その時、里は案外大変なことになっていた。


 雷の国からの忍が火の国にあった石油の産出地域を占領してしまったのだ。

 斎や蒼雪が朝から出かけなければならなかった理由がそれだ。

 彼らも早朝から任務に出ていたが、戦局が安定したため帰ってきたのだ。


 雷の国の忍の襲撃から始まったこの戦いは、国境近くの一般の町の略奪までに発展し、一応は大
方片付いたが、予断を許さない状況だった。





「まぁ、遠目の能力を持つ僕がいたから、早めに事態を把握できて良かったよ。」




 そう言う斎の言葉にいつもの明るさがないのは、多数の犠牲者が出たからだろう。

 イタチは知らなかったが、病院は忍だけでなく一般人で処置が追いつかなかった者達が続々と運
び込まれているという。

 医者なら国境地帯にもいるだろうが、手術や大怪我となれば大病院のある火の国の中心、木の葉
隠れの里まで来なければ設備がない。




「俺は、運が良かったですね。」

「それは否定できないね。僕が屋敷に連れ帰らず、おとなしく病院で順番待ちをしていれば、君は
死んでただろう。」




 炎一族には体の弱いを看るために必ず、医師の青白宮がいる。

 彼が屋敷から遠ざかることは有事であってもない。


 イタチがこの屋敷で青白宮に看てもらえなかったら、死んでた可能性も十分に考えられる。

 特別扱いされることには気が引けるが、遠く北の対屋の方に明かりが見える。

 青白宮のところに運び込まれた人々が他にもいるのだろう。

 里の医師だけでは人数が足りず、こちらの屋敷に運び込むならという条件の下に、青白宮も忍で
はない一般人なら看るということになったのだ。




「戦局も安定したし、大丈夫さ。」




 斎は気楽に言うが、少し疲れたような顔をしていた。

 イタチに、その他にも気を回していたために、疲れたのだろう。

 斎が持つ千里眼の役目をする透先眼は戦略や索敵に必要で、そういう話し合いになると必ず呼ば
れる。


 大事になればなるほど、斎が必要になる。




「ま、イタチは何も気にせず養生することだよ。まずはね。その間僕ががんばるさー。」

「すいません。」

「たまには働かないと給料泥棒とか言われてるらしいし。」

「それ言ったの俺ですけどね。」




 イタチは軽い調子の斎に思わず苦笑する。


 きっと斎だってかなり大変だろう。

 なのに、軽い調子で言ってくれるから、イタチも変に気に負わずにすむ。

 斎の軽い調子から浅慮だと批判する人もいるけれど、イタチはこの軽やかさは彼の強さの一部だ
と理解している。


 彼は少なくともイタチに対して本当に優しい。

 苦しい時や哀しい時は傍にいてくれようと精一杯の努力をしてくれるし、これからもそうしてく
れると信頼できる。

 いつもはサボり癖もあるけれど、イタチが本当に苦しい時に無茶苦茶を言ったりはしない。

 ふざけて報告書を書かないのも、日頃は皆がしてくれると、出来ると思っているからだ。

 出来ない時には、もしくは出来ない人の前ではそんなことはしない。


 サボってイタチにいろいろなことを振るのは、イタチが出来ると、それだけの力を持っていると
思っているからだ。

 だから、生意気を言いながらもイタチは彼を敬愛する。





「ほんとうに、だいじょうぶ?」




 サスケは不安そうに斎を見上げる。

 里の様子を、せわしなく働く一族の様子を目の当たりにした彼は、子供ながら大人の事情に通じ
ている。

 大人の様子からただならぬ事態であることを感じ取って不安を感じていたのだろう。




「大丈夫さ。石油産出地域も取り返したしね。もうそろそろあの辺の山は雪深くなるから、攻めて
こないだろう。」




 斎はサスケに大人に話すような明確な答えを返す。

 賢いサスケにはかみ砕いて話すよりも、隠さず正確に事態を話した方が安心できると考えたよう
だ。


 サスケはほっと安堵の息を吐く。




「にいさんもいきてたし、よかった。」




 兄の大怪我も彼の精神的負担の一因だったようだ。

 斎はふっと柔らかく笑ってサスケの頭を撫でる。




「お兄ちゃん子だね。サスケは。」

「ちがっ!、違うよ!!」




 恥ずかしがってサスケは一生懸命否定する。




「ただ、怪我したってきいたから、びっくりしただけだ!」

「うん。ちゃんとお見舞いに来たんだもんね。」




 サスケの否定なんてこれっぽちも聞いていない斎は、ちゃんとサスケの奥底深くにある心情も理
解しているらしく、はっきりと言い返す。

 人の本質を冷静に見抜く斎に、ごまかしなどきかない。

 彼にサスケをおちょくる心情はないだろうし、サスケの感じる恥ずかしさなんて関係ないから、
一歩も退かない。


