四方を水の龍に囲まれたとしても、水面ならばまだ下がある。ばしゃんとが下に潜ったと同時に、の体によって遮られていた須佐能乎の刃が放たれる。

 水面はゆらゆら揺れていたが、漆黒と白色の炎をつがえた矢は、まっすぐと飛んでいった。

 最初から、浮の相手はとサスケでするつもりだった。

 浮に突っ込んでいったイタチはただの分身だ。影分身ですらないため、攻撃は愚かチャクラを使うことも出来ない。刀も分身の付属品で、どちらにしても分身なのだから傷つけることは出来ない。元々浮がそれなりの使い手である事は、彼の硬そうな手を見れば分かった。

 あれはどう見ても、武器を握る人間の手。イタチの攻撃ならば避けきると信じていた。

 イタチの分身を使ったのは、イタチがここにいると思わせるためだ。ならば破壊が簡単だとは言え、いつまでも梢が作る水鏡や結界に気を取られていれば、隙が出来る。ましてや水があればいくらでも水鏡が作れるのだ。

 そのため、先に水を作っている浮を倒しにかかると、見せかける必要があったのだ。

 たゆたうように水の中からきらきら光る水面を見上げていると、手が伸びてきた。イタチほど大きくないが、それでも自分より固くて、大きな手だ。それがの腕を掴んで、水面にぐっと引き上げる。




!」



 サスケはを自ら引き上げると、思い切り二発ほどの背中を強く叩いた。



「こほっ、」




 その勢いに負けて、水を吐き出す。




「おまえ、泳げないなら先に言え!」






 僅かに声を荒げてサスケはを怒鳴る。もすっかり忘れていたことだが、半年しかアカデミーに行ってないは、夏の水泳訓練を受けていなかったため、泳げない。おかげでサスケが引き上げてくれなければ、沈むところだった。

 一通り咳き込んでから後ろを振り返ると、そこには白と黒の炎の中に浮がいた。彼の薄水色の髪が炎に煽られて揺れている。どうやら、のチャクラを焼く炎に燃やされ、どうやら穢土転生は完全に無効化されるようだ。

 はサスケに支えられながら立ち上がると、彼に歩み寄った。

 の体を盾に死角から狙っていたチャクラを焼く白炎と、消えない天照の炎を宿した須佐能乎の矢は命中したらしい。矢には圧縮した白炎の玉を番えたので、水に消されることなく彼の体を焼くことが出来たのだろう。




「あっちも、うまく言ったらしいな。」





 サスケは向こう側を見て、言う。霧が晴れて、視界が良くなれば、向こうでイタチが梢を確保したようだった。もともと足に障害があり、機動力のない梢を倒すのは、イタチとしてはそれ程難しくなかっただろう。

 とはいえ、穢土転生の封印はチャクラごと焼く白炎を持つにしか出来ないから、あまり長く話してはいられない。




「…瀧と、淡姫は、元気です。」




 は父親として自分の子供たちの行く末を叫んだ彼の気持ちを思って、目を伏せる。




「堰の子息も同じ年頃ですから、一緒に本陣に預かられています。敵にわたしたりしません。」




 10歳以下の子供では、例え神の系譜でもどのみち戦力にはならない。水の国の神の系譜・浮の子供である淡姫と瀧は、土の国の神の系譜・堰家の息子である椎とともに、五大国、しいては五つの里において本陣に預かられている。

 時代は少しずつ変わり始めている。

 五大国に一つずつ存在した神の系譜は、この大戦で初めて集まり、顔を合わせることとなった。それがこれからをどのように神の系譜同士の、もしくは里との関係を変えていくのかは分からない。炎以外の神の系譜のすべてが、長らく互いに互いを殺し合い、時には里と争い、襲われ、傷ついてきた。

 力を持ちながら、それとどのように向き合い、認められていくのかは、里とうまくやってきた炎にも、常につきまとっていた問題だ。




「雷の国の麟は、暁側についていますが…風の国の飃も、風影の謝罪とともに、この大戦に協力しています。」




 かつて砂隠れの里に酷い扱いを受けていた飃の兄弟とて、簡単に謝罪なんて物を受け入れられるわけではない。それでも、互いに互いを思いあう心さえあれば、歩み寄ることは出来る。事実その謝罪になんの言葉も発さなかった飃の弟の樒は、それでも大戦への協力を受け入れた。




