夕方、東の対屋にふたりきり。


 赤く染まった空が御簾からさしこみ、薄暗い室内を赤く照らす。

 夕飯前のお昼寝を終え、少し眠そうに目をこすりながら、イタチの膝に頭を乗せて、はぼやけ
た声音で言った。





「前の宗主様、えっと、おじいさまにはたくさん奥さんがいたんだって。」





 それは、の母、蒼雪の時代の話。





「今は、父上様には母上様しか、奥さん居ないでしょ?なんだけど、お祖父様にはおばあさまのお
かにもたくさん奥さんが居たんだって。」





 蒼雪は女性の宗主であるが、その前の代は蒼雪の父、男の宗主だった。

 今でも風雪御前が“雪の中宮”と呼ばれるように、中宮とは妻の位を表す。


 中宮、女御、更衣、そしてそのほかの側室達。



 数多の女性が、当時この屋敷には仕えており、今は風雪御前一人で住んでいる西の対屋には側室
が多数住んでいたそうだし、今は庭になっている場所にも側室の住むための場所があったそうだ。

 蒼雪が宗主となってから建物がそれほどたくさんいらなかったため、改装工事を重ね、側室の住
まった南の対屋あった場所は庭になった。





「たまたまだけど、おじいさまには二人白炎使いが生まれて、予言があるまではどっちが東宮にな
るかわかんないから、もめた時もあったんだって。」





 蒼雪の代には、二人の白炎使いが居る。

 それ自体珍しいことだが、側室腹の白炎使い・青白宮が生まれた後、正室腹の蒼雪姫宮が生まれ
た。


 基本的には一世代に生まれる白炎使いは一人だ。 

 二人生まれることは滅多にない。

 青白宮が生まれた時、風雪御前は数多の女性が居る中で特別になることも出来ず、どれ程の絶望
を味わったのだろう。

 ましてや実家の風雪宮家と炎一族の関係からの政略結婚だ。


 恋愛結婚ではない。


 身分故に大切にはされただろうが、それが愛情でなく、家格であったなら、それ以上に不幸なこ
とはなかっただろう。





「跡取り争いもおばあさまが必死だったらしくて、母上様とは折り合いが悪いの。」





 は困ったように言う。


 蒼雪は15歳になると、斎との結婚を目的にあっさりと家出した。

 その話は詳しく斎から聞いたことがある。

 前宗主は家出した娘に、東宮の位を剥奪すると脅したらしいが、蒼雪は地位に興味がなく、むし
ろそれで良いと頷いたそうだ。


 風雪御前がやっとのことで掴んだ娘の東宮という称号。

 跡取りの母であるという自らの地位。


 生まれながらに称号も地位も持っていた蒼雪はそんな物に全く興味がなかったのだ。

 脅しにまったく乗ってこない娘に前宗主も困り果てたが、風雪御前も大変驚き、そして蒼雪の婿
として斎を正式に迎えるように宗主を説得した。



 結果的に、蒼雪は宗主の死と共に一族に戻ることになった。

 だが、その時にはすでに斎と結婚し、躯の弱いながらも生まれ、蒼雪は木の葉の忍として生計
を立てており、本人は戻る気がなかったらしく、無理矢理一族に引きずり戻した風雪御前との親子
はこじれた。





