うちは一族の頭領の奥方の訃報が炎一族に届けられたのは、白縹が最後に彼女に会って4,5年たった頃。白縹は10歳近くなっていたので、よく覚えている。
「死んだ?」
白縹の叔父であった風雪宮は女房の報告に呆然とした面持ちでそう返し、肘掛けをぐっと掴んだ。
風雪宮はうちは奥方と仲が良く、文もよく来ていた。c一族同士の交渉の場で会っていたことも、よく聞いていた。
「・・・彼女が、死んだ」
足下から崩れるような、力のないその呟きを、白縹はよく覚えている。
当時、うちは一族の頭領マダラの元に、蒼一族の長女が、千手一族の次男扉間の元に蒼一族の次女が嫁いでいた。二つの一族はこれによって姻族関係となり、二人の姉妹を通じて様々な事柄が友好的に運ばれていた。
当時まだ幼かった白縹にはわかっていなかったが、今考えれば、それは非常に政治的な要素の含まれる結婚であっただろう。
しかし、この年の晩秋、臨月であったマダラの妻が死に、翌年、同じく妊娠中であった扉間の妻が、子供を産んで死んだ。その春、争いは再び二つの一族と、それぞれについた一族を巻き込んで大きなものとなった。
「あの人は知っていたはずだ。ああなること。それでも、あの男とともに、生きたいと願ったんだろう。」
風雪宮は晩年、そう言って、悲しそうに御簾ごしの空を見上げ、目を細めた。
蒼一族は予言の一族と言われ、当主をはじめ、その姉であった少女も、多くの予言を他の一族に与えた。だからこそ、己の逝く道を知らなかったはずはない。彼女は蒼一族のためにうちは一族に嫁ぎ、死んだ。それでも、彼女はうちはマダラを愛した。
―――――――――――わたしはやっぱり、好きな人の傍で生きて、人生を終えたいの
彼女は最後に会った日、高らかに笑ってそう言った。一切の曇りのない笑みとともに、そして白縹に与えた約束とともに、彼女は去って行った。
自分が例えうちは一族に嫁いでも、どんなに今の交渉を円滑に進めても、友好関係を気づいても、それが最終的には戦争に結びつくことも、全部全部、わかっていて、ただ終わりに向かって生きていたのかも知れない。
もし、そうなら、あの人の願いは、ただ一つだっただろう。
――――――――――わたしはできる限り、好きな人と生きたいの
地位も、身分も、戦争や平和も。すべて、あの男がいるから、大切だった。
悲劇を知っていても、終わりがわかっていても、どんなにそれが辛いことだと知っていても、彼女は一族のためではなく、ただ愛した彼の傍で生き、死ぬことを願った。愛した男の子供を産み、僅かな時間でも育て、死ぬことを選んだ。
その血筋は確かに、白縹が死ぬまで続いていた。きっと今も続いているのだろう。
「それで、幸せだったんだろうな、」
年若い叔父は、もしかすると彼女が好きだったのかもしれない。彼女が死んでからも、叔父は蒼一族と友好関係を保ち続けた。皆が彼女を忘れてしまっていても、毎年、死ぬまで、墓所である神社を参ることを忘れなかった。
多分、後悔していたのだろう。それでも彼の血筋もまた、同じように続いている。
一族とは、愛した者の揺り籠であり、それそのものだった。そして、だからこそ、うちは一族というものが存在し続けても、空っぽになったその器に、うちはマダラは耐えられなかった。
「忘れるなよ、」
灰青色の、自分と同じ瞳で悲しそうに笑っていた叔父は、自分に何を伝えたかったのだろうか。六道仙人の頃から続く一族を守りたいと願った白縹は、その本当の意味を本当にわかっていただろうか。
――――――――――私はこの人生を好きな男と生きて、その男の子を産んで、ともに死にたい!
