すべてを投げ出したのは、16歳になった夏のことだった。



「たっるーい。」



 斎は自分の寝癖だらけの紺色の髪をぐしゃぐしゃとかき回す。

 備え付けのソファーに勢いつけて横たわれば、その辺にあった書類がふわりと宙を舞う。

 じじじじと夏場のうるさい蝉のように鳴きだした目覚まし時計をテレビのリモコンで破壊。

 黙らせてからテレビゲームのコントローラを握る。

 長年やり続けたテトリスは朝のうちに残念ながらクリア出来てしまった。


 目覚ましが鳴ったと言うことは要するに任務の時間と言うことなのだけれど、気分が乗らない。

 最近まったく任務に出る気はなくなり、昨日火影の猿飛に「やる気が起きないので忍をやめよう
と思います」と辞表を叩きつけてみた

 当然ながら受け付けてもらえず、明日の任務は3時からだと言われた。

 でも一応辞表は叩きつけたし、意思表示はしたから、ドタキャンではあるまい。



 斎は自分に言い訳して、コントローラーのボタンを連打した。

 幼い頃から人を殺して食ってきたわけで、天才と謳われてきた斎にとって人殺しも任務も息をするに等しいほど、掃いて捨てるほどやってきた。

 特技は人殺しと豪語できるほど天才的な忍の技量を持っている。

 その斎が唐突に忍をやめたくなったのだ。、

 ただ、今風で頭空っぽの斎なので、里の体制に疑問を持った、とか、自分の信念に疑いを持ったとか、そんな格好良い理由はない。

 そもそも斎にはご立派な信念も守りたい者すらありはしない。

 最近一向にやる気が出ないのだ。任務どころか私生活全般に。


 別に夏の暑さにやられて、で体の調子が悪いというわけではない。

 木の葉の夏が暑いのはいつものことだ。

 比較的躯は強い方なので、目立って夏に体調を崩したこともない。

 ただ、頭の方の調子は熱さにやられて、悪いのかも知れない。


 無気力症候群。

 すべてにおいてやる気が出ないのだ。

 おかげで両親が死んでからと言うもの一人暮らしの家は散らかり放題。

 服は散乱し、洗い物はぐしゃぐしゃ。

 元々几帳面な気質ではないが腐った物と一緒に寝る趣味もないので一応は片付いていた家は、あ
っという間に腐海になる。

 古くて広い屋敷なので掃除しないと3日で埃がたまるのだが、ここ数週間掃除機はおろか掃除をし
ていないので、襖のはしや、障子の桟には埃が溜まりっぱなしだ。

 はたきを持って障子によるのも面倒だ。


 生ゴミが最近臭気を放っているので片付けないといけないが、相変わらずやる気が出ない。

 結局斎は一瞬周りに目を向けたが、知らないふりでゲームに熱中することで、現実逃避すること
にした。


 しばらくすると玄関の呼び鈴が鳴る。

 しつこく何度も鳴らしていると言うことは、用事があるのだろう。


 大方、遅刻している斎を呼びに来た忍だ。

 立ち上がるのも言い訳を考えるのも任務に行くのも面倒で、斎は居留守を使うことにした。

 無理矢理入ってくることはないという確信が、斎にはあった。

 数少ない友人は手練れですねて任務に来ない斎に構っている暇などないだろうし、相手にした女
にそんな度胸もあるまい。


 他人は、斎に恐れをなしていた。

 斎には持って生まれた力が二つある。

 一つは千里眼の役割をする透先眼という目の血継限界。

 もう一つは予言の能力だ。

 斎は断片的に未来を視ることが出来る。

 両親が死んでからというもの、斎は里でたった一人予言者としての能力を保有しており、斎が見
る未来は、上層部の里の審議に使われる。

 そのため斎の発言は、大きな意味を持っていた。


 とはいえ、斎もまだ17歳の子供である。

 自分の言葉の端々にまで責任を持っているはずはない。



『あぁ、貴方不慮の事故にあうかもね。』



 気に入らない奴に可哀想にと言う顔で言えば、相手は真っ青になって慌ててくれる。

 そのうち数週間もすれば嫌なことの一つや二つ起こるわけで、適当だった斎の言葉は予言として
採用される。

