夕方、斎は外に出た。

 一昨日ぶりの外は相変わらず乗り気はしなかったが、食料がもうないので仕方が無い。


 背に腹は代えられないという奴だ。


 流石に雪にあの汚い台所の現状をいつまでもさらしているのは嫌で、台所も掃除した。

 幸い明日ゴミの日だし、夕刻からゴミを出していても文句を言わない人が多いので、放置してき
た。


 木の葉の商店街は夕飯を買う人々で賑わっている。

 子供連れの母親や、老女が多い。

 ばたばたと走り回っている子供が、母親に手を引かれた飴をなめた子供達が、楽しそうに笑って
いる。


 幼い頃、斎もあぁして母親に手を繋がれて笑っていた。


 子供のほほえましい光景に日頃は笑みが出るところだが、その喧噪すら今の斎には辛い。

 眉間に皺を寄せて空ばかり見上げていると、突然手を引かれた。





「あれ、なんですの?」




 雪がぐいぐいと手を引っ張ってくる。




「あれ?」

「あれですわ。あの変な看板の。」




 斎の気分などお構いなしに、珍しい扇形の看板に興味を示す。


 それは木の葉でも老舗の漬物屋だった。

 独特の糠のにおいが鼻をつく。

 店先にはたくさんの樽が置いてあって、それも雪の興味をそそったようだ。




「これはなんですの?」

「漬け物だよ。この大きな樽でつけているんだよ。」




 おそらく、雪は料理に出てくる漬け物しか知らないのだろう。

 初めてつけてある実物を見たらしく、興味津々で見ている。

 こんな客も珍しいらしく、店の女将さんが出てきてぬか漬けの仕方を親切にレクチャーしてくれ
た。

 雪は聞き入っているが、半分もわかっていないだろう。 


 彼女は家事がろくに出来ないのだから、わかるはずもない。

 それでも楽しそうに聞いているのは、初めてのことだからだ。


 彼女は炎一族の東宮で、家にいれば気軽に話しかけられることも、雑談をすることもない。

 宗主の娘として崇められてきた雪。


 年相応の無邪気な様子に、炎一族の屋敷にいた時の彼女の貼り付けたような笑顔を思い出す。

 最近見かけていた彼女の笑顔は、能面のようだった。

 美しくて、でも感情のない冷たい笑顔。


 このささやかな雪の家出が、彼女にとっての息抜きになるのかも知れない。

 ずっとは駄目だが、しばらくつきあってやるのも悪くはないと斎は少しだけ思った。




「これを洗ってから包丁で切るんだよ。」





 親切な女将さんは、斎がお礼代わりに漬け物を購入すると、雪に先ほど説明していたぬか漬けを
いくつかおまけしてくれた。

 独特の糠の臭いが斎は好きだったが、多分切るのは雪じゃなくて自分だろう。

 雪は楽しそうにそれを受け取って、また来ると笑っていた。




「面白い人ですわね。」

「まぁ、商売人だからね。」




 声をかけて、それが購買につながれば良いと考える商売人達。

 気軽に挨拶をしたり、声をかけてくることが、雪には珍しいことのようだ。

 商店街の外れにある、少し寂れているが安い商店に入れば、人はまばらだった。


 雪はいろいろ見たことのない食材に興味があるのか、すぐにどこかへいってしまった。

 斎はしばらく買い物に行きたくないので、一度に大量に買い込む。

 食料は冷蔵庫の冷凍に入れておけば、かなりの期間保存可能だ。

 白菜を丸ごと買って、肉や魚も籠の中に入れる。


 レジに持って行けばかなりの値段だったが、別にお金には困っていない。

 両親が残した、そして一族の財産はすごいもので、斎が豪遊しても使い切れないほどのものだ。

 だから忍だって別にしなくて言い訳だが、里は斎の能力を必要としていた。




「あれ、斎?」




 レジを通って籠を置くと、隣に顔見知りの男がいた。

 背の高いがたいの良い男は暗部で斎の部下であるが、斎より年齢的には年上で、よくくってかか
ってくるので苦手な人物だった。

 友達なのか、何人か人を周りにつれている。


 斎は無視して籠の中にあった野菜を袋に詰める。




「なんだよ。挨拶くらいしろよ。」





 自分は挨拶しなかったのに、男は言う。

 斎は顔に出さずに一瞬考えたが、無視することにした。


 年齢的には向うが上だが、一応自分の方が上司だ。

 こちらから挨拶をしてやる義理もあるまい。




「誰、この生意気なガキ?」




 男の隣にいた彼の友人が、男に尋ねる。




「斎だよ。蒼の。」

「あぁ、あの予言が出来るとか言う。」




 斎の名は木の葉では有名だ。

 天才であるだけでなく、上層部に重用される斎を、若手の多くはねたんでいる。

 事実、斎だとわかった途端に男の友人の目も、軽蔑で染まっていた。




「予言なんてそんなもんで昇進しやがって、偉そうに。」




 男は斎を嘲って言うと、隣の友人達もげらげらと笑う。

 何がそんなに楽しいのか、


 斎は首を傾げながら、自分の荷物を袋に詰め終えた。

 やはり長居しても良いことはないので、早く帰ろう。


 男を無視して周囲を伺う。

