かつては翠の住処となっていた廃墟は深い湿地帯の中にあり、水影のメイの先導で小さなカヤックのようなボートをこぎ、そこまで行くことになった。
他にも雑務があるため、ネジは青と感知についての話し合いを行い、リー、サイ、ヤマトもそれに随行することになった。そのため結局翠の廃墟まで行くことになったのは霧隠れの里のメイと長十郎、隊長のイタチ、、サクラ、そしてナルトだった。
「あれは石碑?」
は湿地帯にぽつぽつと立っている四角い石を指さす。すべての石に玉を持つ3本のかぎ爪のようなものが描かれていた。
「えぇ、これは翠の家紋よ。」
メイはに小さく笑って説明する。
「なんでかぎ爪なんだってばよ?」
「わからないわ。もう生き残りもほとんどいないから。」
この湿地帯にも入る人間はほとんどいない。特に翠の神の系譜が里を襲ってからと言うもの、この辺りは禁忌の湿地とされ、基本的に人は恐れ、入り込まなくなった。龍がまだこの辺りに住んでいるという噂も手伝って、暗部の探索隊も嫌がったほどだ。
実際に暗部の一部隊もここで消息を絶っている。
「こっちよ。足下に気をつけて降りて頂戴。」
僅かに硬い石の組まれた場所があり、そこにボートをつけて、メイはボートから下りる。それにイタチやたちも気をつけながら続いた。
水の上にチャクラで吸着するのは難しくないが、それが出来なければそのまま沈んでいきそうな湿地帯で、霧が辺りに立ちこめている。はぐれたらきっと追いつけなくなることは明白で、は思わずイタチの服を掴んでいた。
「大丈夫か?」
「うん。ちょっと怖いね。雰囲気が。」
霧のせいかあたりは薄暗く、気味が悪い。木が高く生い茂っていることも、見渡しが悪く気味の悪さを倍増させている。こんな所に人が住めるのかどうか自体怪しくなるほどの湿地帯だ。それでもこの石畳が人為的に整備されたものだと言うことだけはわかった。
道もここ以外には存在しないのだろう。この石畳だけが唯一ここに人が住んでいたことを示している。
しばらく歩いて行くと、大きく口を開いているのは洞窟があった。地底へと続くような、ぱっくりと口を開けたそれは中へと続いているようだ。
「ここが、翠のかつての住処よ。中はかなり広いから、はぐれないように気をつけて。」
メイが先に注意をして、灯りとなる灯籠を持って先頭に立った。
ぱっくりと開いた洞窟の中は、水のしたたる音が不気味に響いていて、今にも何か出てきそうな雰囲気を醸し出している。
「ナルト!ちょっと寄ってこないでよ!」
怖がって身を寄せてくるナルトをサクラが怒鳴りつけるが、彼女自身も不安そうだった。
5分ほど歩くと、メイが足を止めて、灯籠を掲げる。
そこにあったのは大きな鉄の扉だった。普通の扉の二枚分。不釣り合いな程立派で表面には見事な龍の彫刻が彫られており、随分と重たそうだ。
「これ、開くのか?」
イタチが問うと、長十郎が自分の刀を背中へと置いて扉の前に立つ。
「開きますよ。」
実際に彼がその扉を思いっきり押すと、扉は重々しく軋んでから開いた。
中からは酷く冷たい冷気が溢れてくる。凍えそうなほど寒くて、は身震いをした。先ほどの湿地帯の冷たさとは全く違う、本当に冷気というのが正しい。くしゃみを一つして、は一応念のためと持って来た裏に毛皮の張られたフード付きの着物を羽織った。
「みんな、大丈夫か?」
寒さに弱いの様子を確認してから、イタチはサクラとナルトを振り返る。
「おうよ。俺は大丈夫だってばよ。でも、」
「…流石に寒いわ。」
サクラは薄着だったため、フード付きのマントを引き寄せるが、下が半袖であるためどうしようもない。
「ちょっと小さいかもだけど、わたしもう一枚持ってるよ。」
は巻物を取り出し、コートを口寄せする。
結局のところ背の高さが10センチ違うの着物では袖の長さが短いが、それでもないよりはましで、サクラはそれを来た上にマントを羽織ることになった。
「冷えんなぁ。地中だからか?」
