げたうちは一族の残党は、そしてサスケはいつかイタチに復讐に来るだろう。

 イタチだってそれを理解しているし、致し方のないことだ。覚悟もある。だが、がもしイタチとこれからも一緒にいることになれば、も同じように憎まれるだろうし、苦しい戦いをすることになるだろう。

 いつかはサスケと争うことになるかも知れない。




「…俺の帰るところは、もうどこにもないよ。」




 口が裂けても、これからイタチが受けるであろう憎しみや、そのすべてから守るなんて、今のイタチには言えない。一族も地位も身分も失ったイタチに出来ることは、本当に限られていると、イタチはきちんと理解している。そしてイタチにもう帰る場所はどこにもない。

 寄って立つ瀬は、すべて失ってしまった。




「俺は、」




 だから、ただいまとは言えない。

 ここにいても良いのか、まだわからない。斎が支えてくれると言った、でもが選ぶことで、多分イタチはもう選べないことだ。

 はイタチの言葉に、イタチの服をそっと離す。そして背の高いイタチの胸に飛び込むようにして抱きついて、まるで離さないとでも言うように、ぎゅっとイタチの背中の服をこれでもかと言うほど掴んだ。




「嫌だよ。」





 はイタチの胸に頬を埋める。




「一緒にいてよ。傍にいて。どこにも行かないで。」




 の世界は幼い頃、イタチだけだった。辛い時一番傍にいてくれて、本当に本当に嬉しかった。

 苦しいだけの幼い日々の中で、イタチだけが外の話題を持ってきて、笑ってくれる存在で、忙しいのに何かと懸命に時間を作っては遊びに来てくれたことを、今でもは忘れていない。

 本当に嬉しかった。

 初めての友達であり、初めての恋人であり、変わりようもないのすべてを持っている人。それは外に出られるようになった今でも変わっていない。




「傍に、いてよ。」




 言い終わると同時に、イタチに強く抱きしめられた。痛いほど力がこもっていたが、は何も言わずにされるがままになる。




「わたしもがんばるから。」




 辛かったのだろう。誰にも言わず、一人で抱え込んでいたのだ。

 はイタチの背中を労るように軽く叩く。




「わたしも今度は一緒に戦うから。」




 どうして、サスケを攻撃できなかったんだろうと、は思った。

 サスケが行ってしまったことがこれほどイタチを傷つけるのなら、はきっとサスケに怪我をさせても連れて帰ったはずだ。覚悟さえ出来れば、それは可能な能力をは持ち合わせているはずだ。

 イタチが自分のために何でもしてくれるように、自分だってイタチのために何でも出来る。





「ごめんね。」

「なんで、おまえが謝るんだ。」

「だって、イタチ悲しいでしょ?」

「…」

「わたしが、半分に出来たら良かった。」





 強くなるって決めたのに、はいろいろなものがまだ見えていなくて、弱くて、イタチに沢山のものを背負わせてしまった。




「悲しいことも、きっと二人で背負ったら半分だから。だから、わたしもイタチを助けたいよ。」




 イタチを見上げれば、彼の漆黒の瞳が少し揺れたのが見えた。だがイタチはそれを見られまいとしているのか、の肩に額を押し当てた。

 表情は窺えないけれど、はそっとイタチの髪を撫でる。




「愛してるよ。イタチ。」



 いつも、イタチが言ってくれていた言葉を、唇にのせる。

 幼い頃はよく分からなくて、でもいつも言われて、聞いていた言葉。両親から、そしてイタチから惜しみなく与えられていた言葉の意味を、今はとてもよく分かる。

 胸が締め付けられるほど大切な言葉だ。




「愛してるよ。」




 無償の愛を示す、世界で一番優しい言葉。それを繰り返し唇に乗せる。




「…」





 イタチは答えずに、その言葉をかみしめるように目を閉じていた。




「あぁ、愛してるよ、」




 耳元でいつも通り囁かれたのは泣いているように掠れた声音。はぽたぽたと涙が目尻からまたこぼれ落ちるのを感じた。




「おかえりなさい。」




 もう一度、最初に言った言葉を繰り返す。




「ただいま…」




 今度は、答えが返ってきた。それにただ満足して、は目を閉じた。














( 背に負うこと )