 予言が成就したと、怯えてくれるわけだ。

 そんなこんなで斎はささやかな嫌がらせを達成するわけだが、案外噂になっているらしく、一般
の忍は恐れをなして斎に近づかなかった。

 くだらないやっかみを持つ人々に嫌がられても恐れられても気にならないので、斎は黙ったまま
否定も肯定もしない。

 親友からは注意されたが、ぴんと来なくて、相変わらず自分の言葉に責任など欠片も持っていな
かった。

 とりとめもないことを考えているうちに、呼び鈴も鳴らなくなる。




「この新作、つまんないな。」




 斎はぽつりと呟く。

 テレビ画面にはゲームクリアの文字。

 ゲームは数時間でクリアし終わってしまった。


 なんと言っても斎は人生17年、ゲーマー歴15年の強者だ。

 頭も切れるのですぐにゲームの流れを掴んでしまう。

 ここ一ヶ月で発売されたゲームはここ数日の家から出たくない症候群でやり尽くしてしまった。

 かなり買いだめしていたが、これで最後のゲームだ。


 買いに行くのも億劫で、斎はソファーに横たわって近くの漫画に手を伸ばした。



 と、また呼び鈴が鳴っている。



 斎はまた同じように無視した。

 どうせ、すぐに帰るだろう。


 一応玄関には近寄らず、ソファーから立ち上がって台所に入る。

 数日洗い物もしていないため、洗い場には洗い物がたまっているが、知らないふりをして冷蔵庫
の隣にあったカップラーメンを手に取る。

 昔何か災害でもあった時のため買った非常食達だ。


 食べるために、お湯を沸かそうとやかんに水を入れ、火にかけた。

 もう3時を過ぎたが、昼ご飯をまだ食べていない。

 朝ご飯は遅くまで寝ていて食べ忘れた。

 昨日の夕飯が明け方過ぎだったので問題ないだろう。




「面倒くさいな。」




 食べるのすら、億劫な気がしてきた。

 お湯が沸くまで待って食べるのも面倒で、結局コンロの火をいらいらと見つめる。




「あー、だる。待つのめんどい。」

「それは私の台詞ですわ。」




 突然冷たい声が背後からかかる。

 驚いて振り返ると、着物姿の少女が台所の入り口の柱にもたれかかって腕を組んでいた。


 薄桃色にかげる銀色の髪は柔らかな天然パーマで肩を覆う。

 色白で小作りな顔立ちの浮かべる穏やかな微笑の中で、凛とした灰青色の瞳が少しつり上がって
いた。




「呼び鈴、ならしたんですけど。」

「あぁ、ごめん。だるかったから。」




 斎は自分の紺色の髪を掻き上げて、悪びれもなく言い放って、久方ぶりに見た幼馴染みにため息
をつく。

 気配がなかった。

 自分では鋭い方だと思っていたが、よほど油断していたらしい。




「何しにきたの。雪。」

「あら、何かするのに貴方の許可がいりまして?」




 悠然とさも当然のように雪は言う。




「ここ、僕の家なんだけど。」




 斎は半目で悪態をついたが、どうせ雪を追い出すことなど不可能だと長年のつきあいで知ってい
た。

 雪の肩には鶏冠の美しい白く輝く鳥がいる。


 白炎。

 数百万℃の炎を誇る、彼女の一族の血継限界。

 彼女の意に沿わないことをすると言うことは、その炎と争うこととイコールだ。


 良いことはないどころか、こちらだって死ぬ可能性が出てくる。

 下手に争わないのが、ことを穏便に運ぶ方法だと、斎は彼女との長いつきあいで理解していた。




「今日、ミナトが貴方、任務だって言ってたけど。何なさってるの?」

「見てわかんない?サボり。」

「あ、そう。」




 あっさり、

 本当なら任務にサボりなんてあり得ないことで怒るべきだが、雪は斎の行為に責めもせず擁護も
しない。


 それは彼女が里の人間ではないからだ。

 里の忍であった綱手という医療忍者に師事していた経歴はあるが、彼女は里の近くにある炎一族
の宗主令嬢で、東宮であった。

 東宮とは、次期宗主のことだ。

 炎一族は非常に大きな一族で、資産もたくさんある。

