父とイタチが任務から帰ってこなかったのは、が4つになった春だった。

 まだイタチが9つを数えていない、下忍だった頃の話。


 話では午後に終わると思われていた簡単な任務だったのに、翌日になっても帰ってこない。

 任務帰りの母の蒼雪が疲れた顔で上層部とかけあっていたのを、覚えている。

 忍の世界において、人が死ぬのは当たり前だ。 

 殉職者は毎年50人はくだらないし、その死の手が父である斎や、イタチに伸びてもまったくお
かしくはない。



 行方不明のまま遺体すら帰ってこないこともよくある。 

 幼いとはいえ、だって炎一族の東宮として何度かそういう一族の人間の追悼式に出たことがあった。

 泣きじゃくる人、あまりにぼろぼろに損傷した、もしくは遺体すらない棺。


 それが忍の宿命であることを幼いながらだって知っていた。

 知ってはいたけど、あまりにも突然だった。




『今日の任務は午後で終わるはずだから、帰ってきたら一緒に貝あわせをしよう』




 イタチはいつもと同じやさしい笑みを浮かべて、にそう言った。

 寝坊した父の斎は、相変わらず寝癖のついたままの髪の毛をそのままに、慌てて用意をして出
て行った。




 あまりにいつも通りの朝。

 父とともに出て行った彼らは翌日になっても帰らない。




「東宮、中でお待ちになられてください。」




 侍女がやってきてを中へ入れようとするが、は首を振る。


 まだ寒い春先に、は早朝から門の片隅に座り込んで、彼らの帰りを待っていた。

 昨日帰ってくると言った。

 侍女達が連絡のためにあちこち走り回り、母が思い詰めた表情をしていたことをは知ってい
る。

 誰も幼いに教えはしなかったけれど、彼らが帰ってこない事実が、彼らの死を示唆している
ことくらいはわかっている。

 あまりにも突然いなくなってしまって、死んだかもしれないなんていわれたって信じられやし
ない。




 だから、は朝から父とイタチの帰りを門の前で待った。




 母が上層部との話し合いのために出かけてしまったから侍女たちはに物事を強制することは
出来ない。


 屋敷の中に入れることもできず、結局伯父の青白宮を呼んで、に言うことを聞かせようとしたが、無駄だった。




は、待っていたいの?」

「まってる。」




 優しく尋ねてきた彼に、ははっきりと返した。




「そうか、」




 ただ一言、青白宮は返事をした。

 彼はが寒くないように上着をかけてくれて、何も言わず、と同じように門の片隅に腰を下
ろした。


 理由を聞くことも、文句を言うこともしなかった。

 気が済むまで待てば良いと思ったのだろう。

 こういうことは、あきらめられる簡単な感情ではない。


 侍女が温かいお茶を持ってきてくれて、盆にのせられたお菓子を食べながらふたりで斎とイタ
チの帰りを待つ。

 お互いに何も言うこともなく、彼も陳腐な慰めの言葉を吐くことをしなかった。

 幼いにはそういう叔父の心遣いがうれしかった。













 日が翳り、夕刻も過ぎた頃になって、血まみれの服を着た、斎とイタチが帰ってきた。

 イタチは大怪我ですぐに手当てが必要だったから、すぐに東対屋に運ばれ
た。

 帰ってきたと安堵したけれど、不思議と涙は出なかった。


 血まみれのイタチの姿は、には衝撃的すぎて言葉もでない。

 は処置が始まるとすぐに追い出されたが、たまに聞こえるくぐもった悲鳴や嗚咽はイタチの
もので、侍女にどれほど対屋から離れるように言われても、離れられなかった。


 あまりに長い間続くから、心配で庇の柱の下で蹲る。 

 それでも、どうしてもどこか別の場所で待っているということはできなかった。

 少なくとも悲鳴でも何でも、声が聞こえている限りは生きていることに変わりはないから。




「僕らの任務は簡単なものだったんだ。すぐに終わったんだけれど、国境地帯の部隊がたまたま
雷の国から侵略を受けてね。救援にいっていたんだ。」




