微妙なサイズのセミダブルのベッドを買ったのは、正直言ってしまうと安かったからだ。
「案外自分たちで暮らしていくって、お金かかるんだね。」
はベッドの上で足をぱたぱたさせながら、本をめくる。
「そうだな。」
イタチもベッドの上に座って、同じように同意する。
台所とたった二部屋、あとはバスとトイレしかないアパートメントは狭いし、ぼろい。それでも火影岩の近くで立地が良いせいか、結構な値段だった。炎一族の屋敷は城壁の外にあるので通勤時間は短くなったが、元々二人とも遅刻するようなタイプでないので関係なかった。
アパートの敷金礼金、冷蔵庫、洗濯機、コンロなど必要なものを買ってしまえば、給金などいくらも残らない。あと、光熱費も食費もいるのだから、本当に大変だった。
「イタチ何してるの?」
「家計簿というやつをつけてみようと思ってな。」
ベッドの上に座って、イタチはノートに諸費をつける。
貯蓄がないというわけではない。うちは一族から炎一族にイタチが家出してから、の父・斎はいらないと言ったが、イタチは給金のほとんどを斎に渡していた。と言うのも炎一族では食費、光熱費、住居費は当然のこと、家事全般は侍女などが行っていたからだ。
元々イタチもそれ程遊びに行きたいとか、ものを買いたいとか言う願望もなく、給金もそれ程必要ではなかった。
炎一族邸を二人で出ると決めた時、斎はイタチに通帳を渡してくれた。
それは炎一族邸で住んでいた3年間、イタチが斎に渡していた給金のすべてだった。結局受け取ってはいたが斎は一銭たりともイタチからもらった給金を使っていなかったらしい。
二人暮らしでしばらく赤字でも通帳にあるのはかなりの額なので問題はないが、それでもいつまでもそんな暮らしを出来るはずではないので、二人のもらう給金でまかなっていかねばならない。
ちなみに斎はあっさりと言っていた。
――――――――まぁ、無理だと思ったらいつでも戻っておいでよ。
彼はイタチとがどれほど家事をしたことがなく、また斎自身一人暮らしをしていた経験があり、それがどれほど大変なのかを知っている。
家事と仕事の両立はド素人には難しい。
だからいつでも戻ってこいと言っていたが、イタチもも散々無理だと言われて、大丈夫だと豪語しただけに戻れそうにない。
イタチがくるりとペンを回していると、が身を起こしてイタチの手元をのぞき込んだ。
「眠いなら先に寝て良いぞ。」
「うぅん。大丈夫。」
そう言って、興味深そうには家計簿を見つめる。
「お小遣い帳みたいだね。」
「確かにな。」
小さい頃に誰もが一度はつけたことがあるものだ。
と言ってもは病弱で外に出られなかったため、たまに大人の忍びに頼んでお金を渡してお菓子を買ってきてもらうくらいだった。だが、が望む菓子は非常に安く、皆がのお金を使わず返してきたための小遣い帳は入金ばかりだった。
は甘えるようにイタチの肩に自分の頬を押しつける
「なんだ、構ってほしいのか。」
イタチは笑って、家計簿をベッドサイドの机に置いて、に向き直る。は僅かに身を離したが、甘えるように胸に頬を寄せてきた。
「二人暮らしって面白いね。」
は家事などにも随分苦労しているようだが、それでもそれを“苦労”とは考えていないらしい。正直食事もまともに作れたことはないし、失敗だらけの毎日だが、面白いと笑う。
おかげでイタチもあまりストレスに感じずにすんでいた。
は求めない。何も出来ないくせに、誰かにすべてをやって欲しいと思わない。当たり前のようにすべてを与えられてきたから、求めることを知らないのだろう。
そのため、まずいと言いながらも、インスタント食品が簡単だと知るとあっさり納得した。
「サクラみたいに料理が上手に出来たら良いのにね。」
はイタチの首に手を回しながら、くすくすと笑う。
「確かにな。サクラは本当に優しい。」
サクラはあの後、イタチにやり方を教えながら料理を作ってくれた。彼女はなかなか家事能力が高いらしい。
他にも洗濯機の使い方、冷凍庫の有効利用の仕方などを説明して、明日も心配だから来るからと言って帰って行った。大丈夫なのかと彼女を慮ったイタチに、彼女自身も一人暮らしをしている上、元々明日休みで、一人も三人も同じだからとあっさりと言っていた。
とイタチを心配してくれているのだ。
「まぁ、明日は俺も休みだから、真面目に料理の本でも読むさ。」
「うん。私も休みだしね。でも、料理本を二人で読むことになるなんてね。」
忍術の本を読んだりしたことはあったが、料理本など全く縁がなく、逆に難しい。
が体重をかけてイタチに抱きつくと、重みでイタチが仰向けに倒れた。安物のセミダブルのベッドはぎしりと軋む。
「わっ、」
は小さく悲鳴を上げて身を起こそうとしたが、イタチはぽんぽんとの背中を叩いた。の背中から紺色の長い髪が滑り落ちる。
肩あたりで一房を切り、段をつける髪型は昔風だ。
イタチは長い紺色の髪を手に絡める。
はイタチの上に乗っかったまま、イタチの胸に耳を押し当てていた。小さく震動し、音の鳴る胸。確かな温もりがそこにある。
「聞こえるか?」
「うん。聞こえるよ。あんまり早くないね。鼓動。」
「は少し早い。子供は鼓動が早いって言うからな。」
イタチはのうなじの髪を掻き上げる。するとくすぐったいのかは身を捩って、イタチの胸をぽんぽんと軽く叩いた。
「もぅ、」
は少しすねたような顔をした。
最近子供扱いをすると、すぐにはすねてみせる。大人になってきたと言うことなのだろう。イタチはより5つも年上なので余裕もあるが、にはそれが嫌らしい。
も15歳となり、恋人らしくなったと外から言われるが、イタチの中には幼いが残っているらしく、どうしても子供扱いしてしまう時がある。
「別にちゃんと恋人だと思ってるぞ?」
イタチは体を反転させ、横向けになって、と向かい合う。はイタチの上から落ちて、イタチの顔を見ず、目を伏せていた。
イタチはの白い頬を手で軽く撫でる。
柔らかい頬は幼い頃と全く変わっていない。親指で軽くふにふにと押して、額を彼女の額にあわせる
「じゃなきゃこんなことしないしな。」
軽く唇をあわせれば、驚いたような顔をしたがも目を閉じる。
「二人暮らしは気楽だよな。」
イタチは笑っての首筋に口づけると、はくすぐったそうに声を上げて身を捩る。
炎一族の東の対屋は基本的にが占有していたし、かなり広いので別に何ら不便はなかったが、流石にの両親の家だ。イタチも居候しているというイメージが未だに強く、の父が担当上忍であることもあって、恋人らしいことをするのは何となく気が引けた。
「でも、父上、きっと笑って終わりだよ。」
はイタチが気にしていたことに、ころりと斎に似た笑みを浮かべた。
「わかってるさ。気にしてるのは俺だけだよ。」
斎は、気にしていないだろう。
昔はかなり軽かったという斎はそう言ったことにもおおらかで、だからこそイタチがの家に住むこともあっさりと同意したのだ。普通娘の部屋に、娘を思っている男を教え子とはいえ一緒に住まわすその神経自体が考えられない。
だが、そういうことをあっさりとする人だ。
だから気にしているのはイタチだけだったと自分でも分かっていたけど、気にしている自分の方が絶対に常識的だと思うとイタチは自分を慰めた。
常識
( 等しい概念 )