榊が弟に会ったのは、彼が捕らえられて二日後のことだった。

 何かあっては困るから、と、忙しい斎に変わり、イタチ、そしてが同席する形になった。彼らは兄弟である。もしも共謀して逃げられれば手練れがいなければ止められない。結界があるとは言え油断できないとの考えだった。





「まさか、生きて会えるとは思わなかった。」





 榊はもう数年ぶりに見る弟の姿に、僅かに目じりを下げた。






「…おまえ、」





 弟の方は、そう榊を呼んだ。

 彼らに名前がなかったことは既に知っている。榊に名前をつけたのはだ。名前がないと不便だと、蒼一族の神事に使われる木の名前をとった。弟の方にはまだ名前がない。暁では便宜上彼らの神の系譜としての号である飃と呼ばれていたが、それは名字と同じで神の系譜全体を示すものである。





「今の俺は榊という名で、木の葉で暮らすただの一般人だ。」





 薄水色の髪を揺らして、榊は弟の前の椅子に座った。




「何故、人間と暮らしてる。」





 理解できないという風に、彼は憎しみの目を兄である榊に向ける。それになんの反応も返さず、榊は目を伏せた。

 榊と弟は常に一緒にいた。気づいた時にはふたりで震え、その希少な血を採るために閉じ込められ、人間に怯え、二人で寄り添って震えていた。奴らを殺し、外に出たときも共にいた。道が別たれたのは、大蛇丸に襲われ、榊が大蛇丸に攫われてからだ。

 榊は弟だけはと逃がした。


 大蛇丸の元でその血を利用され、チャクラも利用され、ただ結界の媒介として生かされた間、榊も世界を呪っていた。こうして自分を繋ぎ止める人間が、そして利用し、今こうして自分を苦しめている人間が憎くてたまらなかった。





「そこにいるを初めて見た瞬間に、俺と同じだと分かった」





 結界を破ってが入ってきた時、痛みと苦しみに朦朧としながらも、それでもが自分と同じ神の系譜であると言うことを、榊は理解していた。

 人間は殺してやろうと思ったが、同じ化け物であるに恨みはない。




「その時にな、横にいたイタチがを庇ったんだ。」





 人間であるイタチは、憎かったから、榊は最後の力を振り絞って、イタチと彼の弟を攻撃しようとした。しかし榊の殺気を感じてイタチがとったのは、まずを背中に庇うという行動だった。彼は神の系譜であり、化け物であり自分と違うはずのを、庇ったのだ。

 また洞窟が崩れた際、榊を助けようとして外に出ようとしなかったを見て、イタチと彼の弟はを助けるために殺気を向けた榊を助けた。を守るために崩れてくる岩も恐れなかった。





「その後も俺の手当をし、炎一族邸に保護し、自由にさせてくれた。そこの神の系譜には、父母がおり、兄弟がおり、子がいた。」





 榊は怪我をしており動ける状態ではなかったが、酷く警戒していた。周りの人間が自分を利用するために集まってきているとしか思えなかったのだ。

 しかし炎一族は宗主が神の系譜だけあり、全くと言って良いほど榊を気にせず、扱いを心得ている婿の斎は人への恨みを口にした榊を忍にもせず、客人として扱った。本当にただ、榊は暇を潰す方法を探すことになった。

 炎一族には宗家と呼ばれ、神の系譜の血筋が形式化して存在する。

 神の系譜としての力を宿しているのは実際には一系統のみだが、白炎使いが三人もいる。宗主である蒼雪、娘の、そして蒼雪の異母兄である青白宮だ。

 榊は初めてそこで、神の系譜にも父母がおり、兄がおり、子供がいることを知った。





「…じゃあ、おまえは、俺たちに酷いことをした奴らと同じだって言うのか!?」






 声を荒げて、結界の中で榊の弟は問うた。

 彼は今まで人間から優しさも受けたことはない。ただ虐待や酷い扱いばかりを受けて、利用され続けてきた彼にとって、自分が化け物で、自分に酷いことをする奴らは人間という別のものだと認識することは、自分の心を支える術でもあったはずだ。

 それを否定されれば、黙っていることなど出来まい。

 だが、それを目の当たりにした榊は淡々としており、静かに、しかしはっきりと弟の顔を見て、頷いて見せた。





「そうだ。人は、いくらでも酷いことが出来る。それは暁に入って人を殺したおまえも同じだろ?」





 人は自分の欲望のために、いくらでも勝手なことが出来る。それは時には大切な人のためでもあるし、自分の欲望のためでもある。その願いは紙一重の物では無いかと今は榊も理解している。


