桜色に輝く銀色の髪を揺らして、彼女は笑っていた。

 緋色の髪紐、蝶々の描かれた赤い着物。鮮やかな青い帯。


 からころとなる下駄の音。




『これ、あげます。』




 自分で縫ったという藍染めの綿入り半纏をくれたのは、斎が12になった冬のことだった。

 どうして半纏なのかわからなかったが、斎が着れば、彼女は嬉しそうに笑った。


 鈴を鳴らすような高い声音、

 寒い冬に、赤くなった鼻と頬、


 まだ子供のような彼女に、自然と笑みがこぼれた。



 斎に半纏を渡すためだけに外出の許可を取った彼女。

 綿の入った半纏は、成長期の斎では毎年新調しないと小さくなる。


 斎の両親が死んだのは、夏のことだったから、半纏を作ってくれる人間はいなくなっていた。

 忍界大戦中で人が死ぬのは当たり前だったけれど、相次いで両親が亡くなった時はさすがの斎で
もへこんだ。


 彼女なりの配慮だったのだろうと今は思う。

 雪と名を呼ぶと、彼女はいつも笑ってくれた。

 彼女の笑顔を見ると、心が揺さぶられた。


 それを、恋心を意識したのはいつだったか。

 でも、恋心とともに、叶わないことも同時に理解した。


 炎一族の東宮である彼女と、子供の望めない近親婚の結果に生まれてきた自分。

 調べれば調べるほど、自分に彼女といる資格はないとわかった。

 諦めるための口実を探していたのかも知れない。


 彼女は東宮なのだから、


 そう言い聞かせて、それでも募る思いがあって、考えないようにした。

 思えば全体的に斎はそういう傾向にあった。


 嫌なことは考えないで脇に置いておく。

 そのための努力は惜しまなかった。 


 一年ほど雪に会わず、女性と遊びほうけていたのもその一環だ。

 考えたくない。


 そうして逃げて、逃げて、結局今追い詰められた。

 忍としても、人間としても、行き詰まった。







「どうしろっていうのさ。」




 あれほど恋い焦がれた雪の恋情にすら、覚えるのは戸惑いだけだ。

 雪は覚悟を決めて、一族まで捨てても構わないと、未来のない斎といる決断をしたのに、斎は何
も決断できない。

 考えたくないと、そう結論を先延ばしにすることはもう出来ない。


 雪はあと数日で本当に忍として働き出すだろう。

 自分が迷っている、忍としての道を踏み出す。


 斎との未来を望むが故に。


 なのに斎と来たら、未だ任務に出ようともせず、のうのうとしている。

 人を殺すのが、自分が殺されるのが怖くて、引きこもっている。

 今の斎に、雪と対等に思い合える価値などありはしない。




「頭、痛いな。」




 考えるのは疲れる。

 思えば両親が死んでからと言う物、逃げてろくに考えてこなかった。


 口にした言葉も、きれい事も、全ての行動も、適当にあしらっただけに過ぎない。

 目の前の事態におとなしく従ってきた、結果。


 自業自得と言ってしまえば本当にそれまでだ。





『好きですの。』




 彼女の感情は、あまりに率直だった。

 何もかも捨てて求めてくる。


 前にも進めず、後ろにも下がれない、止まったままの斎を求めてくる。

 そんな価値、斎にはないのに。




「いーつき。」




 間の抜けた、ミナトの声が響く。

 畳の上に寝転がっていた斎は、気力もなく目だけを彼の方に向けた。




「泣いてるんじゃないかと思ったけど、そうでもないらしいな。」




 変に明るく笑ってくるから、斎はうんざりした様子で息を吐いた。




「あのさぁミナト、君、猿飛先生から、僕を任務に引っ張り出してくるように言われてるんじゃな
いの。」




 猿飛から斎のサボりの話を聞いているということは、自動的に斎を引っ張り出すように頼まれて
いるはずだ。

 斎の親しい人はほとんどいない。


 賢い猿飛はこのまま斎を自分が説得しても無理だと感じたはずだ。

 斎は考えなしに目の前のことを処理するくせがあるが、馬鹿ではない。

 一度考え出すと口論も強ければ、頭も回る。



 日頃回さないだけの話だ。

 猿飛が口で説得したところで斎に言い負かされて終わりである。


 ミナトは、口論で言い負かそうというタイプではない。

 押して駄目なら引いてみろ。


 安易な発想だが、斎が猿飛でも同じことを考えるだろう。

 それだけでなく、火影としてミナトは斎の能力がないと困っているはずだ。


 予言も里の指針を決める上で重要だが、それだけでなく、斎は千里眼の効用を持つ透先眼を保持