 雪は遙か後方の豆腐のブースにいて、物珍しそうに豆腐とにらめっこしている。

 雪を呼び戻そうと口を開こうとした時、肩を掴まれた。




「なんだ、無視しやがって。生意気な。」




 男は笑うのをやめて、斎に食ってかかってくる。


 斎は感情のない目で男を見返す。


 面倒くさい。

 醜い嫉妬や羨望にさらされることに斎は幼い頃から慣れていて、言い返す気もしない。




「予言者だからって特別扱いされやがって。」




 男は斎の胸ぐらを掴み、ぎらぎらとした目を斎に向ける。

 流石に胸ぐらを掴まれたら苦しいので、斎は男の手を払おうとして、彼の叫んだ言葉に手を止め
た。





「予言者とか言ったって、忍は死ぬじゃねぇか!」





 彼の瞳には、悲しみが見えた。

 暗部で斎の班にいた女が死んだのは、数日前だ。

 気さくな女でいくつか斎よりも年上だったが、気軽に話しかけてきた。


 男は、女を気にしていた。

 好きだったのかも知れない。


 斎は、彼女が死ぬ姿を見た。

 だから、戯れに彼女に何の気なしにそのことを言った。

 次の任務で君は死ぬかも知れないから、でない方が良いと。

 斎が何を話そうと未来が変わらないことは知っているから、斎は彼女がそれでどんな行動に出よ
うと死ぬことがわかっていた。


 未来は、斎が視る未来の断片は、変わりはしない。

 それは幼い頃からの経験でよく知っているから、未来を変えようなんて大それたことを考えた訳
ではなく、ただ、戯れに口にしただけだ。


 案の定、斎の忠告にもかかわらず、彼女は任務に来た。

 言ってもそうなるだろうと、斎もわかっていたから、気にしなかった。

 小さな村を隣の国の侵攻から守る任務。

 彼女はあろうことか一般人を守って死んだ。


 予言の成就は当然のことで、斎の心が波立つことはなかった。

 ただ彼女は最期に、斎に向かって「ありがとう」と言って、笑って死んだ。

 意味が、わからなかった。


 彼女は殉職者の一人として、木の葉の英雄になった。

 後から知ったが、彼女は元々その小さな村の出身者で、庇った一般人は弟だったという。

 男には、おまえが代わりに死ねば良かったのにと、罵られた。


 初めて、斎は疑問を持った。

 自分の視る未来とは、何かの役に立つものだったか。

 死にゆく命は、自分より価値のない物か。

 突然よぎった疑問は、斎を食らっていった。




「黙りなさい。見苦しい方々。」




 雪の凛とした声が響き渡る。


 ざわりと雪のチャクラが揺れて、肩に止まる鳥が怪しげに鳴く。

 ただならぬ空気に、男達が青い顔で斎から手を離した。 




「恥ずかしいとは、思わないのですか?」




 まっすぐ雪は男達に問いかける。

 鋭い瞳は男達の嫉妬やすべてを射貫いていく。




「良いよ。雪。行こう。」



 斎は我に返って自分の荷物を持って、雪の手を引いた。




「この方達は貴方に無礼な言葉を言ったのですよ、」




 雪はまだ言い足りないのか不満そうな顔をしたが、斎は遠慮無く雪の手を引っ張った。

 男達も追っては来ない。

 商店を出て、人通りの少ない道に出たところで、斎は小さく息を吐いた。




「どうしてですの?なんで黙って言われたまま。」




 雪は今度は不満を斎に向ける。

 灰青色の瞳は怒っているのか、つり上がっている。

 他人のことなのに、どうしてこんなに素直に怒れるのか。


 斎は少し不思議に思いながら、笑った。




「彼らの言うことも、正解だからね。」

「何が正解ですの?忍が死ぬのと、貴方と、何も関係ないでしょう?」




 雪は斎に詰め寄る。




「そうなる運命を視て、何かを言って、何かが変わるの?変わったの?」



 斎は、静かに口を開いた。

 予言とは、変わることのない未来を言う。

 人の行動というのは、予言を受けたからと言ってすべてがすべて変わるわけではない。


 斎が予言しようがしまいが、すべては変わることのない最後に向けて走り出しているのだ。

 だから斎はすべてを視ることが出来ない。

 断片を視て、それを人に話すことすら、運命は理解している。

 その結論の断片を、斎は予言という形で知るのだ。




「僕は、変わることのない未来を見る、死に神でしかないんだよ。」




 斎が話す言葉は、何をしても変わることのない未来。

 未来を語ったところで、変えられない未来ならば、意味はあるのだろうか。

 自分が未来を話すことによって、苦しむ人が出てくる。

 なのに、未来は変わらない。変えられない。


 斎が今まで何気なく口にしていた未来に、どれ程の人々が振り回され、死んでいったのか。




「馬鹿だよ。」




 斎は小さく自嘲する。

 雪は、斎の言葉を否定するでもなく、肯定するでもなく、ただ聞いているだけだった。 









だって この手は英雄を語るには余りにも血を浴びすぎ生き様を誇るには汚れすぎてしまったから http://www.geocities.jp/monikarasu/