風雪御前は、現宗主蒼雪の母であり、前宗主の中宮であった女性だ。



 中宮とは宗主の正妻のことだ。



 元々風雪宮家出身の身分の高い女性で、かなり剛胆な人だ。

 宮家というのは宗主の子供の家を指す名字で、風雪宮家は5代前の宗主の弟の家である。

 宗主の子供はすべて宮号を与えられるが、その中で宮家として存続を許されるのはほんの一部。



 現在では宮家は風雪宮家、揺月宮家、花鳥宮家の3家のみである。


 中でも風雪宮家は革新的な政策で知られる。

 炎一族と同じ神の系譜である堰家との友好関係を結ぶために先代の風雪宮家当主は奔走し、また
主家である炎一族に恭順の意を示すために心を砕いた。


 そのために、二人いた娘のうち、姉の蒼姫を炎一族宗主に、妹の青姫を堰家の当主に嫁がせたの
だ。

 現在の堰家の当主堰要の母は青風御前・青姫である。

 今では風雪御前と名乗る蒼姫は、前宗主の木の葉との宥和政策をすすめ、今の炎一族の礎を作っ
たと言っても過言ではない女性だ。

 うちはと炎一族は同盟関係にあるため、事情もイタチはそれなりにしっている。

 だが、対面するのは初めてだ。

 の住居である東の対屋にしずしずと入ってきたその女性は一番の上座に座る娘・蒼雪と婿の斎
に頭を下げ、それからに目配せをしてから、イタチと向かい合う位置に座った。


 正面から見れば、美しい人だ。

 蒼雪によく似た柔らかに波打つ銀色の髪とすっと細く伸びた眉、目尻の上がった凛とした青色の
瞳。

 意志の強さを感じさせる双眸は、そのまま性格を表す。

 年相応に皺やたるみもあるが、それでも彼女は美しく見えた。





「風雪御前と申し候。お初、お目にかかる。」





 厳しい声音でそう自らを称した風雪御前は、まっすぐな視線をイタチに向ける。

 尋問する裁判官が被告人を見るような目で厳しく見聞され、イタチは思わず緊張を覚えたが、い
つも通りを装った。





「初めまして、うちはの嫡男、イタチです。」





 失礼のないように頭を下げようとすると、すっと細い手が制した。





「無用じゃ、そなたはうちはの嫡男。妾はすでに引退した身。必要なしや。」






 木の葉との宥和政策を推し進めるなど革新的な行動にも出るが、基本的には身分や礼節を大事に
する。


 その性格が見えて、イタチはじっと彼女を見上げた。

 他の家の嫡男であり、次の当主とも成るべき人間が、炎一族という大きな一族であっても宗主で
ない人間に頭を下げる必要は身分的にないと考えているのだ。

 しかし、ならばなおさら、イタチはここで頭を下げなければならない。





「私はうちはの嫡男です。が、貴方はの祖母君であり、先生の義母君でもありますから、」





 手を床につき、深い礼をする。


 確かにうちはの嫡男としてならば挨拶をする必要はないかも知れない。

 だが、の祖母であり、自らの師の義母であると言うことを考えるならば、イタチは彼女に頭を
下げて当然だ。

 風雪御前は僅かに目を見開いたが、口元を着物で隠しながら柔らかに微笑んだ。





「ほんに、今時としては礼の深きこと。」

「まぁ、斎の教え子ですから。」





 すまし顔で蒼雪が言って、安心させるようにイタチをみやる。





「雪、そなた、何故東宮の許嫁をうちはの子としたか。」





 しかし、その優しげなまなざしが勘に障ったのか、鋭い非難の視線を娘に向け、風雪御前が言い
放った。

 厳しい声音にイタチはびくりとしたが、蒼雪は慣れているのか涼しい顔で持っていた涼しげな扇
を振った。





「あら、いけませんの?うちはとの同盟はもう十年以上前に決まっておりましてよ。」

「約束と、実際は違うと何度申したか、約束など絵空事よ。」

「裏切れともうされますの?」

「それを裏切りとは申さぬ。所詮は口約束であろう。」





 蒼雪と風雪御前、母娘の口論が始まる。

 イタチはその狭間で、どうすればよいのかわからず複雑な表情で二人を見上げる。

 隣の斎は酷く不快そうな顔をしていた。


 元々争いが大嫌いな斎だ。

 目の前の姑と妻の争いなど見たくもない物だろう。





「二人とも、とイタチの前だからやめない?」





 思い合うとイタチの前で、反対云々を述べるべきではない。 


 まだふたりとも子供だと知る斎は不機嫌を隠そうとはせず、口論をする妻と風雪御前に訴える。

 夫に言われて蒼雪は口を噤んだが、風雪御前は収まらない。