 御簾の中から声がした。

 上層部との話し合いから戻ってきた蒼雪を抱きしめながら、日ごろは穏やかな斎の表情が険し
かった。



 それもそのはずだ。 


 後から聞いた話では、この国境地帯での小さな小競り合いは大きくなり、斎が帰ってきたとき
木の葉の病院は大怪我を負って命の危ぶまれる人々であふれていたという。

 だから、御殿医として青白宮が常にいる炎一族邸に、斎はイタチを連れて帰ってきたのだ。

 病院では同じ程度の傷をもつ人間はあまりに多く、見てもらえないだろうから。


 縫うほどの深い裂傷が3つ、骨折が3箇所、出血多量ゆえの意識混濁。

 東の対屋に運ばれたイタチの傷は深かった。


 炎一族には何人か医師が存在するが、青白宮以外は皆里へと応援に行ったという。

 はよくわからない父の話を御簾越しに聞いたが、には里の利害関係よりもイタチの方が心
配で堪らなかった。




「もう、中に入ってもいいよ。」




 父の斎にそう言われたのは夜中も過ぎた頃だった。


 彼らが帰還したのが夕方だったから、手術は数時間に及んだことになる。

 侍女たちが血をぬぐったけれど、まだ東対屋には強い血の匂いが残っていた。

 褥に横たわるイタチの顔は真っ白で、あわてて駆け寄って手を握ったけれど、意識はなくて頭
をなでてくれることもなかった。


 でも、手だけは温かい。

 イタチが帰ってきたんだと、やっと理解できた気がした。




「疲れて、眠ってしまっているんだ。」




 斎はイタチが眠っていることを心配するにそう説明した。

 麻酔はもうそろそろ抜けるはずだったが、起きる気配はない。

 痛みに目覚めるかと思ったが、あまりの疲れにそれどころではないのだろう。




、今日は僕と一緒に寝殿で眠ろうか。」




 血のにおいも相変わらず強いし、イタチが痛みにもがくかもしれない。

 まだ幼いにそんな姿は見せたくなくて、斎はそっとの頭をなでる。




「いや。」




 は即座に答えた。

 絶対に動かないと、イタチの手を握りしめたまま父親を睨み付ける。




「ほら、血のにおいもするだろうし、ちゃんと侍女たちがイタチを見ててくれるから、ね。」




 斎は困った顔で娘を諭す。


 だが、だって譲れなかった。


 一日、心配で心配で眠れなかった。

 イタチがこのまま帰ってこないんじゃないかと、涙も出ないくらい苦しくて、ずっとずっと門
の外で待ち続けていた。

 怪我で意識がないとはいえ、せっかく帰ってきた彼から離れろというのか。


 またいなくなってしまうかもしれないのに。

 そう思うと、涙があふれてきた。





「ひっ、うぇえ、」





 イタチが疲れて眠っているから静かにしないといけないとわかっていても、涙をとめることはできない。


 父とイタチが帰ってこなくても、うっすら聞こえるイタチの悲鳴にも泣いたりしなかった。

 あまりに現実味がなくて、空虚感だけが胸を支配して、でも、やっとここに来て、イタチが帰
ってきたことを実感できた。


 なのに、離れろなんてひどい。




 泣き出すと斎はイタチが寝ている手前うるさいから、ますます困った顔をしたが、御簾の中か
らひょこっと顔を出した青白宮がを弁護した。




「蒼宮、は早朝からずっと門の前で君たちの帰りを待ってたんだ、」

「え、本当に?」




 斎は狼狽して、泣くを抱きしめた。




「ごめっ、ごめんよ、心配だったんだね。泣かないで。」




 帰ってきたときも泣かないし、幼い子供だからあまりよく理解していないと思っていたのだろ
う。

 早朝からずっと待ち続けていたと聞けばそれが誤りであったことは理解できるし、泣きじゃく
る原因だってわかる。



 イタチの手を握ったまま泣くを、斎は結局引き離そうとはせず、ちゃんと褥をイタチの隣に
ひいてくれた。

 は感極まったせいかなかなか眠れず、イタチの手を握ったまま、やっと3時過ぎに眠りに落ち
た。








( いたみ いたみ )