炎一族の屋敷に土の国の神の系譜である堰家の当主である要が結婚の報告にやってきたのは、が11歳になった年のことだった。
要は両親が殺された後、しばらく炎一族邸に滞在しており、当時は3歳くらいだったが、それでも兄弟のいないにとっては楽しい思い出で、それから要が土の国に帰ってからもよく手紙の交換をしていた。
少し波打った長めの焦げ茶色の髪と赤紫色の瞳。色白で細身だが背が高く整った顔立ちをしている要は、の住まう東の対屋を久しぶりに訪れた時、一人の女性を連れていた。青みがかった不思議な色合いの黒髪に、濃い青の瞳のどちらかという儚げな美人だった。
「僕の伴侶だよ。」
「はんりょ?」
は言葉の意味が分からず、よく分からず首を傾げる。すると隣からイタチが苦笑しながら言葉を換えた。
「奥さんってことだ。」
「結婚って事?」
「うん。僕は彼女と結婚したんだ。」
いつもは落ち着いている要が少し弾んだ声音で言った。
「は、初めまして紅姫(くき)です。お目にかかれ光栄です。」
緊張しているのか、彼女はうわずった声でに挨拶をする。は瞳を瞬いて二人の顔を見比べてから、親族で結婚した人がいなくてこういう時どういうのかよく分からなくて少し考える。
「はじめまして、、です。」
「俺は斎様の弟子で、うちはイタチです。」
は適当によく分からない自己紹介をする。そんなをイタチは笑って、自分も自己紹介をした。
「イタチはの許嫁なんだよ。」
要が楽しそうに紅姫(くき)につけたす。
この年、はイタチにチャクラを肩代わりして貰ったことによって健康を回復し、アカデミーにも通うようになり、正式にイタチがの許嫁に内定していた。
「ふぅん。おめでとうございます。」
は要への祝いの言葉をなんと言えば良いのか散々考えた末、ぺこりと一族の人が正月に自分たちにするように深々と頭を下げる。顔上げてイタチを見ると、何か間違ったらしく、彼は不思議そうな顔をしていた。
「え、ぁ、え、あ、ありがとうございます!」
丁寧な挨拶に慌てたのは紅姫の方だったらしく、土下座せんばかりの勢いで、頭を下げる。
「それ何となく違うかな。」
顎に手を当てて、不思議そうな顔で要が彼女に言う。
と紅姫はお互いに間違ったことをやっているのかと首を傾げて、改めて考えてから、なんだか儀礼に従おうと頑張るのがばからしくなって、お互いに吹き出してしまった。
「要兄様の奥さんだから、紅姫(くき)姉様だね。」
「そ、そんな恐れ多い、」
が親しげに笑うと、紅姫は恐縮した。
「えーだめなの?」
「いや、駄目じゃないですけど。」
「じゃあ、紅姫姉様ね。わたし姉上いないから嬉しいな。」
は一人っ子で兄弟もいないし、体も弱く屋敷で一人でいることが多かったので、文通相手が増えるのがただ嬉しかった。
「紅姫は翠の一族出身なんだよ。」
要が少し悲しそうに言う。
「翠って、水の国の神の系譜?」
も名前だけは聞いたことがあった。
神の系譜は基本的にお互いと連絡を取り合わないことが多い。別の国に住んでいるからと言うのもあるが、元々里や国とも関わらずにひっそりと森の中などに集落を作って暮らしていることが多い。だからは翠のことも名前だけしか知らなかった。
堰と炎のように当主が従姉弟同士というのは本当に珍しい。歴代でも初めてのことなので、二つの一族が異常だった。
「ふぅん。じゃあ、翠の一族はどんななの?」
「、」
は無邪気に尋ねると、隣からイタチが止めた。イタチを見上げると酷く戸惑うような困った顔をしている。その意味が分からずがきょとんとしていると、紅姫が優しく横に首を振った。
「良いですよ。翠は水を操る一族です。たまに氷の人とかもいますけど。」