している。

 斎の透先眼ほどの精度を持つ術はない。

 索敵追尾、作戦の立案に斎の能力がないと、細かな相違点が出て、任務に支障を来す。


 ミナトだって、斎のボイコットにかなり頭を悩ませているはずだ。




「斎って頭働かせ出すと、裏まで見えるな。」




 ミナトは困ったような顔をする。

 斎は日頃は何も考えていないが、考え出すと裏の裏まで見抜くだけの聡明さがある。


 だからこそ術の理解の早さと頭の回転の速さで天才と謳われる技量を短期間でつけてきたのだ。

 そして、だからこそ、彼は常は何も考えない。


 幼い頃からその天才的な技量故に大人の世界に足を踏み入れていた彼は、必然的に見ない、聞か
ない、考えないことを身につけた。

 深く考えれば考えるほど、聡明であるからこそ裏に気付き、自分を精神的に追い詰める。


 目の前のことだけを考え、淡々と処理し、深くは考えないでいることが、彼の保身の術の一つで
もあったのだ。




「斎だって、苦しかったろ。知ってたよ。考えないようにして、気にしないようにして、そうやっ
て自分を押し殺してたの、知ってたよ。」




 ミナトは幼い斎の保身術を、早くから理解していた。

 斎には里を守ろうとか、そういう気概が全くない。

 人殺しのことも、大義名分すらも考えておらず、命令に従っているだけだということを早くから
わかっていた。


 どんなにきれい事を言っても、どうせ自分たちは人殺しだ。


 だが、守りたい者があって、大切な里があって、だから戦う。

 大義名分すらない強さが、どれ程不安定であるかを、ミナトとてわかっていた。


 わかっていたけれど、何も言えなかった。

 言えば幼い彼は、崩れてしまいそうだった。




「知ってたけど、俺は声をかけられなかった。」




 弟のように、大切に思っていた。

 ミナトにはたくさんの兄弟弟子がいた。

 師の自来也はたくさんの弟子をとっていたから、一緒に居る時間があったとはいえ、斎はその大
多数の一人だった。


 でも、彼の笑顔は酷く印象的だった。




『蝶々のお注ェが綺麗でしょ?』




 演習中に虫を捕まえて遊ぶほど幼い班員は、初めてだった。

 面白いことしかやらない子で、興味を持ってもらおうと自来也が着ぐるみを着て手裏剣の的にな
ったりと大変だったが、好奇心の強い子ではあった。



 そして、無邪気に笑う子だった。



 本当に無垢に、楽しそうに、嬉しそうに、無邪気に笑うのだ。

 その笑顔は、今まで見た忍の誰とも違っていた。


 ずっと笑ってて欲しかった。

 悩むことも大切だと知りながら、笑顔を壊したくなかった。

 結果、斎は自分の班員の死で自分の言葉や人殺しの意味に否応なく気付き、雪への恋情が未来に
つながらないと諦め、すべてに蹴躓くまで、何も考えなかった。





「おまえを弟だと思ってるって言ってたのに、頼りない兄貴で悪いな。」




 ひとつひとつ、一緒に悩んでやるべきだっただろう。

 それでも、あの無邪気な笑顔を壊したくなかったのは、やはりミナト自身のためでもあった




「いいよ、任務も何もしなくて良い。やめておしまい。」




 心のままに生きたらいい。


 ミナトは寝転がっている斎の頭をそっと撫でる。



 なんだかんだ言っても、斎はまだ17歳だ。

 暗部で部隊を率いて、彼の言葉である予言は里の上層部の会議に採用され、彼の透先眼はすべて
の作戦の立案や指揮に使われる。


 17歳の彼には、あまりに重い。

 全体的に皆が斎に頼りすぎなのだ。

 だから、猿飛に斎の説得を頼まれた時、ミナトは断った。

 戦うことも、やめることも、斎が決める。


 幼い頃からその力故に選択肢を与えられず、ただ目の前の現状に流されてきた斎から、すべてを
奪うことは、できない。




「斎に傍にいて欲しいけど、今度は俺が頑張る番だ。」




 斎が傍にいてくれれば心強いのは事実だが、もう我が儘は言えない。

 今まで苦しみながら戦った斎に、ミナトがしてやれるのは今度は自分で頑張ることだけだ。




「やめてよ。雪もミナトも僕を買いかぶりすぎだ。僕は何も考えてない。苦しんでもいない。適当
に日々を過ごしてきただけだよ。」




 斎は腕で目を覆ったまま、天井へ向けて言葉をはき出す。




「そんなことないさ。ならどうして、班員の女が死んだことで、心痛めたんだ。」

「たまたまだよ。変なことを言って死んだから。」

「でも、女をわざわざ見に行ったんだろ。」




