堰家は土の国の神の系譜で、土を扱う力を持っている。何故、隣の雷の国の神の系譜・麟と仲が悪いのか、そんなことは忘れてしまったが千年ほど前の争いからだという。
そのため堰家は火の国の炎一族と同盟を結び、一族の安定を図ろうとした。そして当主は妻として当時の炎一族の分家の一つである蒼雪宮家から姫君を迎えた。彼女の姉は炎一族の宗主の正妻で、世継ぎの母でもあったため、結果的に炎一族の宗主と堰家の息子として生まれた要は従兄同士と言うこととなった。
しかしそれは逆に麟の焦燥を加速させ、要の両親は麟に襲われ、命を落とした。要を庇ったがために。愛情をふんだんに与えられ、戦いも知らず、アカデミーにも通うことなく育てられた要にとってそれは衝撃そのものだった。
神の系譜として類い希なる力があると言われてきた。そう育てられたというのに、要はちっとも力を使うことが出来なかった。両親が死ぬかも知れないという、一番大切な時に。
炎一族の宗主である蒼雪に助けられ、無力感だけを腕に抱いたまま両親を失った要は、炎一族邸にしばらく預かられるようになってからも、罪悪感と両親を失った悲しみに苛まれていた。だが、その要の感傷を慰めるように、現実はいつだってそこにあった。
「!だめだって!」
まだ幼い黒髪の少年が慌てた様子で甲高い声を上げる。
物思いにふけっていた要ははっと顔を上げて、縁側へと御簾を上げて出ると、紺色の長い髪をした幼女はよじよじと大きな松の木に登っていた。
「な、」
何をしているんだと叫びそうになって、要は慌てて自分の口を押さえた。
幼いはまだ、それがどれほどに危険かと言うことを、理解していない。がそのことに気づけば、パニックになって落ちてしまうだろう。そううればもっと取り返しのつかない事態を招くことになる。要は慌てて縁側から庭に出て、大きな松の下で狼狽している幼い少年の隣に立った。
見覚えはなかったが、おそらく彼は、数日前に出会ったイタチの弟か、少なくとも同族だろう。顔立ちがよく似ていた。
「ど、どうしたんだい?、なんで、」
要は慌てて外にいる小さな少年に声をかけた。
「あそこ、子猫がいるんだよ。」
イタチよりもずっと落ち着きのない彼は泣きそうな顔をして、早口で答えて、いても立ってもいられないという様子で木の下を行ったり来たりする。
要が目をこらすと、随分と上ったのか、の姿は見えない。木の葉の間に僅かに黒い影が見え隠れしていた。はその細い枝に登ろうとしているらしい。
「!動いちゃだめだよ!」
出来るだけ大きな声で、でもを驚かせないように注意しながら穏やかな声で要はに話しかけた。だが当のは子猫に手を伸ばすことに必死で、あまり聞いていない。細いの手は何とか子猫を掴んで自分の腕の中に抱え込むと、ほっと息を吐いた。
「?!」
縁側の方から別の声が響き渡り、がぱっとそちらの方を向く。イタチが縁側に出てきて、の所業をみて思わず声を上げたのだ。
しかし、は大好きなイタチの声を聞いて下を向き、初めて自分がいる場所と高さを理解したらしい。
「ぁ、」
怖くなったのか、くしゃりと表情を歪めて今度は下へと目を向けた。そこは大人でも十分に目が回りそうな高さで、幼い子供ならば何かあってもおかしくない。奈落の底にでも見えたことだろう。
「!落ち着け!!」
イタチが慌てて縁側から庭へと裸足で出てきて叫ぶが、は腕に子猫を抱えたまま顔色を変えて震え出す。だが、両手で子猫を抱えたその動きがいけなかったのだろう、細い枝だからの体がゆらりとバランスを崩した。
「!」
イタチが悲鳴のような声で叫んで、サスケも目を丸くする。要はどうしようもなかったが、咄嗟に何も考えず落ちてくる彼女に手を伸ばしていた。
「つっ、」
柔らかい体を何とか受けとめると同時に、下に引っ張られる酷い力で、腕が外れそうな重みに要は顔を歪める。
「!要!!」
イタチが駆け寄ってきた。サスケは真っ青で呆然と立ちすくんでいる。
「…」
要がなんとか動いた右手を解いて腕の中にいるを見下ろすと、は驚きで泣くことも出来ないのか、猫を抱えたまま紺色の瞳を丸くしてぽかんとしていた。とはいえ、どうやら傷はなさそうだ。
