幼い頃の、忌まわしいと言ってもよい記憶だ。



『君、根暗だね―。』




 鈴を鳴らすような軽やかで男のくせに高い声、幼げな笑顔とともに、そう言った彼をサソリはよく覚えている。


 彼さえいなければ、サソリはもっと迷わなかっただろう。

 彼さえいなければ、サソリはこれほどに渇望しなかっただろう。

 彼さえいなければ、サソリはこんなに簡単に負けたりしなかっただろう。

 彼が同じ里の人間なら、サソリは仲間になれただろう。




『一緒に外に行こうよ。うんっていうまで、僕これ壊し続けるからね。』





 傀儡を持って、にっこりと笑う。

 強くて無邪気で、性格が悪くて横暴で、そのくせに全てがなんだか軽い。悪気なさそうに見える。やっていることは酷いのに、何故か憎めない。ろくでなしの権化。でも彼は愛情の塊で、唯一のサソリの幼馴染み、友達。




「はっ、つぇーわ。やっぱ。」




 サソリは背中に感じる固い地面の感触に小さく笑いながら、上を見上げる。

 そこにいるのはひょろっとした長身に、童顔の、中途半端な紺色の髪をなびかせた男だ。年の頃は20代に見えるが、もう30を数えている。サソリとそれほど変わらぬ年齢で、腰に手を当てて悲しそうに目尻を下げていた。



「・・・勝てないって、わかってただろう。」



 悲しげな高い声音は、染み渡るような寂しさがにじんでいた。

 歩み寄ってくる彼は壊れた傀儡を踏みつけることなく、わざわざよけて歩み寄ってくる。それを見ながら、サソリは笑ってしまった。

 いつもなら、冗談交じりに壊すぞと脅してくると言うのに、彼がサソリの傀儡たちを手荒に扱ったことは一度もなかった。戦いになったのも、これが初めてだから、壊されたのも初めてだ。律儀で、優しいのだ。この男は。愛情深くて優しい。ただ、こんな時まで優しくなくても良いのにと思う。


 勝てないことは、わかってた。

 幼馴染みだ。彼は天才的な才能を持っていて、不思議な、どの一族とも違う血継限界と伝統的な特性を持つ彼らの中でも、斎は幼い頃から目に見えて才能に恵まれ、また、里という利点を生かして他の一族のありとあらゆる術を習得した。

 それだけの力を持つ天才が、今の時代に生まれてきたのは、そして4代目と兄弟弟子になったのは、うちはイタチの師となったのは、そして何よりも、炎一族の特別な力を持ちながら生まれてきた、最後の蒼一族の娘の父親になったのは、何か意味があったのかも知れない。

 蒼一族という由緒ある“一族”に生まれながら、一族の全てを殺され、そして結婚という形で計らずにもまた炎という“一族”を手に入れ、彼の娘はおそらくうちは一族を取り込み、広がっていく。蒼一族は劣性遺伝であるため、他の一族と通婚すれば血継限界もその形質も伝えることは出来ない。

 だが、血はつながっていく。そういう道を選んだ。蒼一族は消えゆく道を、選んだのだ。血継限界や力などいらない。ただ、一族が消えゆく道を、代わりに血がつながっていくという道を、彼らは進んで選んだ。残るのは見えないもので良いと、納得した。

 でも、誰ともつながっていないサソリは、どうしたらよいのだろうか。




「なんで、こんなことをしたの。」




 サソリ、と悲しげに響く高い声音に、サソリは目を閉じた。



「わかってんだろうが。」




 紺色の髪の柔らかい笑みを浮かべた男女に抱かれて、その幼子は笑っていた。サソリと斎が初めて会ったのは、遠い昔、蒼一族の予言を求めてちよばあが蒼一族の泉を訪れた時だった。その頃、サソリも斎もまだ酷く幼かった。

 すでに両親のなかったサソリとは違い、斎の両親は当時まだ健在で、一人息子の彼に惜しみない愛情を注いでいた。蒼一族はすでに数人しかいなかったため、幼い子供は斎だけで、一族と呼ぶよりは家族といった方が妥当なほど小さな彼らは、斎にめいっぱいの愛情と庇護を与えた。

 斎が12,3歳を数えた時の忍界大戦で斎を残して蒼一族は全員殺されることになるが、早熟な彼の才能を完成させるに十分な時間を一族は彼に与えたし、彼に確かな愛情と、一族というものへの一定の答えを残した。

 すでに彼には蒼一族以外に、里の中に大切な人間がたくさんおり、兄弟子でもある波風ミナトが火影になったこともあり、本来ならひとりぼっちになった彼にあっさりと居場所を与えた。彼は家族を作り、また大きな一族に繋がれた。


 だが、サソリは何もなかった。


 幼い頃に両親はなく、祖母はいたがいつも一線を引かれているのがわかっており、砂隠れの里は何度も戦争を抱え、それほど優しい場所ではなかった。家族のいないサソリは、繋がりがよくわからなかった。作り方も与え方も知らなかった。

 ふと気づけば、ひとりだった。




『えーーーー、退屈じゃん、せっかく来たのに、遊びに行こうよねーねー。』




 サソリの孤独を、斎は鬱陶しいくらいの明るさと、土足で心に踏み込む図太さで、あっさりと超えてきた。無邪気に、悪気もなく、笑いながら、サソリを連れ出す斎に、サソリはどうして良いかわからないという困惑と、ささやかな嫉妬、そして憧れを抱いた。