 言い返しても無駄なことを知ったサスケは居心地の悪さにイタチの顔色をうかがってから、もぞ
もぞと足を動かした。




「ぁ、うぅ…」




 イタチの隣に眠っていたが、僅かにうめき声を上げる。

 数回咳を繰り返し、寝苦しそうに寝返りを打つと、うっすら目を開けた。


 濁った紺色の瞳が苦しそうに涙を浮かべる。




?、起きられる?」




 斎は優しい声音で娘に尋ねる。

 注射は青白宮が打ってくれたが、物を食べた方が回復は早い。


 先ほどのおじやの残りもあることだし、起きられるのならば食べた方が良いだろう。

 はぼんやりとした目で父親の言葉を聞いていたが、ぽんぽんとイタチに背中を軽く叩かれ、身
を起こした。


 体調はやはり、良くなさそうだ。




「よし、僕はおじやを温めてくるよ。」





 斎は立ち上がり、サスケを見下ろす。




「サスケもおいで。」

「え?」




 サスケは思わず戸惑いの表情を浮かべる。

 何故おじやを温めるのについて行かねばならないのだ。


 疑問を口にしようとすると、斎ががしりとサスケの服を掴んだ。




「え?斎さん、なんで、え、」

「うん。お菓子あげるからおいで。」




 有無を言わさずつれて行く。

 要するにイタチと、二人にしてあげようという心遣いなわけだが、幼くてわからないサスケは
何故という疑問視か頭に浮かばない。




「さっきごはんたべたばっかだし、斎さんっ!」




 それでも引きずられていくサスケを見ながらイタチはふっと息をついた。


 斎は恋愛事に関しては非常に気が利く。

 生来の鋭い気質からだろう。

 おかげでと二人になりたいと思った時に邪魔されたことはほとんどなかった。




「大丈夫か、。」



 イタチが言うと、イタチの腕にしがみつくようにしては躯を起こす。

 少し痛みが走ったが、イタチは我慢した。




「いたち?」




 寝ぼけているのか、小首を傾げては問う。

 イタチが頷くと、は小さな声音で一つ頷いた。




「おかえりなさい。」

「あぁ、ただいま、」




 の言葉に驚きながら、イタチは決まった言葉を口にする。


 の元に帰りたいと、願った。

 たった一言だが、イタチはやっと自分が帰りたい場所に帰れたと実感する。


 の白い頬を撫でて、紺色の長い髪に指を絡める。

 柔らかな、さらりとした感触。

 そっとまだ痛む自分の胸元にの頭を引き寄せて、小さな肩に額を預ければ、淡い白檀の香りが
した。


 死が怖かったのではない。 

 彼女に会えなくなってしまうことが、彼女が泣きじゃくることが、怖かった。


 ただ、一目会いたいと思った。

 まだ言えないと、彼女が幼いから、自分が子供だから言えないと思っていた言葉を、言わなかっ
たことに後悔した。

 つまらない倫理感情で言えることを言わないことが、無意味だと言うことを知った。




「いたちぃ、」




 きゅっと、弱々しいけれどイタチの服を握る小さな手。




「どこにも、いっちゃやだ。」




 ひとりぼっちにしないでとは言い募る。




「ここに、いる。」




 帰りたかった場所は、ここだ。


 イタチは目を閉じての温もりを刻みつけるように感じる。

 自分が、欲しかった温もり。




、わからなくて良いよ。まだ、わからなくて良い。でも、」





 言っておきたい、


 死にそうになって、後悔した。

 言えるチャンスはあって、でも理解してもらえないかも知れないから、大人になるまで待とうと
思っていた言葉。

 本当はずっと心の中にあって、言えなかった言葉。




「誰よりも、愛してる。」




 あまりにも子供の自分が言うには重くて、でも、他に言葉が見つからない。




「誰よりも、大切に思ってる。」




 イタチは痛む腕も構わず、を抱きしめる。

 本当はもっと、大人になってから言うつもりだった。


 でも、だって、そして自分だっていつ死ぬかわからない。

 不慮の事故もあるかもしれない。



 だから、伝えたい、


 今、生きているから、伝えたい。




「あいし、てる?」




 はよくわからないのか、不思議そうな顔をする。

 わからなくたって今は良い。


 きっとまた、が忘れた頃にイタチはこの言葉をに言うだろう。

 次もは理解できないかも知れない。


 でも、自分が後悔しないために、また言うだろう。

 の心に、少しでもこの言葉が残れば良い。




「うん。愛してる。」




 イタチは願いのような言葉をもう一度に言って、大切な人の温もりを全身で感じた。








 
 
 
 
 

( きれてしまうこと せつにおもうこと )