「貴方の一族も、奥方様も霧隠れの忍に…。だから、もちろん受け入れがたいということは、わかってます。そして、霧隠れにとっても、きっと…」



 は肉親を失ったことはない。だが、例えば父を殺した相手を許せるかと言われたら、想像も出来ない。悲しみのあまり狂ってしまうかも知れない。どんなに優しい人たちが自分に言葉をかけてくれたとしても、辛く悲しい記憶は決して無くなったりしない。

 浮は一族とそして妻を霧隠れに殺され、子供たちを守るためには子供たちを忍具に封印するしかなく、忍具を奪うために霧隠れの里を襲って沢山の人を殺した。憎しみを憎しみで、悲しみを、悲しみで重ねた。彼の傷を癒やす時間は、既に残されていなかった。




「でも、わたしたちはまだ時間があります。」





 死は終わりを意味する。だが、自分たちはまだ死んでいないから、きっとゆっくりと進む道があるはずだ。その時間も、たちは持っている。




「わたしに出来ることは小さいです。これがきれい事だって、分かってます。」




 神の系譜だといってもはまだ16歳の子供で、出来ることも、出来る力だってない。助けて貰わなければ翠の当主である浮を倒すことだって出来なかっただろう。一度死んだこともある。

 それでも、少しずつすすむことは出来る。




「でも、変えて見せます。…少なくとも、二度と淡姫と瀧に悲しい思いをさせないように、わたしができる限り精一杯手を尽くします。」




 親が子供を心配するのは当然のことだ。ましてや自分が守ることも出来ない立場に立たされれば、辛いなどと言う言葉では言い表せない。いつも両親が力を持つを懸命に守ろうとしてくれたように。それが傍で出来なくなってしまったことは、きっと彼を苦しめている。




「…炎は違うと、誰かが言っていた…」




 の言葉を、浮は静かに目を伏せて聞いていたが、躊躇いがちに口を開く。

 炎一族は各国の神の系譜の中で一番大きな一族を持ち、里や国と宥和政策をとったおかげで、炎一族の神の系譜はここ2代にわたり争いで死ぬことはなく、自然死だ。争いで死んだ系譜もいない。対して翠の当主は全員が戦いの中に死んでいた。

 互いに互いの事は知らないのが常だったため、噂でしか聞かないが、それでも炎一族はある意味で他の神の系譜にとっての理想だった。

 だからこそ浮も話し合いをするために霧隠れに出向いた。しかし、結果は裏切りと一族の滅亡だった。




、と言ったな、」




 浮は炎に揺られながら、を見る。




「お願いだ、お願いだから、娘を、息子を助けてくれ、」



 泣くような、あまりにも悲しげな慟哭には目を丸くした。




「あの子たちに、お願いだから、優しい未来を、生きられる未来をっ」




 血を吐くように、彼はに縋り付く。例えに力がなかったとしても、今この場にいて、頼むことが出来る相手は、しかいない。消えていく浮に、子供たちを守る力はもうない。彼が与えた幸せで無意味な眠りから覚まされてしまった子供たちは、もう進むしかないのだ。

 彼らの未来を、手助けしてやりたいと、守ってやりたいと浮は父親として思っていた。しかしそれを果たすことは出来ない。

 今浮が出来るのは、目の前のあまりに小さな少女に、縋り付くことだけだ。





「頼む、お願いだ、子供をっ、」





 声を震わせて懇願する浮に、はきゅっと唇を噛む。

 死にゆく瞬間に彼が考えたのは、きっと子供のことだけだっただろう。子供たちの未来だけを考えて、それだけを心残りに、彼は死んだのだ。それ以外のことなど、きっとどうでも良かった。

 親が子供を思う気持ちを、は痛いほど知っている。

 父母が自分を心から愛し、大事にしてくれたように、彼も子供たちを心から愛していただろう。ともに歩みたかった、成長を目にしたかったに違いない。

 そして何よりも、多くの後悔を、自分の選択ミスを、死にゆく自分をその瞬間まで呪ったに違いない。




「…うん。約束する。」




 自分の手はまだ小さい。でも、は拳を握りしめて、心から彼に頷いた。




「わたしが、守るよ。」




 何かあったとしても、精一杯守ろう。彼が淡姫や瀧にしてやりたいと思っていたことでが出来ることは少ないのかも知れない。でも、そんなことは今関係ない。

 今死にゆくしかない浮にができる手向けは一つしかない。




「絶対に、」



 も声を詰まらせて大きく頷く。それを聞いた浮は僅かに安堵した表情を見せて、静かに目を閉じて白炎の中に消えていった。
遺言