雪が家にやってきてから5日。

 斎は相変わらずに家で引きこもっていた。

 冷凍保存した食料で食事を賄い、相変わらず家でぼんやりとする。


 それでも、雪がいる分、幾分かましだった。

 ゲームにも飽きてきていたし、雪の話を聞いたり、彼女が家から持ってきた漢文を読み聞かせて
もらうというのは、良い暇つぶしになった。




「漢皇色を重んじて傾国を思ふ、御宇多年求むれども得ず、楊家に女有り初めて長成す、養はれて
深閨に在りて人未だ識らず」




 雪は漢字だけが並ぶ本を、すらすらと読む。

 滑らかな口上も日頃は退屈なだけの文字の羅列も、読み聞かせてもらえば面白げに思えてくる。


 今風少年の斎はゲーマーで、恋愛小説と年相応の怪しい小説くらいしか読まないが、彼女の解説
は面白いので、不思議と漢文を聞いていた。

 耳慣れない響きは右から左に過ぎていくが、高い声音が心地よい。


 広い斎の屋敷は静かだ。

 木の葉の町中からも外れており、人も滅多に訪れない。

 裏は森だし、聞こえるのは夏だと激しくなく蝉くらいの物で、それもそろそろ命を終えて、静か
になってきた。

 あれきり忍達も呼びに来ない。 




「あら、眠ってしまいましたの?」




 ソファーに寝転がっている斎の顔を、雪がのぞき込んでくる。




「寝てないよ。ちゃんと聞いてる。」

「嘘おっしゃい、面白くないんでしょう。」

「雪の話は面白いよ。」




 斎は一つのびをして、ソファーから躯を起こす。

 壁に掛けてある時計を見れば、もうそろそろ夕刻だ。

 夕ご飯の準備をしようかと立ち上がれば、雪が後ろからついてくる。




「私も手伝いますわ。」




 毎回、雪はそう言って斎の料理を手伝いに来る。

 だが大抵は台所の隣に椅子を置いて、用意をする斎と話して終わっていた。


 壱日目に彼女に包丁を持たせた時、ぐっさりと手をさしたのだ。

 まだ怪我は治っていないし、これ以上手傷を増やさせるのも気が引けて、結局斎が料理をして、
隣で話して気を紛らわすのが雪の役目になっていた。




「今日は何を作りますの?」

「大根と豚肉の煮物だよ。」




 確か買ってきた大根と冷凍した豚肉がまだ残っていたはずだ。

 醤油とだしで軽く味をつければ、美味しくできる。


 斎はそれほど料理上手というわけではなかったが、雪よりは料理が出来る。

 両親が亡くなってからは一人で暮らしてきたから、同年代の人間よりは多少料理上手だろう。

 雪を満足させるほどではないが、夕食に二品のおかずをつけてやるくらいはできた。




「これ、洗いますわよ。」




 雪は炊飯器のお釜と計量カップを持っていた。

 雪がここに来て覚えたのは、米の炊き方だ。 

 と、言っても、米を計量カップで量って、洗って、スイッチを入れるだけだ。


 そんなことすら、彼女は今までしたことがなくて知らなかった。




「うん。今日は2合にしておいて。」

「わかりましたわ。」




 雪は頷いて楽しそうにお釜に米を入れ、水を注ぐ。

 白くなる水を最初不思議そうに眺めていたのを思い出し、斎は苦笑する。




「何、笑ってますの。」




 頬を膨らまして子供のように尋ねるから、斎はまた笑ってしまった。

 こういう、些細なやりとりが日常化しつつある。

 ひとりでゲームをしているよりも、ふたりで些細なやりとりがあって、そうやって日々を過ごす
のも悪くはないと思い始めている。

 現実から目を背けて、そこにある非現実を甘受する日々は、なにやらとても幸せで、恐ろしい。


 危うい均衡で保たれる幸せと不安が斎は変に気に入っていた。

 自分はマゾヒストではないが、なにやらこの不安定さに心が躍る。

 末期だと、少し自分で思った。


 大根を適度な大きさに切って、さっき取っただしと肉と一緒に彫り込む。

 斎がお玉でだしをすくって味見をしていると、チャイムが鳴った。




「…」

「あら、」




 雪が穏やかに小首を傾げてみせる。

 斎は無視を決め込むことにして黙りこくった。




「出なくて良いんですの?」




 雪が尋ねるけれど、無視だ。

 だしの味見を済ませ、お玉を台所に投げ出す。

 がらりと遠くで扉が開く音がした。