 怒りの目で婿を睨み付け、口を開こうとするから、斎は肩をすくめた。





「そう言うことは、やイタチのいないところで言い合うべきことだろう?」

「蒼宮、そなたにとりては許嫁が弟子であれば都合がよかろう。」





 風雪御前は斎をも冷たく突き放す。

 確かに、許嫁が自分の弟子であれば斎が動きやすいのも事実だ。



 斎の弟子であることすらマイナスになるのか。



 イタチは僅かにを抱きしめる手に力を込める。





「そーですねー。それも外でやりましょうか。」





 珍しく、斎はにこやかな笑顔ながら、酷く怒った声音で寝殿の方を示した。

 ここはの住まう東の対屋だ。

 一族内での許嫁としてイタチを認めるか認めないか、一族の問題を当事者でありながらまだ幼
の住まいで話し合うなど浅慮きわまりない。


 は祖母の剣幕に、目尻を下げて泣きそうな顔をしている。

 はイタチを思っており、イタチもを大切に想っている。

 そして、斎は弟子のイタチを本当に息子のように思っている。

 彼が傷つくようなことを言われて、怒らないわけもなかった。





「だいたい、隠居したばばぁの身で何を今更奏上いたしますの?」





 蒼雪がひらひらと扇子を振り、風雪御前に下がるように手で合図する。

 彼女の口調は穏やかではあったが、怒りが籠もっていた。


 風雪御前はきりりと口惜しそうな顔をして、娘に目を向ける。

 流石に娘とはいえ、蒼雪は宗主である。

 一族において母といえど、身分の順列に、宗主の命令には従わなくてはならない。

 それが宗家の決まりだ。





「ひとまず、妾は許さぬ。認められぬ。良きか、雪宮。汝の婿の時は引き下がり申した。しかし、
次はそうは行かぬ。」






 風雪御前の言うことは最もだった。

 蒼雪の婿である斎は、あくまで外部の人間だ。

 次の代のまで婿を外部の一族から取れば、批判は免れぬだろう。


 一族の者とて、外部から婿を取るよりも、中から取った方が頷く。


 しかし、その風雪御前の言葉が、蒼雪の怒りを買った。





「ならば母は、宮の子らに死ねと申すか!」





 蒼雪が、声を荒げる。

 日頃どんなに怒っていても穏やかな態度だけは崩さない彼女の剣幕に、はイタチの膝で目を丸
くする。





「雪、」

「黙りなさい!」





 斎が諫めるように名を呼んだが、蒼雪はそれを一言でいなして自らの母に向き直る。





「血が濃い故に宮は外に出ることも、他の童らのように遊ぶことも叶わず、不憫な思いをさせた。
可哀想に、何もさせてやることが出来なかった!」






 炎一族と、斎の一族である蒼一族が行った度重なる近親婚。

 それは血を濃くし、チャクラは強いが体の弱い、チャクラを支えられない躯を持つのような存
在を生み出した。

 は、イタチがチャクラを肩代わりしなければ間違いなく数年内に死んでいただろう。


 血を薄くしないといけない。


 でないと、またのような子供が生まれる。

 その必要性が、が生まれてからずっと自責の念に駆られていた蒼雪には、痛いほどわかってい
る。





「貴方はまた、宮の子らに、そのようなことを強いるつもりか!!」





 自らの血が、愛おしい娘を苦しめる。



 自分の身を裂くことが出来れば、それでが救われるなら、蒼雪はなんだってやっただろう。

 が苦しみながらも不満はないと笑う度に、どれ程の罪悪感と悲しみを味わったか。




「そんなことは・・・・」






 言うておらぬと、風雪御前は続けようとした。

 しかし、蒼雪の苛烈な色を宿す青色の瞳に、気圧され、彼女は黙り込んだ。


 肩を落とし、するりと着物を翻し、対屋の庇に出て自分の対屋に戻ろうとする。





「おば、さま・・・・」





 が掠れた声を上げる。

 一瞬、風雪御前のを振り返った顔。


 ぐっと唇を噛んだ彼女はに膝を折り、頭を下げてから去っていく。

 その姿は酷く小さく見えた。





「ごめんね、びっくりしたでしょ。」





 斎が苦笑して、イタチの頭をそっと撫でる。





「気にしてはなりませんよ。まったく、孫のことなどこれっぽちも考えていないんですわ。」




 蒼雪は興奮冷めやらぬ様子で、疲れたように扇子を投げ捨てた。

 斎はそんな妻の様子に肩をすくめる。


 イタチはなんと応えて良いかわからず戸惑っていると、が少し眉根を下げて、祖母の出て行っ
た方を見ていた。





つきづきし