「良かった、怪我はないね。」
要は安堵の息を吐いてから、自分の腕の痛みに表情を歪める。
「大丈夫か?」
イタチが要の様子に気づいて、心配そうに尋ねてくる。
「う、うん。ちょっと脱臼かも。」
よく分からないが、肩が酷く痛む。がまだ幼いといっても10キロは余裕に超しているし、改めて上を見上げて確認すれば、軽く3メートルは超える高さにがいた枝があった。受け止めることが出来なければ、は大怪我を負っていただろう。
「ひっ、ぅ、うわぁあああああ」
はやっと我に返ったのか、恐怖とパニックで要に抱きついて泣き出した。突然抱きつかれた事に要は驚いたし、肩の傷は痛んだが、子供に抱きつかれたのは初めてでどうして良いか分からなかった。
要には兄弟はおらず、神の系譜の直系とし常に敬われてきた。親しく抱き締められたことなど両親以外にはなかったため、慰め方も思いつかない。
「何事ですの?」
子供たちの騒ぎを聞きつけてか、炎一族の宗主である蒼雪が小首を傾げて御簾を上げ、庇に出てくる。いつの間にか何人かの侍女も出てきていた。
「が木から落ちたんです。要が受け止めてくれたんですが…」
イタチは簡単に蒼雪に事情を説明する。
「木に登ったの?あらあら。」
蒼雪は口元を袖で隠して驚いて、要の方に歩み寄ると、要に抱きついて泣いている娘を抱き取る。の腕から、不機嫌そうに子猫がにゃあと鳴いて地面に降り立った。
「…青鬼姉様の所の子猫ですわね。」
真っ白の毛並みのその猫は、蒼雪の異母姉である青鬼姫宮のところで飼われている猫が先日産んだ子供だった。盲目で、炎一族の先祖を奉っている後朱雀神社の神主をしている彼女の居宮はそれ程ここから遠くない。迷い込んだのだろう。
「要、大丈夫か?」
イタチは要の服が破れて擦り傷が出来ているのに慌てて言ったが、それがすぐに消えていくのを見て目を瞬かせた。
「あぁ、…僕たち神の系譜は傷の治りが早いんだ。」
要は説明して、小さく息を吐く。
神の系譜の直系は普通の人間とは違う。莫大なチャクラを持ち、性質変化を操る血継限界を持ち、同族にすらも恐れられ、敬われる存在だ。そのことを10歳を越している要は既に理解していた。
治癒能力を見れば、気味が悪いだろう。
「そうか。たいした傷にならなくて良かった。」
イタチは別にそれ程そのことに反応はせず、胸をなで下ろして笑う。あまりにあっさりとした反応に、要はよくわからず、首を傾げる。
彼は何故驚かないのだろうか、最低でも恐れられるだろうと思っていた要は眼をぱちくりさせる。
ちらりと彼の弟であろう少年を見ると、こちらは恐れと困惑の入り交じった目でこちらを見ていた。それが、普通の反応だろうに、イタチにはそれが全くない。
「君は、」
要は何かを口にしようとしたが、言葉にならず結局口を噤んだ。
「ん?」
イタチはよく分からなかったのか、軽く首を傾げたが、要に手を伸ばす。
「傷の治りが早いとは言え、傷が痛むのは一緒だろう。を助けてくれてありがとう。中に入って手当をしよう。青白宮がきっと良い薬を持っているだろう。」
「…ありがとう。」
要はその手を取って、膝に力を入れて立ち上がった。
イタチは要より少し年下だが、要にはイタチは随分としっかりしているように見えたし、人の感情に聡い子だと思っていた。その評価に変わりはない。でも、きっとそれだけではない。
「困った子。下男に言えば良いものを。」
腕の中でまだぐずっているをあやしながら、蒼雪は自分の娘に向かってため息をつく。
が登らずとも、その辺りにいる下男にでも頼めば、それなりに子猫を救出してくれただろうし、危険もなかったはずだ。だと言うのに木に登ったのは、成長と言うべきか、それとも向こう見ずだと言うべきか蒼雪には分からない。
だがどちらにしても要に怪我をさせたのは事実だ。
「宮、要君にありがとうは?」
「あいがとー。」
は紺色の瞳を瞬いてから、要に無邪気な笑みを浮かべる。向けられた要は、どう答えて良いか、それすらも知らなかった。
燻