ひとまずイタチでなければの力が押さえられないため、イタチは記憶のないを自分の家に連れて帰ることになった。

 幸いペインの件でもこの家は火影岩に近く、木の葉の核のほぼすべてが壊滅したにもかかわらず、残っている。今は人はいないが、夕方になればの友人で今回の戦いにおいて家をなくしてしまったサクラとサイ、そしてナルトがやってくる予定だ。とはいえ、今はまだ戻ってきていない。

 気配の消し方も知らない、忍術も白炎の自動防御のみと言う真っ白のは、少しイタチに警戒するそぶりを見せたが、どちらかというと怖がっていると言った感じだった。




「ひとまず、入れ。」





 イタチはとんとの背中を押してから、自分の部屋に入る。

 狭いその部屋はイタチが20歳を過ぎた時にの父親である斎を保証人に二人でかりたものだ。リビングと寝室、そして小さな一部屋しかない、あまり大きくはない部屋で、既に1年近く暮らしてきた。とはいえその記憶すらもにはないのだろうが。

 イタチは荷物を慣れた動作で下ろし、後ろを振り返るとはどうして良いか分からないと言った様子で立ち尽くしていた。






「入れ、その辺に座れば良い。」





 イタチが言うと、やっとは近くのちゃぶ台の側に座る。

 ちゃぶ台の傍には写真がいくつか飾られている。それには目をとめた。

 幼い時のイタチと斎、サスケ、そしてが映った写真を手にとっては小首を傾げる。それはイタチが10歳くらいの頃のもので、5歳くらいのが布団に座って貝あわせを広げている。サスケは貝を持ったまま少し不機嫌そうだ。





「それは正月のだな。」





 イタチはの前に入れたばかりの茶を出す。





「これは?」

「これは俺とが初めてデートに行った時にとった。こっちはと俺がまだ小さかった頃のだ。」





 何枚もの写真に写っているのは、当然とイタチ、そして誰かだ。もちろん多くの場合の父である斎か、イタチの弟であるサスケが一緒のものがほとんど。はそれをまじまじと眺めて、不思議そうな顔をするばかりだ。

 仕方のないことだとは言え、イタチは小さく息を吐いて、写真を眺める。写真の中のは変わらず無邪気にイタチに笑い返していた。




「イタチ、さん?」

「イタチで良い。」

「んっと、イタチ、は、そのの恋人だったって、本当?」





 誰かから聞いたのだろう。イタチはを見たが、彼女の目には戸惑いしかない。




「そうだな。でも今のおまえをどうこうする気はないから、気にしなくて良い。」





 今の彼女にとってイタチは“他人”でしかない。

 もちろん逃がす気はないし、二度とサスケの元にひとりで行かせるつもりもないが、恋人だからと何かを強制するつもりもなかった。ましてやこんな何も知らないを手込めにしようなどと言う気は、イタチには無い。





「…」





 はそれを聞いて目じりを下げる。





「お兄さんが待ってる人は、だったの?」





 の持つ異空間の中で、記憶をなくしてからもイタチとは何度となく話しをした。その時に彼はに“待っている人がいる”と話していた。






「あぁ、そのとおりだな。」





 イタチは少し困ったように笑って見せた。

 いつも寂しげな目をしていた彼が待っていたのは記憶をなくしてしまった目の前にいるで、会いたくても会えなくて、何を言っても覚えていなくて、きっと悲しかっただろう。

 きっと誰だって忘れられたくないし、優しくしてもらった記憶を、忘れたくないはずだ。それが恋人だったならなおさらで、本当はといるのだって辛いはずだ。なのに、の能力を押さえられるのは彼だけだから、彼は記憶のないの前に居続けなければならない。





「…ごめんなさい。」






 はこみ上げてくるものを堪えるために俯いて、震える声でそう口にしていた。

 昔を語る彼の黒い瞳は本当に切なくなるほどに優しく、愛情がこもっている。それを自分が奪ったような気がして、はいたたまれない思いになった。


 何故、自分は忘れてしまったのだろう。

 サスケは辛すぎたと言っていたが、きっと忘れられてしまって辛かったのは傍にいなかったこのイタチという人だろう。すべてを忘れてしまったは何も覚えていないから良い。でも、彼は覚えていながら恋人と離れ、辛い日々を過ごしていただろう。

