白縹が孫娘であるに会うことが出来たのは本当に一度だけだ。



「こちらです。」



 紺色の髪の男は自分の家の中へと、白縹を招き入れる。突然、本当に突然木の葉へと白縹を呼び出したのは、娘を奪った憎い男だった。

 斎は昔から炎一族に出入りいていた予言の一族・蒼家の倅で、白縹の跡取り娘が昔から彼に懸想していたことを白縹とて承知だった。しかし斎は里の忍であり、年が来るごとに任務が忙しくなったのか、彼は来なくなった。娘も諦めるだろうと、白縹は安易なことを考えていたのだ。

 16歳になると、娘は炎一族を捨て、男の元に走った。

 炎一族の東宮という立場も、地位も名誉も何もかも、彼と結婚するという一言の元にすべてを放り投げて、彼と一緒になった。それを当然白縹も、正妻で彼女の母であった風雪中宮も許せなかったし、同時に自分たちが反対すれば娘も諦めるだろうと、娘を甘く見ていた。

 どうせ外に出ても家事も、何もしたことの無い娘だ。無理だと分かって、すぐに帰って来ると思っていたが、1年たっても彼女は帰ってこず、むしろ木の葉で籍を入れ、忍として働き、そして子どもまで作った。

 白縹にとっては孫娘となる赤子は、白炎を持って生まれた。炎一族の未来を紡ぐものだった。



「すいません。雪は今、いませんから。」



 彼は少し申し訳なさそうに言って、家の中で一番日当たりの良い部屋へと白縹を案内した。

 そこにあったのは柔らかそうだが小さな布団で、真ん中で毛布にくるまるようにして、小さな幼女が温かい日差しの中で眠っていた。

 仮にこの場に気性の荒い娘がいたならば、間違いなく白縹を追い出していたことだろう。駆け落ちした娘は、恋愛に反対した自分を許そうとはしなかった。同時に孫娘にあわせる気も全くないようだったから、これはあくまで斎の独断だろう。



「…一度も会わせないと言うのは、僕は反対なんです。」


 白縹に、斎は穏やかな声音で言った。

 少なくとも白縹にとっては生まれた赤子は孫に当たる。反対だろうと賛成だろうと、一度は会わせるべきだというのが、斎の意見なのだろう。とはいえそれは彼の意見であり、気性の激しい娘の意見ではないのだろう。



「最近少し歩くようになったんですよ。」




 赤子というか、幼女というのか、まだきわどい年頃だ。1歳、いくかいかなかいかと言ったところだろう。優しい眼差しを向けて、彼はそっと柔らかそうな紺色の髪を撫でつける。

 炎一族ではあり得ない紺色の髪に、長い紺色の睫。

 娘の子供と言われても、彼女はあまりに蒼一族としての血、容姿の方が強く、どう見ても娘と似ているようには見えない。

 ただ幼子の傍には白い炎の蝶がゆるく羽を揺らしていた。



「…」



 白縹は何も言うことが出来なかった。

 娘に、子どもが生まれたという話は聞いていた。白縹にとっては初孫になる、孫娘だ。白炎使いであり、これから炎一族の次世代を担うのは白縹の娘と、この孫娘だと言うことも聞いていた。だが駆け落ちした娘のことを思えば、白縹はなんと声をかければ良いか、まったく思いつかない。

 白縹の心情を察してか、斎は苦笑して、幼女を抱き上げた。



「うーん、うぅー」



 その振動のせかいか、眠たそうに目を擦りながら幼女は斎とよく似た紺色の大きな瞳をぼんやりとさせながらも斎に向けて、首に抱きつく。



、ちょっと起きて、」

「んー、ぁ、ぅ」



 斎が幼女を自分の膝へと抱き上げると、幼女は起こされて不機嫌なのか少し泣きそうに目尻を下げて、べちべちと斎の頬を叩いた。ぼんやりとしてはいるが、大きくくるりと丸い瞳は、斎にそっくりで、白縹の娘の面影は無い。やはり随分とこの子は父親似のようだった。



