イタチが家出をしたのは、が10歳くらいになった頃の秋の夜更けだった。
「・・・家出した。」
任務に行く時の三倍ほどの荷物を持って、炎一族邸の東の対屋にやってきた少年は、少しふてくされたように、それでもはっきりとそう口にした。
あまりに突然のことだったのでは寝台から躯を起こし、彼に歩み寄ろうとしたが、驚きすぎてつばを飲み込んだ時にそれがひっかかり、思わず咳き込んだ。昨日から少し熱が出ているので、あまり体調は良くない。のども痛かった。
「大丈夫か?眠っておけ。」
イタチは慌ててを寝台に戻す。
は莫大なチャクラを保持して生まれたため、成長が遅く、すぐに体調を崩す。そのため里の子供の例に漏れず、アカデミーにも在籍しているが、授業はおろか今では外に出かけることすらもできなくなっていた。
長い紺色の髪に大きな紺色の瞳。そつなく整った顔立ちはどちらかというと大きな目と相まってかわいらしい印象を他者に与える。病気で外に出ないため肌は真っ白で、唇だけが柔らかい桜色だ。緋色の着物に身を包み、寝台の上からイタチを見上げてくる。
炎一族の病弱でかわいそうなお姫様。
しかしイタチは哀れみではなく、この小さな少女に幼い頃から恋愛感情を抱いていた。外の世界を知らない故に純粋で、きれいで、無邪気な彼女に会うと心が洗われるようで、いつも離れがたかった。
「イタチ、フガクさんと喧嘩したの?」
いきなりのどストライク。
父との不仲など一度も彼女の前で口にしたことはなかったが、あっさりとは言い当てる。外に出られないためものを知らないだが、たまに突飛でた洞察力を見せる時があるのだ。
言い当てられ、渋々イタチは頷いた。
イタチの生家であるうちは一族は里でも1,2を争う名門だ。イタチはその嫡男として生を受け、その忍の才能から一族中の期待の星だった。アカデミーを首席で卒業し、三忍のひとり自来也の弟子である暗部の親玉・斎を師としてからは、その期待はひときわ現実味を帯びた。
だが、前からイタチと父・フガクは不仲で、イタチが暗部に入った頃からその意見の相違は明確になっていった。一族の方針、とりわけ一族の代表者であるフガクの方針と、イタチの意思とに大きなずれがあるからだ。
それは忍になってすぐからわかっていたことだったが、イタチが昇進するにつれ、親や一族の期待とイタチの意思との溝は広がっていた。
いままではこまめにぶつかるだけですんでいたが、とうとうイタチは本日、家出を決断した。
「月末まで、泊めてくれないか。」
イタチは申し訳ない心持ちではあったが、そう頼むしかなかった。
今まで給金のほとんどを家に入れていたから、イタチには手持ちのまとまったお金がなかったのだ。それにもかかわらず勢いで家出をしてしまったため、お金がない。月末になれば苦しいまでも給料が入るからアパートを借りられるだろうが、それまでは床でも良いから屋根のある場所で眠りたかった。
好きな少女に頼むのは気が引けたが、残念なことに、イタチには頼れる友人が少ない。幼くして昇進したため、知人は皆先輩だ。
幸いの住んでいる東の対屋は、イタチが数十人にても布団を引いて眠れるほどの広さがある。また、の父・斎はイタチの担当上忍だ。さえ良いと言えば、この部屋の畳一畳分くらいは貸してくれるだろう。
「うん、良いよ。毎日イタチに会えるの嬉しい。」
は悩むことなく嬉しそうに笑う。
毎日体調が悪く、外に出られないにとって、イタチと毎日会えるのは願ってもないことだ。前から泊まっていくこともあったし、まだ10歳のは純粋にイタチを慕う。
「ありがとう。」
素直なの言葉に少しはにかんで、イタチは安堵の息を吐いてから、ふと弟のことを思い出す。
と年は変わらないのに随分とひねくれている。イタチがうちは一族からいなくなっても、彼は大丈夫だろうか。なんて、存外器用なやつだから、案外すんなりとイタチがいないのを受け入れて、やっていくのかもしれない。