 典型的な跡取り姫様なわけで、忍として働く必要もない。


 だから斎がサボろうがなんだろうが、彼女は里には帰属していないのだから関係はなかった。

 幼馴染みで幼い頃の多くの時間を彼女と過ごしたが、斎が暗部に入って両親が亡くなった12の頃
から彼女と会うことも少なくなった。

 炎一族邸に赴くことがあっても予言を必要とした宗主達の用事で、彼女に直接関係はない。

 最後に会ったのは一年前だろうか。


 斎は記憶を辿る。

 そもそも彼女と自分は立ち位置が違う。

 斎は旧家、蒼一族の最終血統だ、

 家柄としては彼女と互角と言っても良いが、斎の一族は今や自分しか存在しない。

 斎の一族が長年続けた近親婚は能力の強い人間を生み出したと同時に、出生率を大きく下げた。

 気付いた時にはもう手遅れで、両親が死んだと同時に、斎はひとりになった。


 雪は違う。

 雪の炎一族は200人規模のかなり大きな一族で、今も宗主を中心に絶大な権力を誇っている。

 いずれ彼女は婿を迎え、炎一族の宗主となるのだろう。




「で、何しに来たの。」




 そのお嬢様が今更自分になんのようだと、斎は改めてに尋ねる。


 やかんが音を鳴らして噴いていたが、それすら疎ましい。

 今は気分として、うるさいのはもうごめんだ。喧噪から遠ざかっていたい。

 そう思っていたのに、彼女は相変わらず柔らかな笑みを浮かべたまま、言った。




「私は斎が好きですの。」

「は?」





 意味が、わからなかった。

 一瞬耳がおかしな幻聴でも聞き取ったのか。


 耳掃除をし忘れていたかも知れないと、斎は左耳を下に向けて頭を軽く叩く。

 別にゴミが出てくるわけではなかった。




「答えは?」




 雪が何も答えない斎に不満そうに腰に手を当てて尋ねる。

 ぷぅっと頬を膨らませる仕草は、幼い頃から変わっていない。




「答えはないんですの?」

「え、あぁ、幻聴聞こえた。」




 斎は思わず答えて、もう一度言ってと促す。




「失礼な。」




 彼女は憤慨して、目尻をつり上げる。




「好きだって言っているんですの。」

「…・」




 斎は今度こそ紺色の瞳を丸くする。

 同じ言葉が聞こえたと言うことは幻聴ではないらしい。




「何惚けてますの?」

「いや、だって、君、一年ぶりに会った幼馴染みに言う言葉じゃないでしょ?」

「何が悪いんですの?」



 開き直って、雪はふんと鼻を鳴らす。




「私、結婚させられるそうなんですの。」

「…・ふぅん。」

「いやなんです!私は斎が好きなんですもの。ぜったーい嫌ですわ。」





 嫌だと力を入れてそう言う。

 彼女ももう16歳だ。

 炎一族は早熟だと言うし、彼女は跡取り娘であるから婿の縁談の一つや二つ、年頃なのだしある
だろう。

 それから逃げてきたと、彼女は言外に言っていた。




「だからって、なんで僕?」

「好きなんですから、何が悪いんです。」




 真剣な灰青色の瞳が問う。

 斎は真摯に答えを求める瞳から目をそらす。




「無理だよ、雪。」

「どうして?」




 小さく呟けば、間髪入れずに雪が問うてくる。




「私は真剣なんです。貴方だってはっきり理由を言うべきですわ。」

「無理だって言ったら無理。」




 斎は冷たく突き放す。

 だが、雪の態度が変わる様子もない。

 彼女は生粋のお嬢様で、なかなか我が儘だ。


 気に入らないことがあれば、幼い頃は泣き叫び、白炎を斎にけしかけたことも一度や二度ではな
い。

 なのに癇癪を起こすこともなく、まっすぐこちらを見つめている。


 それだけ本気なのか、

 斎は居たたまれなくて、彼女に背を向けた。

 彼女に自分が応えることは出来ない。

 目を閉じて、斎は重苦しい雰囲気に耐えた。








それでも 此処で泣いてしまったら僕は二度と立ち上がれなくなってしまうんです http://www.geocities.jp/monikarasu/