「ことあるごとに、もめてるから。珍しくないの。」





 あのくらいの口論、とはイタチに笑う。

 あまりが泣きそうな顔をしていたが、怖がらなかったのは、そう言う背景があってのことだっ
た。

 今や風雪御前も西の対屋から滅多に出てこない。

 正月などの賑やかな場にも顔を出さないから、ますますだ。


 同じ敷地内に住んでるのに、本当に年に一回くらいしか顔を合わせない。

 顔を合わしたら合わしたで、蒼雪と風雪御前はいつも口論だ。


 蒼雪は穏やかそうだが、中身はかなり苛烈だ。



 後継者として自らを祭り上げ、それによって明確な地位を手に入れ、自分を宗主として引きずり
戻した母が今だに許せないのだ。

 イタチは自分の膝に頭をおいてまどろむの髪をそっと掻き上げる。





「風雪御前は、俺がお嫌いなのか?」





 一番心配なこと。


 ろくに話したこともないけれど、自分を嫌っているのだろうか。

 は少し考えるそぶりを見せ、首を振った。





「わからない。おばあさまはただ、母上様がイタチをほめるから、気に入らないだけかも。」





 蒼雪は、イタチを気に入っている。

 イタチは天才的な忍の才能を持つだけでなく、利発で、聡明だ。


 礼儀正しく、生真面目な面もあるが、非常に教養深く、蒼雪の機知に富んだ会話についてくるだ
けの知識もある。

 彼女はやはり上流階級でずっと育った姫君だ。

 芸事などにも多彩な才能を持つイタチを高く評価していた。





「でも、別にわたしはイタチとなら、どこに行っても良いよ。」





 はすりっとイタチの膝に頬をすり寄せる。





「一族の人が嫌って言っても、わたしはずっとイタチと一緒に居るよ。」





 かつての蒼雪と斎のように、違う場所で暮らしても良い。

 どうせイタチは忍として優れているから、や家族を養って、贅沢こそ出来なくとも、細々と二
人で暮らしていくことは出来るだろう。

 それはそれで、幸せかも知れない。





「ありがとう。」





 イタチはそっと膝の上にいるを腕の中にくるむ。

 するとも答えるように腕を回してくる。





。風雪御前にお会いすることはできるか?」





 を抱きしめたまま、ぽんぽんと背中を叩いて尋ねる。





「え?会いに行くの?」

「あぁ。やっぱり、嫌われるにも好まれるにも、直接話してみないと、わからないだろう。」

「でもっ、・・・」

「やっぱりだめそうか?」





 イタチは小首を傾げて眉を下げる。

 珍しいイタチのお願いに、は複雑そうな表情をしたが、ふるふると首を振った。





「おばあさまは、いつも、西の対屋にいるよ。」

「あまり出てこられないとか。」

「うん。でも、イタチだけ言っても、あんまり、会ってくれないかも・・・・、」




 確かに、の言うところはもっともである。

 体調が悪いと断られるのが関の山だろう。

 斎と蒼雪はともかく、と風雪御前の関係はそこまで悪くないようだから、この緊張状態に
巻き込むのはイタチとしても避けたい。

 風雪御前は宗主一家に継ぐ身分と地位を持っている。



 うちは一族の嫡男の地位を使ったとしても、イタチが彼女と会うことは叶わないだろう。


 だからと言って宗主である蒼雪から風雪御前に自分に会うように命令してもらっては喧嘩を売っ
ているようだ。

 他に一緒に行ってもらえば風雪御前が必ずあってくれ、角の立たない人物は居ないだろうか。

 はイタチの意図を読み取ってうーんと考え込んだが、ぱっと顔を上げた。





「青白の伯父上に頼めば良いんじゃない?」





 青白宮は、の伯父、蒼雪の異母兄にあたり、彼の子孫に白炎使いの生まれることがないため、
“種なし”と呼ばれる白炎使いだが、に継ぐ身分の持ち主である。


 別に風雪御前ともめているわけではないから別に彼と共に西の対屋に伺っても角は立たないし、
彼には幼い頃から何度も会っているから、イタチとしても安心できる。

 彼は近くにある少し広めの屋敷に住み、薬師として名を馳せている。

 良い薬を作るので、イタチや木の葉の里の人間もよく訪れている場所だ。

 だが、もうすでに日はかげり、薄暗い。





「明日にしよう。もう外は暗いから。」





 イタチは御簾の外をのぞいて、点々と火の灯された庭に目を向ける。

 は不満そうな顔をしたが、イタチが言うので頷いた。


 庭先では、二日前まで艶やかだった紫色の杜若の大輪が、静かに花びらを落としていた。












見つる紫紺の花弁