稜智が近場の森をほぼ全焼させたのは、4歳にさしかかろうかという9月のことだった。木の葉近くの森の中で、自分の白炎の鷲で火をつけてまわったのだ。




――――――――――…おまえ、人が死んだかも知れないんだぞ!?




 イタチが息子に初めて手を上げて、怒鳴りつけた瞬間だった。

 ことがことで、しかも犠牲者はいなかったが森が全焼と言うことで、稜智の罪も大きい。もちろん子どもがしたことであり、犯罪者としてしょっ引かれることもなかったが、単純に言えば放火である。火影が許そうが親であるイタチが怒るのは当然だったが、驚いた稜智が泣きじゃくり、母親のにへばりつくようになったのは、大きな誤算だった。




「羽宮?」




 は小首を傾げて息子を呼ぶ。

 一件から1週間たつが、その間息子はずっとから離れず、夜も朝も問わずの傍でくっついて一日を過ごしていた。夜になればイタチが帰ってくるが、黙りで、何を聞かれても答えない。

 当然イタチも放火の件があるため甘い顔はしない。


 お互い無視を続けて1週間。間に挟まれてへばりつかれているはどうして良いのか分からず、自分の息子のイタチによく似たつむじを眺めた。




「すねちゃってるね。」





 東の対屋にやってきたの父・斎が孫を見て、苦笑する。




「なーにすねてるの?もう一週間だよ?」




 斎はぐしゃぐしゃとにへばりつく稜智の頭を撫でたが、稜智はその手を拒むように身を捩っての腰に抱きつく腕に力を込めた。




「ずっとこうなの。」





 は少し頬を膨らませて小さく息を吐く。

 ことがことだけに、イタチが怒るのは当然だ。しかし叩かれても稜智は泣くことはあっても全く謝らず、黙りを決め込んでむすっとしている。対してイタチも簡単に許すわけにも甘い顔をするわけにもいかず、また同じように厳しい顔を息子の前でしている。




「ふぅん。不満がある、か。」




 斎は言うと、の隣に座り、稜智を無理矢理からはぎ取った。




「いーや!」



 稜智は手足をばたつかせ、の着物を必死で掴もうとする。




「はいはい。うるさいよ。稜智。」



 ごねてから離れるのを拒む稜智を適当にいなして、斎は孫を自分の膝の上に座らせて、よしよしと背中を強めに撫でた。




「何、すねてるの?」




 斎は淡く笑って、孫に尋ねる。

 稜智はむっとした顔をして、口をへの字にしてとげとげしたオーラを出して拒否を示している。ずっとこんな感じなのだ。が息を吐くと、斎は笑って稜智の頭を撫でた。



「じーじに言ってごらん。怒らないから。」



 むっと引き結んでいた稜智の口がほころび、じっと斎の顔を見上げる。

 漆黒の瞳は冷静に斎の紺色の瞳を窺っている。本当か嘘かを探るような鋭い眼差しを斎はいつも通りのひょうひょうとした様子で受け流した。稜智は彼の真意を測りかねているのか、母であるの方へと目をやった。

 しかし窺われてもには自分の父である斎の意図も、息子の稜智の言いたいこともよく分からない。小首を傾げてみせると、稜智は一度目を伏せてから「…わからない」とぽつりと言った。



「なんでおこられたのか、わかんない!」



 大声で言ったその言葉に驚いたのは、斎との方だった。



「わからないって、…何が?」



 斎はよく話が飲み込めず、と一緒に顔を見合わせる。




「ちちーえのいうことわかんない。だって、なんでひ、わるいの!」




 放火の一件のことだろう。

 稜智はイタチが怒った理由が分からないと言う。火で人が死ぬなど、知らないと。確かにイタチは誰かが死ぬ可能性だってあったと怒って、稜智に手を上げた。だが、幼い彼にはそもそも分からなかったのだ。火が危ないと言うこと自体が。




「…あ、そうか。」




 斎は納得して、大きく頷く。

 炎一族の宗家は白炎という血継限界を持つ。それは恐ろしいほど高温の炎で、そのためか、炎一族の白炎使いは基本的に火に手を突っ込んでもまったく問題がない体を持っている。体の傍でもその高温の白炎を操るためだ。

 そのため、稜智もまた火の中に手を突っ込んでも熱くないし、平気だ。

 だから、彼は炎が危ないものだという認識が全くと言って良いほど無かったのだ。森に火をつけてまわってけろりとして帰ってきたのも、彼が火の中を歩いても平気だからだ。




「ちーうえのいうことは、わかんない!」





 稜智は大声で叫んだ。は目を丸くして、息子を見下ろす。

 イタチに怒られてから、息子は黙りをずっと続けていた。その理由が、まさか火が危険だと言うこと自体を分かっていなかったとは、にもわからなかった。イタチとて、まさかそこから説明しなければならないとは思っていなかっただろう。

 幼い稜智は根本的なことを理解していなかったのだ。




「羽宮、普通の人は火に触れられないの。」




 は息子のつむじを眺めてから、膝を折って稜智と視線を合わせる。




「少しでも火に触るとね、大怪我をしてしまうの。イタチも、父上もそうだよ。白炎を持っていない人は、みんな。」




 言って聞かせるように言葉を選び、ゆっくりと話す。 

 自分たちが特別なのであって、炎に強いことが普通ではないのだ。は気をつけながら息子の間違いを正す。




「なんで、みんなとおれはちがうの?」




 稜智は黙っての話を聞いていたが、黒い瞳を丸くしてに尋ねた。




「…」




 はその問いに言葉を失う。

 も幼い頃考えたことがある。どうして自分は皆とは違うのか。どうして普通ではないのかと考えたことがある。は体が弱く外に出ることが出来なかったため、それに気づいたときはもう分別がつく年頃で、その疑問を両親にぶつけることもなかったし、理解も出来ていた。

 しかし、稜智は違う。



「違わないよ。」



 黙って聞いていた斎が口を開く。




「稜智は何も違わないよ。ただちょっと火に強い体を持っているだけだよ。」

「ひに、つよい?」

「そ。稜智は火を触っても平気でしょ?でもそれ以外はみーんな一緒だ。イタチとそっくりでしょ?」




 稜智は自分の容姿が父であるイタチにそっくりであることを知っている。少し考えるそぶりを見せたが、納得したのか、頷いて斎を見上げる。




「じーじも、ひにさわったら、いたい?」

「すっごく痛いんだよ。こけたときよりも痛い。」

「ふーん。へんなの。しんじゃうの?」

「うん。火に囲まれたら死んじゃうよ。」




 斎が言うと、やっといた力怒られた意味を理解したらしい、稜智は斎の膝を叩いて、唇を尖らせる。




「しらなかった。もりで、しんだ?」




 死んだ人はいたのかと、初めてそのことに気づいたのだろう。稜智は泣きそうな顔で尋ねる。


 放火したのは自分でも分かっているのだろう。分かっていなかったのはそれで人が傷つく可能性だけで、事実はよく分かっているのだ。




「うん。死んだ人はいなかったよ。」




 斎はぐしゃっと孫の頭を撫でて、慰めるように抱きしめて背中を叩いた。

 稜智がイタチにどれほど怒られても謝らなかったのは、納得出来なかったからなのだろう。は小さく笑いながら、素直な息子の頭を撫でる。

 これで多分イタチが帰ってきたらちゃんと謝れるだろう。




危ないって何