 それは少しだけ、大きな一族で愛情を得られなかった蒼雪が斎に向けた感情に、よく似ていた。

 彼女が斎に惹かれた理由はわかる。少しぐらいぐれていても、ひねくれていても、賢くて意地が悪くてサボり癖があっても、結局斎は愛されて育った子供で、その愛情を廻りに惜しみなくまき散らしていた。だからきっと、蒼斎はありとあらゆる人々を魅了できたのだろう。

 でも、蒼雪のように全てを捨てて、斎を求められるほどサソリは子供ではなかった。

 木の葉に行けば、斎がいる。でも彼は木の葉の忍であって、戦争が始まれば敵同士になった。踏み越えられない一線がそこにある。それはサソリがずっと感じていた、欲していた愛情と同じ。求めて持てに入れられない、そこにはない。



「最初から、持ってれば良かった、」



 欲しかった、欲しくてたまらなかった者を、戦争は全て奪っていった。手の中に残っていた者すらも、奪っていく。だから、どうしても、どうしても受け入れられなかった。受け入れたくなかったのだ。

 暁の理想がどんなものだったのか、本当はサソリはよく知らない。ただ、幻術によって戦争をなくす、都合の良い未来を作るという理想に、ある意味サソリは惹かれた。幻術でもない限り、手に入れられるものなんて、もうサソリにはなかったから。



「無理、だろ、おまえと俺、見りゃわかる、」




 幼馴染みとして笑いあった時間が確かにそこに存在したはずなのに、戦争になった途端にあっという間に敵同士。殺し合わなければならなくなる。お互い生き残ったのは、ただ運が良いからだ。戦場において強者が生き残るのではない。所詮は幸運が物を言う。

 戦争をなくすとか、里で協力し合うとか、そんなのただの理想だ。




「・・・そんなことないよ。」




 斎は静かに目尻を下げて、小さな笑みを浮かべる。




「君たちが与えてくれたチャンスだろう?」




 戦争はもう止められない。敵が、暁が、いや、マダラが何を企んでいるのかはわからない。けれど、五つの里はそれぞれの思惑で戦いに共同で参加し、ともに戦い、そして絆を築いている。それは確かに些細な者かも知れないが、人と人を繋ぐ。

 里の前では人など無力だ。斎とサソリが敵同士になったように。

 けれどやはり人の繋がりが、繋がりを生む。こうして関わり合うことで他里の人間を身近に感じることで、相手のことを大切に思うことになるだろう。相手を思い、繋がり、家族になる人だって出来るだろう。




「はは、じゃあ、俺は、敵ってわけだ、」




 サソリは笑う。

 里同士が見方になったのだとしても、どちらにしても自分は彼の敵であることに変わりない。否、今となっては全ての里の敵だ。世界の敵。それがサソリだ。

 自嘲気味の笑いを漏らせば、はーと頭上でため息が聞こえた。




「だから、僕は火影にならなかったんだよ。」




 斎は膝をつくのではなく、三角座りをするように、サソリの隣にしゃがみ込む。

 優れた才能と、幼い頃からの経歴、斎が火影の候補者にされるようになったのは、4代目火影が死んですぐの頃からだ。20歳代での火影就任は、波風ミナト以来最年少になるだろうと歓迎された。でも、斎はそれを受け入れなかった。




「里のためより、僕は家族や大切な人のためにこの命を使いたかったから。」




 いつか、里と反目するのかも知れないと、斎は思っていた。

 斎は里のために誰かを捨てるなんて絶対に嫌だった。でも、火影ならば里のために大切な人を捨てなければならないかも知れない。皆のことを考え、個人を忘れるのが火影だ。なら、斎はそんな物になりたくないし、なれない。




「君が、僕の所に来てくれたら、もう嫌だって言ってくれたら、僕は何だって出来るんだよ。」





 優しい声音は軽かったけれど、酷く真剣な響きを含んでいる。

 サソリが一言、砂隠れを捨てたいと、もう嫌だと言ってくれれば、斎は彼を匿っただろう。例え砂隠れを敵に回しても、炎一族の婿である斎には表向きには炎一族という後ろ盾が、暗部の親玉として後ろ向きには暗部の後ろ盾がある。

 木の葉の上層部がうるさく言ったとしても動じない程度の権力は持っている。

 そして同時に斎はそれらすべてにこだわりがない。いつでも誰かを助けられるように権力を、才能を、力を保持しながら、それを捨てることにもこだわりがない。



「ねえ、帰ろうサソリ・・・。」




 膝を抱えてしゃがんだまま、斎が俯く。男のくせに高い声音が震えていて、語尾が掠れた。それは懇願に等しい響きを持って、無機質で、温かみのない傀儡ばかりが転がる戦場で、空しく響く。

 こちらに目を向けないまま、伸びてきた彼の手がサソリの手を握る。




が、待ってるよ、」





 誰かが待っているなんて、考えたこともなかった。帰る場所なんて、いつもなかった。両親はなく、ちよ婆はいつもよそよそしくて一線を引いていた。帰る、なんて言える場所はいつもどこにもなくて、いつもいつも手を繋いで帰る子供たちを、ただひとりぼっちで見ていた。

 感触のないはずの傀儡の手に、何故か温もりを感じる。




「・・・馬鹿じゃ、」




 ねぇの、おまえは、と続けようとして、声が出なかった。

 もうとっくに求めている者の正体を知っていた。苦しくて、悲しくて、ひとりぼっちの中で求めていたのは、幻術なんかでも、世界の構築なんかでもなくて、ただ、ただ、小さな温もりだけだった。
握手