同じ色の瞳をつり上げ、真っ向から怒りを向けてきた娘は、何故白縹を怒鳴りつけたのか。
――――――――――約束して、東宮
白縹は温もりを与えてくれたあの人の言葉を、どうして忘れていたのか、忘れたかったのか。わかるのは、白縹が全てから逃げていたことだけ。
「・・・おじい、さま?」
恐る恐る自分に呼びかけてくる少女は、やはり自分の娘には似ても似つかない、紺色の髪と瞳をしていた。下がった目尻もやはり似ていない。
だが、よく考えてみれば、下がった目尻は彼女の父親である斎にも全く似ていない。確かに顔立ちはそっくりだが、娘を奪ったあのいけ好かない男は、こんなに気弱そうに名前を呼んでくるようなヤツではない。
恐らく性格もどちらにも似ていない。娘も、あの男も、こんな真面目そうなヤツではなかった。
「勘違いだな。」
そう、白縹の思い違いだ。全部。全部。あの人も言っていたではないか。
――――――――――そっか、じゃあ、ぼくのこどもにこんのかみのこがうまれたら、・・・だね
そう尋ねた幼い日の白縹に、あの人は微笑んだ。
――――――――――うん。でも、きっと彼女は違うよ
彼女は、彼女ひとりだ。同時に、あの人とよく似ていたとしても、同じものなど、存在しない。誰も誰かと同じでなどない。確かに繋がるものはある、だが、同じものなどない。彼女は、もう死んでいるのだから。
「おい、おまえは知ってるんじゃないのか?何故、うちはは木の葉で差別されるのか。」
サスケは封印された炎一族のかつての宗主に尋ねる。彼はうちは一族の始まり、うちはマダラと千手柱間が戦った頃を知っている、当時生きており、木の葉近くの山を領有していた。今となっては事情を知る唯一の存在だ。
「その始まりを、」
サスケの声は低い。
「オレは、それを聞きたいがために、ここにいる。もちろん、こいつのこともあるがな。」
「サスケ、」
はサスケに視線を向けてから、結界内にいる自分の祖父を見上げて、僅かに首を傾げる。
「はじまり、な。」
白縹はサスケの言葉を小さく反芻した。
それは、うちは一族と千手一族の争いの和解。木の葉の始まり。そして、蒼一族の終わりの始まりでもあっただろう。
「どうなんだろうな。もともと、気づいた時にはうちはと千手は争っていたからな。むしろ蒼一族がその二つを繋いだといった方が、正しい。」
「どういうことだ。」
「そういうことだ。炎一族の記録に残る限り、二つの一族が和解したことはない。」
炎一族は神話の時代から存在する、まさに神の系譜だ。彼らの宗主は200年近い長寿で、その記録は恐らく、どの一族の記録より確かだ。他に五つ存在する神の系譜の中でも、炎一族は一番の規模を誇っている。
「歴史上、本当の意味で、犠牲なく手を繋いだのは一度きりだ。」
白縹はそう言って、自分の孫娘に目を向ける。次の言葉を続けるには、僅かな間があった。
「、汝は、」
、と。東宮のことをそう呼ぶことが許されるのは、炎一族の中では、白炎使いだけ、要するに宗主か、それに準じる地位を持つ者だけだ。同時に、東宮を名で呼ぶというのは、を個人として認めたと言うことでもあった。
は僅かに眼を丸くして、自分の祖母を凝視する。彼はばつが悪かったのかすぐにから視線をそらした。
「かつて、我はとよく似た人に会った。もう100年も昔の話だ。」
白縹は灰青色の瞳を細め、空を見上げる。空は青く、太陽は煌々と輝いている。残暑の日だった。
「蒼一族の紺色の髪をした人で、うちはの頭領の妻だった。要するに、うちは、マダラだ。」
マダラより十ほども若かっただろうか。
はじめてうちは一族が迎えた、他家からの妻。元は攫われてきた女性だったが、それでも子供であった白縹の目から見ても、仲むつまじかった。嫁いでから亡くなるまで、10年もなかっただろう。だが、それでも授かった多くの子供から見ても、彼女がマダラから寵愛を受けていたことは間違いない。
同時にたくさんの子供が産めるほど、健康な女性だった。殺されたりしなければ。
「彼女は、多くの一族が家族になる夢を見たと言った。詳しくは覚えておらんが、母親が炎で父親が、蒼で、恋人がうちはのような、そんな、夢だった。」
幼かった白縹が彼女と過ごした時間は僅かで、覚えていることも、今思い出したこともある。だが、そう、確か、彼女はそう言ったのだ。
「その時、誰もが、彼女の夢を笑った。だが、蒼一族にとって、争いあう我々の方が、不思議だったのかも知れぬ。あの人はその夢を叶えようとした。そう、叶えようとしていたんだ。多分。」
蒼一族は元々、戦乱の世の中でも深い森の中で結界をはり、自給自足を旨に争いに感化せず、引きこもっていた。彼らはうちは一族によって結界から引っ張り出されるまで、争いを知らずに育っていた。彼女の夢は、彼女にとっては少なくとも荒唐無稽なものでは、なかっただろう。
当初、彼女はうちは一族の中で、特別な異能を評価されながらも、同族ではないからとなにかと酷い扱いを受けていた。しかし彼女は嫡男の生母となり、頭領であるマダラからの寵愛も確かだった。さらに、外部との交渉役として様々なつてを持ち、人望もあった。
たった数年で、彼女はうちは一族にとっても、他の一族にとってもなくてはならない存在となっていた。
彼女は穏やかで、優しく、平和を愛していた。戦いを何よりも恐れ、人を大切にした。愛していた。様々な一族にパイプを持っていた。千手とうちは一族の間の友好関係が保たれたのも、間違いなく彼女のおかげだ。
そのうちに彼女の妹が千手の扉間に嫁いだ。一時の平和。それは紛れもなく、彼女とそれをつなぐ蒼一族によって作られた。
「…その人は、どうなったんですか。」
が酷く躊躇いがちに尋ねる。それは、うちはと千手の争いの系譜を知るからだ。一瞬口を噤み、白縹は重い事実をため息とともにはき出す。
「・・・殺されたそうだ。千手に。」
それは、和解と、争いの物語。
記憶