夕飯の後、布団を引いてからもは何となくぼんやりしていた。
「はーえ?」
稜智が不安そうに尋ねる。
「、」
イタチがの名前を呼ぶと、彼女はびくりとして顔を上げ、また目を伏せた。
夕飯では復帰すると言い出したが、イタチはろくに話を聞いていなかった。半年前にその話しをした時、イタチはに復帰には反対だと言った。まだ幼い稜智は確かに手のかからない年頃になってきたが、それでも目を離すといらないことをする。
それにとしては、あまりに戦って欲しくなかった。
彼女が忍としての才能に溢れていることは理解しているが、元々気質は優しすぎて忍向きではない。いつも他人のことを考えてしまう。人を傷つけるのを躊躇う。
妊娠し、休職したのをイタチは心のどこかで歓迎していた。
だがそんなイタチの気持ちとは裏腹に、は復帰したいと望む。この間、二人目を作らないかと尋ねたばかりだというのに、は次の結論を出してきたのだ。おそらく、彼女は家でじっとしていたくないのだろう。元々家事も出来ないので専業主婦向きというわけではない。
「別に怒っているわけじゃない。」
を宥めるようにイタチは言う。だが長年共にいるにそんなごまかしが利くはずもない。
「うそ。怒ってる。」
は確信を持って、イタチの言葉を否定した。
確かに、イタチは怒っている。勝手に復帰したいと言い出した彼女に。確かに復帰して欲しくないと思うのは、自分のエゴなのかも知れない。しかし、家族なのだから、物事は一人で決めるのではなく、合議で決めて然るべきだ。ましてや一人の問題ではない。
「ちーえ、」
稜智が不安そうにイタチに身を寄せてくる。
イタチが怒っている雰囲気が稜智にも伝わっているのだろうか。子どもにとって両親の喧嘩は見ていて気持ちの良いものではないはずだ。どちらも親なのだから、どちらが悪いとか、嫌いだとは思えない。だから酷く戸惑った表情をしている息子を見ながら、イタチも少し目尻を下げる。
「稜智、おまえは、どうしたい?」
が仕事に復帰すると言う問題に関わるのは、イタチだけではない。
「が復帰すれば、家にはあまりいなくなる。に家にいて欲しいか?それとも忍の母上の方が良いか?」
イタチは素直に、稜智に問いかけた。稜智は酷く驚いた顔をしたが、「うーん」と少し悩んで、口を開いた。
「おれははーえが、おうちにいてくれたら、うれしいな。」
稜智の答えは、素直だった。
なんだかんだ言って、稜智は母親にまだべったりだ。3歳児と言うことを考えれば当然で、活発に動きながらもすぐに戻ってきては「はーえはそこ!」と言って母親を側に置きたがる。まだ母親と離れるのは寂しいのだ。
はその答えに悲しそうに目尻を下げたが、息子に言われれば仕方がない。
「…、わかった。」
消え入りそうな声で、こくりと頷く。
イタチは小さく息を吐き、安堵したが、次の質問を口にしなければ不公平だと言うことも知っていた。これもまた、同じように稜智に深く関わることであり、選択を委ねるべきだ。
「おまえは、弟か妹が欲しいか。」
尋ねると、稜智ははっとした顔をして、イタチの表情を窺った。
「俺はひとりで十分だと思った。でも、は欲しいと思ってる。」
イタチは公平に、自分の意見も言ったが、の意見も口にする。
の復帰を家族での多数決にかけたのだから、この問題もイタチの一存だけで拒否するのは不公平だ。もイタチも全く違う意見を持っている。だからこそ、稜智の意見は重要で、子ども故のシンプルな答えが聞きたかった。
「でも、」
そのことを口にするのを、稜智は躊躇うようなそぶりを見せた。イタチはその様子を見て、目を閉じて小さく息を吐く。
知っているのだ、稜智は。
普通なら子どもを二人作ることは、とイタチが若いことを考えれば普通だ。しかし、このことを大人達が何故口にしないかも、がどうして忍として働かなくなったのも、が一時寝たきり状態だったかも、稜智は知っているから躊躇う。全部全部承知して、だから口に出さなかったのだ。
「俺もも自分の答えを言ってる。おまえ言って良いんだ。」
イタチはそっと稜智の頭を撫でる。さらさらした黒い髪はイタチと同じように手からすぐにこぼれ落ちた。
「…ほしい、おとうとかいもうとほしい。」
震える声が言うのを聞いて、イタチは一つ頷く。
「わかった。」
本当はイタチも、知っていた。
息子が弟妹をほしがっていることも、本当は同年代の子どもと成長やチャクラのコントロールから遊び方が違うため、一緒に遊ぶことが出来ないことも、全部知っていた。知っていて、自分が二人目を作る覚悟がないから、見ないふりをしていたのだ。
は確かに勝手に復帰を決めて、ずるかったのかも知れない。
けれどずるいのはイタチも同じだ。彼女が稜智のための決断を自分のエゴと覚悟のなさを隠すために放り投げていた。
「そのかわり弟妹が出来たら、は本当に大変になる。俺は任務もある。」
「うん!」
稜智は先ほどの暗い顔など忘れたように、嬉しそうに大きく頷いた。
「いつできる?」
無邪気にに尋ねてみせる。
「え?いつって、まだできてない…」
は戸惑いながら答えるが、少し安堵の表情を見せていた。
「長い時間がかかる。それにも体調を崩すことになる。だから、おまえが助けるんだ。」
イタチも任務がある。
一番家にいるのは間違いなく息子である稜智であり、を助けるところも多くなるはずだ。前のような状態になれば、助けの手は多ければ多いほどに良い。
「イタチ、良いの?」
はおずおずとイタチを見上げる。
「…多数決だ。それに従うのは、おまえも俺も変わらない。すぐに出来るかはわからないが、二人目を作ろう。」
イタチはの膝の上で握りしめられている手に、自分の手を重ねる。
「俺はおまえを心配しているだけだ。昔も今もそれは変わらない。」
に危ない目に遭って欲しくない。に体調を崩して欲しくない。そしてに死んで欲しくない。
いつもイタチはそう思っている。ただが傷つくことに怯え、怖がっている。きっとイタチが恐ろしいのは敵でも、尾獣でも、マダラやトビでもない。ある意味でそのものだ。彼女を傷つけるのが自分であれば、同じように悲しい。
「な?」
イタチはの頬をそっと手で包んで、優しく笑う。するとは目を丸くしたが、倒れ込むようにイタチの胸へと飛び込んだ。
「ごめんなさい。」
「それは俺も一緒だよ。」
涙目で言うに、イタチも同じように返す。
「おれも!」
抱きしめあう両親に疎外感を感じたのか、稜智が突進してくる。イタチは思わず笑って、息子を自分との間へと入れた。
「ははうえ、なきむしー。」
稜智はとイタチの間での顔を見て、ごしごしと自分の袖での目尻を拭う。は息子を抱きしめながら、目を細めて小さな額にこつんと自分のそれをつきあわせる。
「泣き虫じゃないよ。」
「そうだ。サスケよりも強い母上だぞ。」
「そうだった!」
イタチが言うと、稜智は嬉しそうに笑って、母親に抱きつく。
結局の所、息子もまだ子どもで母が良いのだ。イタチが与えられるものは、愛情と強さだけだ。外敵から守ってやることしか出来ない。でも、もしがいなくなったら、イタチがその与えられるすべてを与えてやらなければならないと、子どもを抱きしめながらイタチは強く自分の覚悟を求めた。
さんにん