 そしてまた、が覚えていないという事実に苦しめられている。





「そんなふうに、自分を追い詰めなくて良い。」






 ぽん、と頭に大きな手が置かれる。





「全部自分のせいだと思うから、きっとおまえは追い詰められてしまったんだ」

「…でも、貴方が辛いのは、が思い出さないからでしょう?」

「記憶をなくしたのは、おまえの不可抗力だ。」






 イタチはそっとの髪を撫でて、笑って見せる。一番辛いのは彼のはずなのに、彼はを思いやって声をかけてくれる。それが今のには悲しくて、我慢していた涙がぽろぽろこぼれて頬を滑った。





、勝手に逃げないから、辛いなら別の処にいても、良いよ、」




 は涙を袖で拭いながら、彼を見上げる。

 の傍にいてが自分のことを覚えていないと認識するのも、彼にとっては悲しいことだろう。そう思っては言ったが、彼は首を横に振った。





「そう思うなら、もう二度と勝手にどこかに行かないでくれ。」





 懇願にも似た響きは、切実だった。

 彼にとっては恋人で、何があってが記憶をなくしたのか、大怪我を負ってサスケに拾われることになったのかは分からない。だが少なくとも彼が傍にいなかったと言うことは、はイタチからはなれてどこかへ行っていたのだろう。

 彼はそれを望んでいなかったのに、はそうしたのだ。

 どんな理由があったのかは何も覚えていないには分からない。けれど彼はそのことを酷く気に負っている事だけは分かった。





「…」





 は、サスケに待っていろと言われた手前、その約束があるため彼の言葉に頷くことは出来なかった。






「サスケは貴方の弟だよね。」

「あぁ。」

「一緒に、行っちゃだめなの?」





 イタチはの傍にいたいのならば、一緒にサスケの所に行っては駄目なのだろうか。がおずおずと尋ねると、彼は酷く嬉しそうな、悲しそうな顔をした。





「俺の居場所は、ここなんだ。の居場所もここだ。」

「…サスケの居場所は?」

「本当はここだよ。でもサスケは別の所に行こうとしてる。」






 イタチがここで育ったと言うことは、弟のサスケも同じなのだろう。なのに彼は今里におらず、尾獣を捕まえようとしたりしている。それがどんな意味を持つのか、記憶を持たないには何も分からない。けれどそれがこの里にとって決して良いことでは無いのだと分かる。





「ここじゃ、サスケは嫌なの?」






 が会ったのは本当に数人だ。

 基本的に彼らはを心から心配した目をしており、確かにサスケの元からを奪い、木の葉に無理矢理連れ戻したが、それ以外に彼らがに対して何かをすることはないようだった。写真を見れば記憶をなくす前のが笑っているから、間違いなくは記憶をなくすまでここに暮らしていたのだろう。

 おそらく、サスケの方が“正しくない居場所”なのだと認めたくはないが、何となく分かる。





「愛していたから、それを奪った人たちが憎いんだって、」





 イタチは目を伏せ、どこか遠くを見て言った。

 憎いとは、一体何なのかには分からない。行きたいところがあると言っていたサスケが本当はどこに終着点を求めているのかも、分からない。そして根本的に“憎い”という気持ちが分からない。





「にくいって、何?」





 はその無垢な瞳で、問う。それにイタチは思わず目じりを下げた。

 おそらく記憶をなくしていなかったとしてもは“憎しみ”がよく分からなかっただろう。憎しみを理解するにははあまりに幸せに育ちすぎている。例え記憶を持っていたとしても、イタチに同じ質問をしたに違いない。




「大切な人を奪われて、奪った人がこの世界にいるのを許せなくなることだよ。」




 イタチは悲しそうに笑ってに言った。

 きっと酷いことをされたら、相手のことを嫌いになるだろう。普通は嫌いになって、二度と会いたくなくなるのが普通だ。でも大切な人を殺され、殺した相手がきっとこの世に存在することすらも許せなくなる時、人は人を憎む。




「その定義でいくならば、俺もサスケを憎んでいるのかも知れない。」





 イタチは心からサスケを大切に思っている。そして同時にのことも心から愛している。

 大切に思っている二人が殺し合い、は一度命を奪われた。弟が憎くないかと言われれば、憎い。けれど愛してもいる。を殺し、記憶を奪い、利用した。そんな弟を心から憎んでいると同時に、どうしようもないほどに愛している。

 天秤にかけてどちらかを選ぶことが出来るなら、幸せなんだろう。でも、そんな単純な物では無い。それでも、のためにどうすれば良いのかなんてわかりきっている。





「俺が、サスケを殺すべきなんだ。」




 もうイタチはうちは一族にとって裏切り者であり、炎一族として生きていくことになる。サスケを殺せばそれでうちは一族も終わる。

 そうすべきなのだろうと、イタチも心の中で理解していた。




過去