「あ、そっか。わたしの火と一緒だね。紅姫姉様は、宗家の人?」
神の系譜において特別な力を受け継ぐのは基本的に一系統のみだが、もちろん直系でなくてもその系統の血に近ければ近いほど力は強い。
は無邪気に知らない一族のことを尋ねたかっただけだが、彼女は目じりを下げた。
「…宗家に連なる血筋ではございましたが、私自身は、」
彼女の過去形の言葉に、は首を傾げる。
「、翠はもう10年以上前に無くなってしまったと言われている。」
重い空気に耐えきれなくなったのか、イタチがの背中を優しく叩いて言った。
翠は15年ほど前に滅びたと言われている。どういった形だったのかは誰も知らないが、消息を絶ったという話はイタチも聞いたことがあった。
「…え、」
は全く知らなかった話に、驚いて紅姫をみると、彼女は酷く困ったような顔をして笑っていた。
「もう随分と昔。私が幼かった頃のことでございます。」
「でも、紅姫姉様は、」
「幸運にも私はその日、勝手なことをしており外に遊びに出ておりまして生き残り、安全な場所まで最期の当主であった異母兄上に連れて行って戴き、お見送りいたしました。」
神の系譜の一族は大抵の場合は捕らえられたりすることを防ぐため、結界のある一定の敷地内から出ることを禁じられている。だがその日、紅姫はどうしてもその外に出てみたくて、運良く翠の一族が皆殺しにされたときその場にいなかったのだ。
偶然生き残って呆然としていた紅姫は、当主に助けられて水の国の外まで運ばれ、死出の旅路へと向かう当主の後ろ姿を見送った。
「私の親族は、皆。」
母も、既に当主だった異母兄も、そして翠の一族を継ぐはずだった異母兄の子どもたちもすべてが殺され、人里離れた廃墟の中で眠っている。
「私はそれから一度も帰っておりません。私の家族は、もうおりませんから。」
悲しそうに、紅姫はそう話を終えた。
一族が滅び、既に家族も亡くなった悲しみに覆われたその場所を訪れることは、辛いだけでなく危険なことでもあるだろう。
その表情は悲しみに覆われていた。
「紅姫姉様は、要兄様のおくさまだから、もう、わたしの家族だよ。」
は寂しそうな青色の瞳が悲しくて、彼女の手をとる。
には幼くして一族を失うことになってしまった彼女の苦労も、悲しみも分からない。助けてあげることも出来ない。でも、家族を失った彼女が自分の家族になったことだけは知っている。
掴んだその細い手は驚いたように動きを止めたが、彼女は泣きそうな顔で笑った。
「…嬉しい。」
その一言に、彼女のすべてがこもっていた。
「家族は頼りになる。僕も沢山頼ってしまったから、も何かあったら言うんだよ。」
要は優しく笑って、の頭を撫でる。
彼の両親が殺された時助けたのはの母である蒼雪で、要は長らく炎一族邸に滞在していた。とはいえ、世話をしていたのは侍女達だし、は体が弱いので話し相手になったくらいである。
「わたし、何もしてないよ?」
「そんなことはないよ。それにイタチもだよ。君も僕の家族だ。」
「まだ気が早いだろう。」
要は赤紫色の瞳を細めてイタチを見たが、イタチは困った顔で反論する。
「でも、許嫁になった限りは決定だろう?皆家族だよ。」
既に麟と戦って殺されたため、要には近しい両親がいない。妻の紅姫も一族は滅びているため親族は誰もいない。だからこそ、近しい親族は炎一族の宗家だけだ。
それはある意味で里と共存しない神の系譜にとって唯一の外の世界との繋がりでもある。
「大家族だね。」
が嬉しそうに笑う。すると紅姫も「はい。」と花のように笑ってみせた。その笑みがどれ程の喜びと幸福を孕んでいたかを、は知らなかった。
亡族