 家に人が入ってくる気配がして、斎はため息をつく。


 しばらくして、台所に入ってきた人影は、3代目火影猿飛その人だった。

 一週間ほどぶりだろうか。

 目の下に青いクマがついていて、もう皺だらけの顔の皺がますます増えている気がした。




「おまえ、何やっとる。」




 怒りを押し殺したような、声。

 斎はいつも通りのへらりとした笑顔を浮かべた。





「さぼり。」

「馬鹿もんが!!」





 一喝。


 猿飛は斎の胸ぐらをひっつかむ。

 斎の背は彼より遙かに高いから、猿飛にぶら下がられるような形になってしまった。

 少し苦しいが、斎は笑顔を崩さない。




「あら、ごきげんよう。」




 雪は久々に会う猿飛に柔らかな笑みを見せる。





「何で任務に出て来ん馬鹿もんが!ほんで雪宮といちゃついとる場合か!!」

「別にさぁ。雪はたまたまいるだけだよ。」




 穏やかな雪の様子を確認して、猿飛は雪が斎の引きこもりの原因の一端を担っていると思ったよ
うだ。

 叫んで斎を揺するが別にそう言うわけではない。


 雪が来ても来なくても、間違いなく斎は引きこもりだった。 

 彼女が来る前日から任務はおろか、一般生活の家事やら掃除やら、ありとあらゆることを放り出し
ていた。

 雪が来て、家事くらいはしているのだから、まともになった方だ。




「面倒くさい。なんか出たくないんだよね。家から。」




 斎は猿飛の手を振り払って、笑いながら頭をかく。




「何を引きこもりみたいなことを言っておる。いい加減にせい。モラトリアムか。」

「そんな感じかなぁ。」




 あたらずとも遠からずだ。


 モラトリアムは意味としては遅延、停滞。

 まさに現状の斎は停滞と言うに等しいだろう。


 なかなか良いたとえだと感心していると、気楽な面持ちで黙った斎に苛立ちを覚えたのだろう、

 猿飛はぎろりと斎を睨んだ。

 凄い迫力だと斎は小さく息を吐く。


 だが、こんなところで凄んでも仕方ないだろうに。

 斎は幼い頃から自来也の元で育ち、上層部にも出入りしてきた。

 別に凄まれても何も怖くはない。




「おまえの力は里には必要とされるべきものだ。里が困ると言うことがわからんおまえでもあるま
い。」




 猿飛は事実を述べる。


 予言の力、そして斎の透先眼が持つ千里眼の力は、里にとって非常に必要だ。


 斎がごねてやりたくないと喚いて里が手放せるほど誰でも替えのきく、希少性の低い能力ではな
いのだ。

 里にとって、斎の能力は必要だ。




「僕のいる意味って、なに?」




 斎は黙っていたが、猿飛に尋ねる。




「最近、死体を見ながら思うんだよね。ぼんやり。」




 肩をすくめて、いつもの軽い調子で笑う。




「僕って、人を殺してまで生き残る価値あるの?」




 人の命をなぎ倒して、戦って、殺して。

 そうやって殺していく命よりも、自分の命は思いものだろうか。

 疑ってしまった。


 自分の弟を守るために任務に出てきた死んだ女より、自分が殺してきた人々より、自分は価値が
ある存在なのか。

 疑って、開き直れるほど、斎の殺してきた人間の数は少なくない。

 何も考えずに、ただ頭の中を空っぽにして幼い頃から当たり前のように奪ってきた命は、あまり
に多い。


 未来を見通す力を持ち、人の死を避けられてもおかしくないのに、斎は誰よりもたくさんの人の
死を見て、自分も殺してきた。

 何も考えずに、罪を重ねてきた。

 斎には守りたい人はいない。


 両親は死んでしまった。


 夢はない。




 夢を見るほど、理想を浮かべるほど子供でいられなかった。

 ならば、斎はどうして人を殺してきたのだろう。

 理想や夢、守りたい者のあった敵の方が、殺してきた人々の方が、意味がある命だったのでは、
ないか。



「僕が殺す意味って、なに?」




 猿飛が驚いたように目を見開く。

 それに気付いてか、気付かずか、斎はいつもの無邪気な笑顔を浮かべる。




「結局さ、何も変わらないじゃない。」









 逃げ道なんて何処にもないでしょう?
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