元々イタチは仕事人間の気があった。
家族を最優先のイタチではあるが、それ以外に対しては非常に仕事に忠実な人間で、誰が見ても模範的に任務をこなす忍で、周りからの評価も高い。
が子供のために死ぬかも知れない、そしてが子供のために自分が死ぬことを容認した時、イタチは結局子供を殺すという決断も、が死ぬという事実も、どちらも受け入れられなかった。
そして結果的に逃避するしかなかった。
当然逃避先は任務で、ただ3週間仕事に没頭して、と子供のことを考えないようにすることしか出来ず、結局、一週間前にぶっ倒れることになった。
胃潰瘍で、血まで吐いて、1週間も眠り続けるとは思わなかった。
過労も重なっていたらしい。
「ひとまず、絶対安静だからな。」
目が覚めてすぐに飛び込んできたのは、酷い隈が目の下に出来た弟だった。
弟のサスケは寝ているイタチの額に無理矢理押しつけるように手ぬぐいをおいて、怒ったような声音で言った。
「任務は、・・・」
「変われるところはオレが変わった。兄貴はしばらく病院に入院してないと駄目だって、火影が言ってたぞ。」
「そうか。ありがたくないご達しだな。」
イタチはすべての呼吸を吐き出すような大きなため息をついた。
緩慢な時間は、今のイタチにとって苦痛でしか無い。むしろこのまま、息が絶えてしまえるのなら、きっと楽だろう。
別の病棟にはがいる。そう思うだけで気が狂いそうだった。
ナルトからひとまずチャクラを封印したから、しばらくは小康状態を保てるはずだと直接説明を受けたが、正直その時はそんな話聞きたくも無かった。
何も、考えたくなかった。ものになりたかった。
を失うなんてこと、子供を失うかも知れないこと、それを何も考えたくなくて、ただ、任務のことだけを考えていた。そうしたかった。
生まれて初めて、のことを忘れてしまいたいと思った。でも、忘れられない。いつも心の中に笑う彼女があって、それが失われるかも知れないという事実がどうしても受け入れられなかった。
訃報がないと言うことは、何とか彼女は1ヶ月生き抜いたのだろう。そう思えば、酷く胸が痛んで、会いたくてたまらなかった。
でも、きっと会ってもイタチは彼女に笑ってやることは出来ないだろう。
「また、巻き戻しか。」
せっかく逃げて任務に没頭していたのに、同じ所に戻ってきてしまった。
が死ぬことなんて受け入れられるはずがない。
子供を愛おしいと思っているのは本当だ。子供が死ぬのは嫌だ。けれど、が子供のために死ぬというのも、受け入れられない。
何しろ命を賭けるほどに愛おしいと思った妻なのだ。
「火影が胃潰瘍だけじゃなくて、兄貴鬱かもって。」
サスケは素っ気なく言ったが、泣きそうな顔をしていた。
「・・・鬱、か。」
そうかもな、とイタチも自分で思った。
心の中で、あの日、堕胎しろと皆に言われていたに何も言ってやれなかった、何も決断してやれなかった罪悪感があるのかも知れない。
が死ぬかも知れないと言われた、5年前のあの日によく似ている。
狂いそうだった。刻一刻と迫る彼女の終わりに頭がおかしくなりそうだった。今も同じ。何も考えたくないと思っても、考えてしまう。
これが所謂打つという奴なのだろう。
「薬を飲めば、直るのか?」
イタチは自嘲気味に自分に問うた。薬を飲めばのことも、子供のことも忘れられるとでも言うのだろうか。
サスケはそれに関して何も答えず、ぐっと拳を握りしめた。
「斎さん。心配してたぞ。」
「・・・だろうな。」
斎は何かとイタチの任務を止めようとしつこく試みていた。
心配してくれていたのだと思うが、もう何も考えたくないイタチにとってはそれを疎ましいと感じる時間すらも欲しくなかった。
何もかも、記憶ごとごっそり消えたら良いのに。
でもそうなったら結局イタチには任務しか残らないのだろうなと、何となく思った。大切な人がいないなら、のたれ死ぬ以外の自分が想像できない。