ナルトも寒いのか、マントの前を無理矢理締めて体を震わせる。
「なんでこんなに寒いんだ。」
イタチは一歩中に足を踏み入れ、吐息が白い事を見て驚きを隠しきれなかった。
地中だからと言ってこの凍てつくような寒さはおかしい。扉の外側はそれほど寒くなかったというのに、扉を開けて中に入った途端にこの寒さだ。まるで冷蔵庫の中にいるような寒さに、全員が閉口した。しかも奥へとはいるほどどんどん寒くなっている気がする。
「私達にもそれはわからないのよ。結界の向こうに原因があるようなのだけれど。」
メイも寒がる他の面々に苦笑して言う。寒さに弱いは毛皮の羽織を着ても寒いのか、胸元をかき合わせてイタチにくっついていた。
洞窟と違って、扉を入ると中には石畳が綺麗に敷かれ、暗いながらも所々灯りと利用に通気口もあり、荒れてはいるが、石畳に面して沢山の扉とそこから繋がる部屋もあった。
が白炎の蝶の鱗粉で照らしながら開いている扉の中を覗くと、石畳には絨毯が退かれていたような痕があり、人が生活していたのか、ひび割れた皿やツタにまみれた家具も残されていた。そこには続く部屋が沢山あり、普通に生活していたのだろう。
「なんだってばよ。これ。」
「突然、うち捨てられた感じだな。」
戦乱に巻き込まれて脱出したのなら、ある程度は片付けてものを持って逃げただろう。それをしなかったと言うことは、突然何かに巻き込まれて、ここを放棄せざるを得なかったのだ。
「昔は、人が住んでいたんですか?」
は先頭を行くメイに尋ねる。
「えぇ、何十人もいたそうよ。とはいえ、生き残った人はご存じの通り堰家の奥方の、紅姫(くき)様だけ。今となってはその紅姫様も。」
メイが知る翠の生き残りは、堰家の当主夫人となった紅姫だけだ。
翠は当時、数十人の集落を作り、この湿地帯で里とは関わらずに暮らしていたという。あまりに人里離れているためもちろん詳しくは誰も知らないが、15年前翠の当主が里を襲った頃に、翠一族も忽然と姿を消した。
紅姫がどうして生き残ったのか、どういう経緯を持って土の国の神の系譜だった堰家に保護されたのかは知らないが、彼女は詳しくそのことを話そうとはしなかった。彼女にとっては辛い現実に他ならない。
もうその紅姫も重体だと言うから、真実を知り得るものはいない。
「…紅姫姉様は翠は滅びたって言ってたけど、」
が紅姫に会ったのは数度だが、青みがかった漆黒の髪の儚げな女性だった。
堰の当主・要との母である蒼雪は従姉弟同士であり、その関係から要の両親が殺された時、要は一時期炎一族邸に預かられていた。その関係もあり、一人っ子でずっと家にいたは要を兄のように思っていたし、要が土の国に帰った後も頻繁に連絡を取り合っていた。
彼が結婚し、子どもが生まれたのは5年前の話だった。
だからこそその奥方となった紅姫にも会ったし、文通もしていたわけだが、彼女はほとんど自分の家である翠について話すことはなかった。事情が事情だけにも聞くことが出来なかった。
――――――――――私の一族はね、なくなっちゃったの。
賑やかで人も多い炎一族を見て、そう、濃い青色の瞳を揺らして、寂しそうに言った彼女を、はよく覚えている。
は幼い頃から炎一族で両親に愛され、一族からも大切にされて育った。
彼女が翠の当主の血に連なる存在だったのか、それとも違ったのかは知らない。少なくとも彼女が本質的に神の系譜の力を受け継いだ直系ではなかったのは確かだ。それでも、自分がよりどころとしていた一族がなくなるそれがどれほど大きいことだったのか。
想像絶する苦しみがあっただろう。
「どうして、」
はそっと、戸棚の上に置いてあった写真立てを手に取る。
冷たく凍り付いたそれの霜をはらうと、そこにあったのは一つの家族の笑いあう写真だった。大切な、写真を持っていくことも出来ない程に、滅びはあっという間だったのだろう。
里を襲った翠の当主、ある日突然、忽然と姿を消した一族。
その謎のすべてが、この冷たい廃屋の中で眠っていた。
廃屋