 暗部なのだから、それぞれの役目がある。

 本当に斎がなんの気もなく女に予言を話したのなら、本当に予言の成就を疑っていないなら、彼
がわざわざ女を見に行く必要はなかった。


 気にしていないなら、親切に最期の言葉を聞いてやる必要なんてなかった。

 心の端に罪悪感と共に根付いていたからだ。




「簡単に、何でも諦めるなよ。おまえが死んだら、俺が泣くぞ。」

「何それ。」

「予言はいらないさ。未来なんかくよくよしても仕方ない。それに、暗部の中の教育に回るって方
法もある。おまえは手練れだし、そっちなら殺しも少なくてすむ。」




 ミナトの打開策に、斎は目を丸くする。




「あぁ、そうか。」

「なんだ?」

「そういう方法もあるのか。」




 ミナトの言葉の端から見つけた方法。

 斎は自分の紺色の髪の毛を掻き上げる。


 未来を残す方法は、一つではない。

 教育もその一つだ。


 血はつながらなくても、心や思いはつながるのかも知れない。

 ただ、本気で教育を担うという道を斎が探るならば、上層部と駆け引きしなくてはならないだろ
う。


 久しぶりに頭をフル活動させて上層部を言いくるめるのも悪くはない。




「うん。いろいろ吹っ切れた。」




 斎は天井に両手を上げて、伸びをする。

 諦めきれない物がいくつもある。


 まだ手の中においておきたい人や、大切な人がいる。


 少なくとも、ミナトは自分がいなければ困るだろう。

 今でも十分困っているだろうに、斎のためを思ってやめてしまえと言ってくれるミナトがいる限
り、彼を守ると言う大義名分も悪くない。

 要するに斎は、人殺しにしてもなんにしても、諦めたふりをしながら、諦めないための大義名分
を欲していたのだろう。


 それが自分をどれ程思ってくれているか、確かめたかったのだ。



「本当は。死んだ彼女の代わりに自分が死んでりゃ良かったんじゃないかって、思ってたんだ。」




 斎は軽い調子で、ミナトに笑う。


 弟を守って死んだ女。


 自分が口走った予言通り死んだ女は、少なくとも斎よりも強い思いで弟を庇って死んだ。

 未来を作り出すことも出来ない、斎自身よりも、ずっと彼女の方が価値のある生き方をしたので
はないかと、思った。


 そう考えると、今まで殺してきた人たちすら、自分より価値があるのではないかと思えた。




「斎、おまえ」

「でも、僕だけに、出来ることがあるのかな…。」




 ミナトが目を見張って何か言うのを遮って、斎は笑う。

 少なくとも、斎を強く望んでくれる人たちがいる。


 その人達がいる限り、斎はまた戦える。




「そっか。」

「ま、ミナトが僕を暗部の教育係に−、なんて言い出したら、ミナト首になるよ。今でさえ苦しい
んでしょ?」




 斎がいなくなって一週間。

 もうそろそろ作戦やら上層部やらが行き詰まって立ちゆかなくなっている頃だ。


 斎のボイコットがいろいろなところに影響を及ぼしている。

 木の葉として、もうそろそろ限界だろう。

 ミナトは優れた火影だし、指揮官だし、賢いとは思うが、口論という点では斎に勝る人間は木の
葉にいない。


 火影だといっても上層部の意志決定は合議制だ。

 意見を通すならば、口論に強い人材も必要で、斎はその典型なので、ここ1週間斎がいなくなって
ミナトはかなり困っただろう。

 上層部のじじばばを言い負かすのはなかなか難しい。



「明日ちょっと、話し合ってくるよ。」




 斎は体を起こして、深く大きく息を吸って、吐く。

 久々に上層部の老人達とやり合うには、覚悟が必要だ。




「ついでにミナトがやりたいことあったら通しとくよ?」

「…いくつか、頼まれてくれるか?」

「もちろん。僕口論得意だし。役立ちますよ。」

「頼りになる弟がいて、有り難いな。」




 ミナトも頷いて、立ち上がる。

 もう夜も更けていて、窓の外は真っ暗だ。


 クイナも雪も酒飲みながら、もう酒盛りを始めているかも知れない。

 後片付けは多分、斎とミナトの二人がやることになるだろう。




「戻ろうか。」




 ミナトが穏やかに斎に声をかける。




「そうしよっか。」




 斎は昔と同じように、子供っぽい無邪気な笑顔で答えた。














 守られているばかりで守ることさえ出来ない己の無力さ
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