春の陽気に誘われるように庇で眠りこけている男が一人いる。

 間抜けにも枕まで持ち込み、挙げ句の果てにはクッションまで引いて、心地よさそうにすよすよと寝ている男を、イタチが簀子の下の地面に放り出したのは次の瞬間だった。





「何!?何が起こったの?!」





 突然のことに事態が飲み込めない彼は紺色の髪をがさがさと自分でかき回し、イタチの顔を見てはっとした。





「こんにちは。斎先生。」





 満面の笑みの弟子に、斎は頬を引きつらせる。





「あれ?イタチ?」





 斎の娘、と同棲を始めてから、弟子であるイタチがの実家である炎一族邸に戻ってくるのは週末だけだったはずだ

 あれ?と首を傾げていると、イタチは腰に手を当てた。





「今日、なんの日だったか、記憶にありますか?」

「え?まったく全然?」






 けろりと答えて見せると、弟子の眉間に皺が寄る。

 それでなくとも年の割に年寄り臭い顔をしているのだから、眉間に皺が寄るともっと酷くなるぞと思いながら、斎は地面の上であぐらをかく。





「・・・本当に何の日だったっけ?」





 真剣に記憶にない。





「今日は火影が出席する会議だったんですよ。」

「あぁ、そうだっけ?」






 週に一度金曜日の朝、暗部と火影の意思疎通を図るため、報告会が行われる。当然現在暗部の監査機関“樹”の長である斎は出席する義務がある。

 はずだが、完全に忘れていた。





「そうか、今日は金曜日だったか・・・。」






 日付の感覚は忍と言う時間曜日の不規則な職業のせいか、本当にアカデミーの教師くらいにしかないだろう。






「報告、しておいてくれた?」






 斎はははっと笑ってイタチに問う。





「しなきゃどうしようもないでしょう・・・」






 イタチはあからさまなため息をついて、そっぽを向いた。

 真面目な彼のことだから、斎の放置していた書類その他諸々を引っ張り出して、火影への報告会へと持って行ったのだろう。

 本来なら斎の執務室には誰も入れないが、イタチには鍵を渡してある。

 暗部の他の面々もイタチに泣きついたであろうことは目に見えていた。




「そりゃそりゃ、病み上がりに悪かったね。」






 斎は軽い謝罪をして、地面から立ち上がり、簀子へと上がる。





「・・・疲れてたんですか?」







 イタチは少し目を伏せて問うた。斎はおや、と顔を上げる。

 一年ほど前、イタチは結核が発覚し、現在結核の方は完治しているが、病魔に冒された肋骨を切り取ったせいで、まだ完全復帰には至っていない。

 肋骨がないままでは激しい運動は望めず、完治にはあと一度手術が必要だった。

 今までイタチが暗部で行っていた任務は他の忍に振り分けられ、今までサボり気味で手が空いていた斎がやり玉に挙げられるのは至極当然の成り行きだ。

 要するにイタチが病を得てから斎の任務は増えた。

 イタチはことのほかそのことを気に病んでいたらしく、ことあるごとに斎の所へとやってきてはぽつりと甘えてきたりしていた。





「ただ単に寝たかっただけだよ。完全に忘れてたしね。」






 別に先日は任務もなかった。元が怠惰な斎だから、すっぽかすことはしょっちゅうだ。

 ただ、今回はイタチの心の琴線に触れてしまったらしい。その点は悪いことをしたなと斎は素直に反省した。おそらく明日にはそのことすらも忘れるだろうが。





「忘れるようなことですか・・・。」

「忘却は人間最高の才能だよ。」





 斎は悪びれもなくそう言って布団と枕を奥へと放り投げる。






「あれ?そういえば今日はは?」

は女性陣と買い物とスイーツとかで・・・。」

「あぁ、そうか。なるー。」





 二人暮らしを始めるようになってから、意外なことにイタチよりもの方が実家に寄りつかなくなった。

 もちろん任務やら里で顔を合わせるのは当然のことだが、それでも今まで一緒に暮らしていたように頻繁に会うわけではない。

 娘の成長を喜びつつも、やっぱり斎としては寂しいところもあった。





「まぁ、イタチが頻繁に帰ってきてくれるから、良いけどね。」





 あまり帰ってこないに対して、よく帰って来るのがイタチだ。

 が長期任務に出たりいない夜は、必ず炎一族邸に帰ってきては斎に小言を言っていたり、蒼雪に話を聞いてもらっていたりする。

 最初はの両親であるからと気兼ねしているのかとも思っていたが、そうでもないらしい。





「・・・が二人暮らしをしたいと言いだしたので、良い頃合いかなと思ったんですけど、俺は炎一族邸の方が気楽ですね。」

「え?そうなの?」

「出てみたら、正直大変なのはよくわかりましたしね。結婚と共に出戻りがおちじゃないですかね。」





 少なくとも出産したら出戻り間違いなしだ。

 あの手際の悪さで家事と任務と子育てなど不可能に等しいとイタチ自身自分でもよく分かっていた。





「ま、良い経験になったでしょ。」





 斎はイタチの正直な意見に苦笑する。

 はお嬢様育ちで少し一般常識が抜けており、のんびりしている。出来ないことも、極端な話毎食インスタント食品でも、洗濯機の使い方に失敗し汚れ物が積み重なっていようと気にしていないに違いない。

 その分、出来ないなりにも常識人のイタチは頑張って通常レベルにと家事をこなしたことだろう。





「サクラちゃんから物差しで野菜の大きさ計ってたって聞いちゃった。」





 斎はけらけらとイタチを笑う。





「え?聞いたんですか、それ。」

「うん。聞いちゃったよ。」






 暗部の親玉は斎、でも上司は火影の綱手、サクラの師は綱手であるため、結局回り回って斎まで話は常にやってくるのだ。

 サクラは頻繁に二人暮らしのアパートメントにも来ているから、状況を良く把握していた。




「心配してたよ。あんなのじゃいつまでたってもご飯が食べられないって。」

「・・・一時白ご飯に梅干し、もしくはふりかけ状態でしたからね・・・。」





 イタチは視線をそらして庭の方を見る。

 炊飯器の使い方はすぐに覚えたのだが、おかずの作り方など分かるはずもない。ついでにおにぎりも二人揃ってご飯で手がべとべとになるだけで、当然作れなかった。

 炊いた白ご飯と手軽に梅干し、ふりかけ、粉末味噌汁が一時ご飯の定番だった。

 ふりかけのバリエーションを増やしてみたり、味噌汁をすましに変えてみたりもしたが、朝夕二食がそれだと、流石に1週間で飽きた。





「最近は野菜のポン酢がけとか、豆腐とか、納豆とか思いつくようになりましたよ。あと魚も焼くようになりました。」





 イタチはガッツポーズと共に主張する。




「・・・そう・・・」





 斎は真面目に首を傾げるしかない。

 野菜のポン酢がけはただたんに野菜をゆでてポン酢をかけただけ、豆腐は出してポン酢か醤油をかければ良い、納豆はそのまま。魚もただ焼いているだけだ。

 料理が出来るようになったと言うよりは、考えられるバリエーションが増えただけで、料理の腕は全く発展していないのではなかろうか?

 と、思ったが斎はそう言ったことは忘れることにした。


荒手