それを少しだけさみしく思った。だからといって帰る気もない。
「おやおや、夜這いかい?」
庇から御簾をあげ、楽しそうな笑みを含んだ声が聞こえる。
「ちちうえさま、」
が顔を上げて、御簾から顔をのぞかせた男を呼んだ。
中途半端な長さの紺色の髪に、大きな紺色の瞳。180センチはある大人だが、顔立ちはにそっくりでどこか幼く感ぜられる。童顔というやつだ。イタチもよく知るその人はイタチの担当上忍であり、の父でもある。
「斎先生、こんばんは。」
イタチはふざけた担当上忍に、いつも通りの挨拶をする。
彼はシャワーを浴びたのか、少し濡れた紺色の髪をうっとうしげにかき上げ、子供みたいに無邪気に、そして楽しそうに「やあ、」と笑った。
「とうとう家出かい?」
「そうです。とうとうです。もう疲れました。月末までの部屋に泊めてもらおうかと思って。」
「そうなの。良いんじゃない。」
年頃の娘の部屋に泊まると言っているのに、彼はあっさりと承諾する。
娘が納得しているというのもあるだろうが、イタチへの信頼の現れてもある。それを感じて、イタチはを見る。まあ、まだ10歳の彼女に手を出す気はないが、彼女が好きなのは事実だ。斎もそれは理解しているだろうから、やはりイタチへの信頼は絶大なのだろう。
「良かったね。。」
斎は娘のいる寝台の端に腰をかけると、軽くの頭を撫でてから、肩にかけていたタオルで自分の髪を拭く。
「フガクさんは?」
「激怒してました。」
「ふぅん。彼、なかなかストレートに怒るよね。僕、そういう人好きだよ。」
「そうですか。貴方がストレートに人を嫌いだって言うのを俺は聞いたことないですけど。」
「うん。基本的に嫌いな人はいないよ。理解不能な人はいるけど。フガクさんも若干その一部。」
「・・・」
それを嫌いと言うんじゃないだろうか。そう思ったが、イタチは口に出さなかった。それよりもきっと、これからが大変だ。
「月末までにどうにか考えないと。」
月末までに家を借りるためにお金の算段をつけなければならない。もちろん今まで考えていなかった生活費も必要だ。通帳も新しく作らなければならないし、生活はできるのだろうか。考えなければならないことが山積みで、頭痛がする。
今まで嫡男としてこなしたことのない家事も、自分でしなくてはならない。それはどれくらいの時間がかかるのだろうか。
想像もしたことがなかった未来への不安を感じながら、イタチは大きなため息をついた。
「月末までって、それからどうするの?」
斎はきょとんとした表情で尋ねる。
「給金でどこかに部屋を借りようと思ってます。いつまでものところに居候するのも。」
「良いじゃない。は大歓迎だよね。」
斎はに話を振る。は斎とそっくりのきょとんとした顔をしたが、すぐに内容を理解してか、こくこくと何度も頷いた。
「うん。イタチがいた方が良い。」
「ね。だからイタチはうちに居候しておけば良いよ」
「でもですね。うちはにぐだぐだ言われる可能性もあるでしょう?俺は戻りたくないんで。」
つけ込まれるような隙は作りたくないし、斎に迷惑がかかる可能性もある。
炎一族とうちは一族は仲が良い。
が一人娘であることもあり、うちは一族の嫡男であるイタチかサスケのどちらかがの許嫁となることが昔から決まっている。あまり長居をして問題になれば斎に迷惑がかかるかもしれない。
斎はしばらく考えたが、首を横に振る。
「大丈夫だよ。そこは僕がうまくやってあげよう。」
ころころと斎は笑うが、その眼は真剣そのもの。彼は人を言い負かすのが得意だから、フガクを丸め込むのは難しくないだろう。
「わーい。イタチが一緒に住んでくれるー。」
は相変わらず体調が悪いのか、青い顔をしているが、嬉しそうにイタチは両手を挙げる。
「え。えっと」
「良いじゃないか。は喜んでるしね。」
完全にの勢いに押されて頷くしかないイタチに、斎はにっこりと笑う。だが彼は頭の中で、きちんと次の算段をしていた。