次の日も、雪は斎の家にいた。


 少し姿が見えなくなったから帰ったかと思ったが、勝手に隣の部屋で疲れて寝ていたらしい。

 炎一族の集落にある雪の屋敷は、斎の家から遠い。

 なんだかんだ言って山を下りなければ行けないわけだから、日頃ほとんど動かない雪は疲れてい
たのだろう。


 早く帰ればいいのにと思ったが、きちんとした答えを聞くまで、帰るつもりはないようだ。




「だって、斎のことが好きなんですもの。」




 朝起きれば同じことを繰り返す。




「くどいなぁ。」





 斎は呆れてため息をついて言い返した。

 冷たい言葉をかけても、雪が言うのは同じ言葉。





「腐るほど言って差し上げますわ、好きなんですの。」




 飽きもせず、起きたばかりの長襦袢姿で言い募る彼女のしつこさに感服する。

 いつまでこんなことが続くのかと斎は今日何度目とも知れないため息をついた。


 斎がこの家を出れば良いことだが、雪もついてきそうだし、何よりも斎自身外に出かける気には
なれなかった。

 雪と本気で争うには、軽く家くらい吹っ飛びそうだ。

 先祖代々の住処をこんなくだらないことで失うのは、哀しすぎる。


 結局、雪と一緒にこの家にいるしかない。

 相変わらず台所の洗い場にはたくさんの洗い物が溜まっている。

 掃除も全くしていない。




「君、ご飯は?」

「なんでもよろしいですけど。」

「うーん。そうだねぇ。」




 何でも良いと言われても、ここにはカップラーメンくらいしかない。

 斎が自来也に師事し、雪が綱手に師事していた頃、一度合同でサバイバル演習を行ったことがあ
る。

 その時は食事を自分たちでどうにかしたので、当時のような粗食でも雪は怒っても食べられるだ
ろうが、お嬢様の雪にカップラーメンを食べさせるのは、気が引ける。


 斎は仕方なく、冷蔵庫の中を見てみる。

 中にあったのは腐ったハムと異臭を放つ卵、賞味期限の10日以上切れた牛乳だ。

 おぞましい物ばかりで、思わず斎は冷蔵庫を閉めた。




「何もないな。」




 物自体はあったが、斎はそう結論づける。

 食事を買いに行かないといけないが、外に出たくない。


 雪とカップラーメンを見比べて、斎は悩む。

 カップラーメンもあと数個なのでどちらにしろ近日中には外に出ないといけないだろうと思うと
、気分が重い。





「これ、なんですの。」




 雪は長襦袢からのぞく細い手で、カップラーメンを持ち上げる。

 発泡スチロールの外観。振ると中で軽い物がからから鳴る。




「お湯を入れるんだ。」

「え、飲み物ですの?」

「食べ物だよ。知らないの。」

「知りませんわ。」




 雪は断言する。

 斎はありえないとまたひとつため息をついた。


 雪の家では料理人が料理を作るし、家事は侍女達がする。

 当然ながらこんな簡易食にお世話になる機会はまったくないのだ。




「…じゃあ、食べてみる?」

「えぇ、…食べて、みますわ。」




 興味深そうに外観を回して見ている雪に尋ねると、すぐに頷いた。

 かなり気になるようだ。




「じゃあ、着替えてきたら?年頃の女の子なんだから。」




 まだ雪は長襦袢姿だ。

 幼馴染みとはいえ斎は男、あまり年頃の女の子が寝間着一枚であちこち歩き回るのは良くない。

 斎が言うと、彼女はぴくりと固まる。




「どうしたの?」




 斎はやかんに水を入れてコンロの火にかける。




「…え、あー。えーと…」

「?」

「どうやって、着物って着るんですの?」




 困った顔で雪は意を決したように斎に尋ねる。

 斎はコンロの火のスイッチを持ったまま、固まる。




「え?」

「だ、だって、私、今まで侍女に着替えさせてもらっていたんですもの。」




 雪の恥ずかしそうな言葉に、斎は息を吐く。


 そうか、そうなのだ。


 彼女は生活に役立ちそうなことは何一つ教えられてきていないのだ。

 炎一族は大きな一族で、屋敷にはたくさんの使用人がいて、身の回りの世話の全てを使用人が賄
う。


 そういうところで幼い頃から傅かれて育った。





「雪。僕と君は違うよ。」




 斎はそう言わざる得ない。

 少なくともこの家には使用人もいなければ、自分のことは自分でしなければならない。

 斎が四六時中彼女についているわけではないのだ。




「雪はこんなところで暮らしていけないって。着物の一つもろくに自分で着れないのに。」




 自分の着るもの一つ、自分でどうにも出来ない彼女。

 一般に出てこれば苦労することは目に見えている。


 傅かれて育った彼女には、傅かれて生きる未来が、合っている。

 だが、雪は思いによらず前向きだった。




「あら、これから覚えますわ。」




 柔らかないつもの笑みを浮かべて、言う。





「家事も出来ないでしょう?」

「斎が教えてくださればよろしいんですわ。そしたら私、覚えます。」




 そう言って、汚い台所を指さす。

 今はわからなくても、これから覚えることは出来る。




「それに、私、多少無茶苦茶しても、火傷しませんし。安全ですわ―。」




 雪は炎の血継限界を持つせいか、炎に強い皮膚を持つ。

 火に手を突っ込んでも火傷などしない。


 確かに、多少無茶をしても彼女の身は安全だ。 

 あまりにも明るく言われてしまって、斎はもう何も言えなかった。




「どうしてそんなに無茶苦茶なんだ。」

「だって好きなんですもの。」




 また、同じ言葉。

 着物の着方も知らない彼女が、好きだから、これから覚えると笑う。

 だが、どれ程想ってくれていても、斎は応えられないというのに。 


 彼女の願いを叶えてやることは、出来ない。



 やかんが大きな音を立てて湯気を吹き上げる。

 沸いたようだ。




「あら、変な形が鳴いていますわ。」

「やかんだよ。雪。」





 斎はよくわかっていない彼女の言葉を訂正して、カップラーメンを開ける。




「ひとまず、朝ご飯を食べようか。カップラーメン開けて。」

「はい。」




 雪は初めての経験に笑って、思い切りカップラーメンのふたを全開にしてしまう。

 彼女は何も知らない。 


 斎はわかっているようでそのことをすっかり失念していた。




「あ、開けちゃった。」

「開けろと言ったのは斎ですわ。」

「いや、途中まで開けて、3分待つ時にふたを閉めるんだ。」

「わけわかりませんわ。」




 斎の説明に雪は頬を膨らませる。

 ひとまずお湯を入れて、近くにあった皿を雪が開けてしまったカップラーメンのふたにする。




「このままの状態で3分待つんだ。すると、堅かった物が全部柔らかくなる。」

「便利ですわね―。」




 雪は本当に感心したのか、不思議そうに皿を少し開いて中をのぞき込む。

 無邪気に初めての経験を楽しむ雪を斎は複雑な思いで見つめた。







ふれあえないのはだれの せい?
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