 なぜなら、もし大切な人間が怪我をすれば、それを治せる血を持つ人間がいると聞けば、自分の大切な人のために酷いことだと分かっていてもその血を欲しいと思うのは、当然のことだ。何かを守るために、誰かを傷つける。その気持ちが、今なら榊にもわかる。





「もし、もしおまえが普通に生きたいというなら、俺が斎さんに頼む。」




 榊はじっと言葉を失っている弟を見つめる。

 もちろん斎に頼んだとしても、暁である弟の処分が非常に厳しく、難しいものであることは承知している。しかし、それでも頭を下げて頼めば、彼らは力になってくれるだろうことを、榊はもう知っていた。例え他人であっても、彼らは自分たちのために頭を下げてくれるだろう。

 弟の気持ちが榊には痛いほど分かる。苦しかったのだろう。寂しかったのだろう。榊がいなくなってから一人で必死に生きてきた彼が世界を憎む気持ちは十分に理解しているつもりだ。 

 だが、榊にはもうそれに協力することは出来ない。






「イタチと、みたいに。人間と化け物でも、寄り添えるものなんだと、思う。」





 確かに自分たちは化け物じみた力を持っているが、榊が人を信じることが出来たのは、イタチとを、そしてその両親である蒼雪と斎を見たからだ。

 彼らには確かな絆があって、お互いを思いあっている。

 神の系譜は何も特別ではない。恥じらうように思いあうその姿はどこにでもいる普通の人間で、お互いを大切に思う心も変わらない。





「それに、俺の大切な人が、言ってくれた。」




 榊が思いを寄せている甘味屋の娘は、炎一族の出身だが忍ではない。炎一族では忍になるのを推奨しているが、ならずに農作業や、商業に従事しているものも多かった。彼女も普通に働く少しだけ血継限界を持つ少女で、別に特別ではない。榊が自分のことを化け物だと言い、力を見せた時、彼女は榊にこう言った。





「力があるのの、何が悪いんだ、守れる力があるのは、素敵なことだと。」





 榊は木の葉で暮らすようになってから、逆に力を振るうのが怖くなった。

 自分に力があると分かれば、今まで優しくしてくれた人も離れていくのではないかと、どんどん臆病になった。だから、イタチとから弟が暁にいると言われた時、自分が撃退に行くとはどうしても言えなかったのだ。

 しかしそんな榊の背中を押してくれたのは、一番近くにいてくれた大切な人だった。






「もしおまえが、暁に協力して木の葉を潰すというなら、俺はおまえを殺す。」





 榊は弟に厳しい目を向ける。





「俺には、大切な人がいる。」





 3年間木の葉で、ただの甘味屋で榊は働いている。炎一族に血筋である店長は神の系譜にも理解が深かったが、素知らぬふりで榊をこき使った。チャクラが多いことなど、職人にとってなんの関係もないことで、当然分からぬことばかりの榊は叱られることも多かったが、同時に彼は普通に榊を誉めた。

 甘味屋の娘も同じで、強い力を持つ榊を別に気にすることもなく普通に扱った。





「おまえもまだ信じられないことは、十分わかる。でも、わかるようになる。ここは温かいから。」




 人間を恨み、人間など欠片も思っていなかった、ひとりぼっちの榊を満たす程に、彼らは穏やかさを与えてくれる。


 もちろん榊にだって今でも、昔を思い出してうなされたりする日はある。しかし恐ろしいと思った時、人が隣にいて欲しいと思った時に自分を大切にしてくれる友人を作ることは、今からでも出来るのだ。本当に求めたのは、与えて欲しかったのはただ、優しさなのだ。憎しみなどではなく、本当に欲しかった物は、憎しみを向けていた“人間”、それにほかならない。






「名前が欲しいなら、が与えてくれる。」






 榊はを振り返り、僅かに唇の端をつり上げる。

 榊に名前を与え、チャンスをくれたのはあの時助けてくれただ。彼女は少なくとも自分の危険を顧みず、崩れ落ちる洞窟から榊を連れ出してくれた。名前だけでなく、生きなおすチャンスをくれたのは、間違いなくだ。





「俺たちが普通に生き、信頼し合えることは、が示してくれる。決して嘘ではない。それは、戦ったおまえにも分かるはずだろう。」





 榊はとイタチの関係も既によく知っている。

 斎を相手にしたふたりの修行も何度か見たことがあるため、戦い方も分かる。イタチとは互いに信頼し合っているからこそ、絶妙な連携を見せたはずだ。お互いに神の系譜だとか化け物だとかそう言ったことを超えて、信頼していることは何も分からない弟でも理解できることだろう。


 それが僅かでも、自分たちを変えることだと、榊は信じていた。
化物