炎に照らされた薄暗い光の中で、が不思議そうにこちらを見ていた。




「いたち、ねむくない?」




 もう夜半は過ぎ、たまたま目が覚めたは眠たそうに首をかしげた。

 目が、冴えている。


 イタチは小さく嘆息して、大丈夫だとの体を抱きしめた。

 温かい、確かな体温と柔らかな感触。

 心の中で大丈夫だと繰り返したが、手が震えた。




「いたち?」




 が日ごろと違うイタチの様子に心配そうに名前を呼ぶ。 

 きれいなの紺色の瞳はどう自分を映しているのだろう。


 怖くなって、身を起こしてひざを抱える。

 またもう一度大丈夫だと心の中で繰り返す。


 何度目だろう。




「いたち、どうしたの?」




 も身を起こし、こちらをのぞきこんでくる。


 明かりに照らされる白い頬、自分に触れてくる小さくて白い手、

 綺麗な、無邪気な、何も知らない




「なんでも、ないよ。」




 君は何も知らないでいて、

 イタチは強く目を閉じて、昼間のことを思った。





 あまりに咄嗟のことだった。

 突然敵の忍が襲ってきて、応戦したのだ。


 下忍になってから、そんなことは何度かあって、難しい事態でもなかった。

 いつもどおり対処して、たまたま、後ろから襲ってきた忍の胸をクナイで貫いた。


 それは深く忍の胸に突き刺さって、生温い感触がクナイを持つ手を伝う。


 噴き出す血と、忍の胸の鼓動、

 見張られた彼の目と、空を切った手。




『、・・・つば、き』




 光の消え行く目と、最後につぶやかれた花の名前、

 おそらく、思いを寄せていた女の名なのだろう。


 ふっとの顔が頭をよぎった。


 どさりとこちらに崩れ落ちた体をよけることすらできず、そのまま遺体にのしかかられた。

 もう、鼓動はなくて、生ぬるい血だけが手をぬらす。




『イタチ!!』




 イタチが攻撃を受けたのかと心配して、斎があわてて駆け寄ってくる。

 彼が忍の体をイタチの上からどかしてくれたとき、イタチは忍の血でぬれていた。


 手に残る生温かい感触と、乾いた唇がつぶやいた女の名前、 

 初めて殺した忍は、忍でも鬼畜な敵でもなく、人間だった。
 


 イタチはじっと暗闇の中にある自分の手を見つめる。

 赤黒く染まっていた、人間を殺した手。


 忍だから、人を殺す覚悟はあった。

 だがおそらく、敵を殺す覚悟はあっても人間を殺す覚悟がなかったのだろう。

 あまりに間近で見た忍の死は、イタチには衝撃だった。

 彼は敵ではあったが、自分と同じ思う人がいる、人間だった。

 彼にだって家族がいて、恋人がいて、師がいて、そういうものをすべてイタチは踏みにじった。



 イタチは待っていてくれる人がいるかもしれない忍を無情に手にかけたのだ。


 自分にその人々から、彼を奪う権利があっただろうか。

 自分には彼に勝る価値があったのだろうか。

 考えればなきそうになる。


 殺さなくてすんだ方法があったのではないか。


 あの場で殺さなければ、自分が殺されていたとわかっていても、考えてしまう。




「大丈夫だ。」




 結局イタチはその言葉を口にして、どうにか自分を保つしかなかった。

 自分に大丈夫だと思わせるためだけに繰り返される言葉。


 はそのきれいな丸い瞳でイタチをじっと見上げていたが、イタチが見つめ続ける血に汚れてし
まった手を小さな手でつかむ。




?」




 イタチが呼んだが、は不思議そうにイタチの手を見つめる。


 イタチは穢れた手でに触れることにためらいがあったが、は手を離そうとはしない。

 いつもどおりためらいなく触れてくる。


 おかしいのは、自分。イタチだけだ。




「おてて、なにもないよ。」




 じっと暗闇でイタチの手をにらんで、がつぶやいたのはそんな言葉。

 はイタチに触れることにためらいなんて持たないし、理由も知らないから、日ごろ触れてくれ
るイタチが触れてこないことに寂しいとすら感じた。


 だから、手に何かあるのかと確かめたが、何もない。

 イタチの手。

 まだお互いに子供だから、大人に比べれば小さいのだろうけれど、よりもずっと大きな手は
のより日に焼けていて、白くなくて、少し骨ばっていてしっかりしている。


 自分と同じ手だけど、この手がとても温かくて、が苦しいときいつも優しく頭をなでてくれる
ことを、は誰よりもよく知っている。

 は、イタチの手に頬を寄せる。


 イタチは目を丸くして、手の感じるに意識をやる。


 柔らかなの頬の感触と、手の甲に感じるの小さな手。さらりと触れる紺色の髪。

 一瞬、白い頬に触れる自分の手が、血にまみれているような錯覚に見舞われる。


 を汚してはいけない。



 イタチはから離れようとしたが、の小さな手がぎゅっと力を込めてくる。




「あったかい」




 ぽつりと小さな唇から言葉がこぼれる。




「ほっと、するよ。」




 はイタチの手に、すりっとほお擦りをした。

 何の躊躇いもなく触れられる手。




、俺は殺したんだよ、」




 いたたまれなくて、イタチは小さくそう呟いた。


 人を殺したんだよ。

 が温かいと、ほっとすると言ってくれた手は、人を殺したんだ。


 温もりのある、と同じ命を、壊したんだ。

 最後に女の名前を呼んだ相手の男にも、きっと自分にとってののように思う人がいただろう。


 命を踏みにじることは簡単なことではないのだ。




「うん。でも、いたちのおててはあったかい。」





 は寂しそうに眉を八の字にして、イタチの手に頬を寄せたままイタチをまっすぐ見上げる。


 幼い視線は、幼い故にまっすぐで、誤魔化そうという気配は微塵もない。

 少し目を伏せ、優しく、悲しそうに微笑む。




は、いたちのおてて、だいすき。」




 自分を撫でて、安心させてくれる手。

 例え人を殺した手だったとしても、今、ここにある手は、に優しくて、温かい心をくれる。


 虚勢でも、偽りでもない、の気持ち。



 イタチは驚いた顔をしたが、すぐに切なげに目を細めた。




、俺は…」

「あたま、なでて、だいすき。」




 はイタチの手を握ったまま、もう一方の手でイタチの頬を撫でる。


 その小さな手を、イタチの手が掴んだ。

 苦しげな表情のイタチが、の小さな躯をきつく抱きしめる。




「いたち?」




 は小さく首を傾げたが、イタチが自分の首筋に頭を埋めるのを感じて、そっとイタチの背中に
手を回した。




「だいじょうぶだよ。いたちは、だいじょうぶ。」




 さっき、イタチが繰り返していた言葉。


 それを今度はが繰り返す。


 大丈夫。大丈夫だよと、何度も繰り返される高い声音。

 幼くて、誰かに守ってもらわないといけない、幼い


 それが今はイタチを守るように、大丈夫だと繰り返す。




「あぁ、俺は大丈夫だよ。」




 イタチは全ての感情をはき出すように、深い声で言った。


 大丈夫だ。が腕の中にいる。



 血に汚れたこの手を好きだと言ってくれる限り、自分は何があっても戦っていける。


 どんな罪の意識に苛まれても、生きていける。




 腕の中の温もりは、全ての罪を受け入れてくれるようだった。








( それは背負ってゆく重荷 )