「兄貴、もうちょっとしっかりしろよ。もぼろぼろなのに、兄貴まで倒れたらオレはどうしたら良いんだ。」
サスケは腰に手を当てて、ぎろりと隈の目立つ目でイタチを睨んでくる。しかしそれにもイタチは濁った目を向けるしかなかった。
いろいろなことに疲れたというのが正直な気持ちだった。
病院の天井は白く、所々に汚いシミが出来ていた。イタチの頭の中にくすぶる闇は、結局白くはならない。全部無くしたくても、なくせない。
「兄貴・・・!」
サスケがイタチの肩を掴んで何かを言おうとするが、ふっと扉の方にやってきた気配に顔を上げる。イタチも同じだ。
どれほど疲れても、やはり忍としての気配を感じることは忘れていないらしい。
「ごめん、入っても良い?」
どこか戸惑うようなサクラの声が響く。
気配は2つで、多分もう一人同行者がいるのだろう。
「あぁ、」
イタチの部屋だというのに、何故かサスケが返事をする。
それにすら、イタチは不満も疑問も何も抱かなかった。斎か、綱手か、とイタチが思っていると扉が開いて、車いすの紺色の髪の少女がサクラに車いすを押されてそこにいた。
表情は俯いていて窺えないが、やはり大きくなったお腹が酷く不釣り合いだ。
「・・・、」
イタチは慌てて身を起こす。
会いたかった。会いたくなかった。
2つの相反する感情がイタチを支配して、イタチは呆然とを見つめるしかなかった。
イタチの一番愛おしい人で、亡くすかも知れない、そう思えば、今まで任務に忙殺されていて、一瞬でも忘れられたのが不思議なほど、強い感情がこみ上げてくる。
サクラは黙ったままイタチのベッドの傍までの車いすを押した。
「・・・」
何を話せば良いのか、イタチは言葉が見つからず、ただを見つめる。しばらくそうしていると、俯いたの握りしめた手に、ぽたぽたと水が落ちた。
「・・・ご、めん、なさい。」
小さなか細い、震える声だった。
「何が、」
「勝手に、決め、て、い、いたち、も辛かっ、たのに、」
胃潰瘍になったことは、聞いたのだろう。
「おまえが謝ることじゃない。俺が勝手に倒れただけだ。」
が謝る必要のないことだ。イタチの覚悟が足りないだけの話で、に非はない。そもそも妊娠だってイタチが欲しかっただけの話で、ろくに話さず作って、挙げ句がこんなことになって、が死ぬかも知れないという事実を受け入れられず、逃げたのだ。
ある意味で妊娠後逃げた男と変わりない。
イタチは自分を改めて思い返せば、ため息が出るほど最悪だと自分でも理解できていた。
「で、でも、もっと、もっとわた、し、が、普通で、だったら、こんな、ごめんなさ、い、本当に、イタチ、」
はぽたぽたと涙をこぼして、謝る。
悪阻で辛い時、彼女はいつも自分が普通でないことを気にしていた。それは今も同じなのかも知れない。
普通の人と同じように普通に妊娠が出来ない。
それはチャクラなどの関係から仕方のない話だが、それでもにとって沢山の処置をしなければ子供を生かすことすらも出来ない躯を持ってしまったのは、大きな後悔だったのだろう。
いつもの母である蒼雪が、娘のが体が弱く生まれてきてしまったのが自分のせいだと後悔していたのと同じように。
の死を前にしては笑えないから、悲しい顔しか出来ないからとイタチが逃げたことは、会いに行かず胃潰瘍にまでなったことは、のその後悔に拍車を掛けた。
「、ごめんな。」
そっとイタチはに手を伸ばす。
泣きじゃくる彼女の肩は相変わらず小刻みに震えていて、ただ、自分の躯の不遇と罪悪感に揺れている。イタチを責めようとはしない。
だから、イタチも甘えるのはこれで最後にしようと誓った。
自分の葛藤でこの子に罪悪感を背負わせるのは、これで最期にしようと、心の中で繰り返した。
母
( すべてを知りながら 見守る 優しい人 )