、ほら、じーじだよ。」

「むぅー、あー、」


 斎が言うがはよく分からないらしく、父親の首に手を回し、もう片方の手の親指を加えたまま、白縹を不思議そうに見つめている。

 あまりに無垢な紺色の瞳が、ふと昔の光景を彷彿とさせる。

 長い紺色の髪が揺れていた。悲しそうな顔をしていた美しい顔をした叔父と、漆黒の髪の男とともに去って行く紺色の髪の麗人を、ただ見送った遠い日。



 ――――――――――――――貴方の子供たちの中に、またわたしによく似た子に会える。



 優しくて、淡い声音が響く。彼女は最後に自分を抱き締めてくれたのだ。柔らかい腕は、幼く母を亡くした白縹が最後に味わった女性の優しさでもあった。



 ――――――――――――――きっとその子は滅びとともにわたしの夢の欠片になる



 彼女は別れ際にそう言った。

 一族のために、そして愛した人間のために、彼女は犠牲となり、死んだ。一族の狭間で何度も和平を求めながらも争いの元になって死んだ彼女の無念は、何処に向かうのだろう。未来が見えていた彼女の夢とは一族すべてがなくなることだったのではないだろうか。

 ならばこの紺色の髪を持った孫娘こそが、炎一族の“滅び”の証ではないのか。

 まだ憎しみも悲しみも、この世のどんな負の感情も知らない幼子は、無垢な紺色の瞳で白縹の答えを待っている。彼女に確かに罪はない。だが、彼女が生まれてきたことそのものが罪なのだ。



「こんな子供は、我が孫ではない・・・」



 白縹はいつの間にかそう口にして、娘を抱く斎を睨み付けていた。



「なんだその髪色は、汝は炎の子などではない!我らは、」



 滅びの運命などに屈したりはしない。

 そう叫んだと同時に、幼い孫娘が白縹の剣幕に驚いたのか突然激しく泣き出す。斎はある程度予想していたのか、静かな紺色の瞳で、しかし酷く悲しそうに目じりを下げて、娘の背中を一つ二つと叩いてあやしていた。

 白縹はひとまず息をつく。その時、廊下を歩いてくる音がした。



「…貴方がなんでこんな所にいるんですの?」




 一年ぶりに聞く、娘の声だった。波打つ淡い桃色の銀髪を一つに束ね、灰青色の瞳はきりりと目じりが上がっている。娘を産んでも全く変わらない姿の蒼雪は、白縹を見るなり、憎しみとも思えるほど激しい怒りをその瞳に浮かべた。


「雪、僕が、」

「何考えてますの?」



 斎が蒼雪に口を開くと、彼女はそちらにもぴしゃりと言葉を投げかけたが、すぐに白縹の方を向く。


「これを見ても何も思わぬのか!?」



 白縹は娘に問うた。



「この娘は白炎を持ちながら炎の子供ではない!」



 孫娘は誰が見ても炎一族の娘ではない。炎一族の能力を受け継ぎながら、体は蒼一族のものだ。この赤子は劣性遺伝だったはずの蒼一族の力を持つ、遺伝子異常を持つ突然変異だ。



「蒼の娘は滅びを招く!何故それがわからぬ!」



 白縹はいつの間にか声を荒げていた。それは炎一族を守り続けてきた自分の役目だと思っていた。だが、白縹の言葉に蒼雪は怒鳴り返した。



「わからぬわ!!」



 彼女は白縹の視線から己の娘を遠ざけようとするように、娘と白縹の間に立つ。



「この子は我が娘ぞ!」



 蒼一族の形質を受け継いでいるかどうかなど、蒼雪にとっては全く関係ない。少なくともはどんな子供であっても、自分が腹を痛めて産んだ子供だ。だから炎一族の子供でなかったとしても、能力として中途半端だったとしても、蒼雪にとっては自分の命より大切な子供に他ならない。



「汝は炎一族を滅ぼしたいのか!!?」



 白縹が蒼雪に問う。

 炎一族の宗家に生まれながら、一族を滅ぼすかも知れない子供を産んで、平気な顔をしているのか。白縹は常に一族を背負い、そして宗主として良き人間になれるようにと努め、望まれるままに振る舞ってきた。それが彼の人生そのものだった。

 だが、娘の答えは白縹と全く異なるものだった。



「私はこの人生を好きな男と生きて、その男の子を産んで、ともに死にたい!」



 蒼雪は間髪入れずに言った。

 炎一族などどうでも良い。ただ、自分の生きたいように生き、愛した男の子供を産み、そして男や子供たちと共に同じ時間と生を歩んで死にたい。



「気に食わぬなら、二度と顔を見せるな!!」



 私の人生に関わるな、と蒼雪は叫んだ。娘に叫ばれた白縹は呆然とする。

 彼女の言葉は一族のためにと生きてきた白縹のすべてを否定するものであると同時に、彼女が二度と帰ってこないと言うことを、示していた。



暗澹