が逃亡しようと思った原因は、監視役でなかなか強面だったアスカが怪我をしたからだ。

 一応何となく嫌な予感がしたので、アスカに次の任務には行かない方が良いよと忠告してあげたのだが、彼はそれを無視して任務に出かけ、首にギブス、腕は骨折という可哀想な姿で帰ってきた。しばらくはまともに監視の任務にも就けないとぼやいているのを聞いた。

 彼はそこそこの手練れであると、は理解していた。だが、彼の次にの監視についたのはカナと言う女で、彼女なら自分でもどうとでもなるとは分かっていた。 


 もちろん成功率は非常に悪い。


 すぐに頭領であるマダラ、イズナの二人に情報が行くだろうし、にはこの二人を倒して逃げるだけの能力は無い。勝ち目がないことは百も承知、しかもここはうちは一族の集落のど真ん中だ、なんぼ透先眼で周りが見えても、隠れられないところは絶対にある。

 また蒼一族ほど精密でないにしろ、結界はあるだろう。

 逃げ切れないことは分かっていたが、“それ”をするチャンスが二度と来ないと言うことも重々承知だった。





「破れるね。」




 軟禁されていた屋敷から一番近い結界の端っこ。

 見渡しの良いそこをが逃げ場所として選んだのはあまりにおかしな話だろうが、ちゃんと意味がある。人はほとんどいないし、時間がいる。多くのうちは一族の人間はの貼る多重結界に気づけても、破るのにはかなりの時間がかかるはずだ。なんとしてもマダラとイズナが来る前に事を終えてしまわねばならない。




『大丈夫か?』




 口寄せで呼び出した犬神が、心配そうに隣からのぞき込む。




「大丈夫。あんまりやったことないけど、結界破りは得意だから。」





 はそう言って、慎重に貼り合わせてある結界に手を触れる。弾くような感覚があったが、貼られた結界を内側から破るのはたやすいし、は予言の力では弟に劣るが、結界を作ること、そして破壊は非常に得意だった。

 自分の指先を噛んで、血を浮き上がらせ、それを結界へとつけ、文字を描いていく。

 その中央の文様へとチャクラを送り込んだ途端、薄いガラス板を砕くように、パリンと結界は割れた。かなりの広域の結界だったのか、すべてが一気に割れていく。広域の結界であればあるほど、一点でも弱ってしまうとあとは風船のように崩れ落ちる。





「落ちた。」





 はそう呟いてから、自分の透先眼を開く。

 まだマダラは屋敷の中にいるようで、アスカと話し込んでいる。まだ時間があるだろうが、それでも急ぐに越したことはない。結界が破れたことはマダラにすぐ分かるだろう。

 懐から紙切れを取り出す。

 それはチャクラを通す特殊な紙で出来ており、うちは一族に来てから常にが身につけていたものだ。自分のチャクラを通し、それで鶴を折る。鶴は羽を羽ばたかせて自立して動いてみせる。は小さく笑みを漏らして、それを宙へとかざした。ぱたぱたと自分で折り紙の鶴は宙へ浮き、既に結界のない空へと飛び立っていく。

 それを見送っては、自分は役目を終えたと小さな笑みを浮かべた。

 は自分の置かれている状況を楽観視したことはなかった。他の一族につかまった限りは殺されても文句は言えないし、蒼一族が自分を見捨てることを承知している。例え自分が当主の姉であっても、まだ幼い弟を守ることこそが蒼一族にとって最優先されるべきだ。

 しかし、蒼一族において、他の一族につかまっても絶対にすぐに死んではならないというのが、掟である。


 なぜなら多くの場合その遠目の能力故に生かされることが多いのだ。その遠目の能力を他者から守るために、幻術を無効化するという能力も付け加えられた。幼い頃から蒼一族はその教育を徹底されるし、一部は血継限界の透先眼の力でもある。要するに幻術によって操られることを防ぐためだ。

 死ぬのは二つの時、チャクラを封じられた時、そしてもう一つは、情報を取り終えた時。

 今は、ある程度の写輪眼とうちは一族の情報をすべてあの鶴に託した。あれはのチャクラを宿しており、それをたどれば透先眼でが見た光景を見ることが出来るだろう。うちは一族の周囲には結界が張り巡らされていることが分かっていたので、一度外に出て結界を破る必要があったから、少し無理をして逃げたのだ。

 元々マダラやイズナと戦って勝てるなどと無謀なことは考えていない。




『良いのか?』 




 犬神が悲しそうに目尻を下げて尋ねる。




「良いのかって、どうしようもないでしょ。」




 それに逃げても絶対に追いつかれる。自分の勘は逃げ切るのは不可能だと言っている。9割を誇る自分の勘をどうやって覆せば良いのか、まだ14歳で能力もない自分には見当もつかなかった。

 秋風が寒くて、は羽織の襟元をかき寄せた。

 室内用の着物ではやはり寒い。もうすぐ冬がやってくる。戦争はこの時代冬になれば止まることが常だから、しばらく休戦だろう。今情報を渡しておけば、蒼一族は春までに情報を収集し、防衛の準備を始めることが出来る。





「それに、“我は儚き命。汝らゆきつく終わりはみな同じ”」





 が犬神に言ったのは、誰もが知る蒼一族の格言だった。

 予言の力を持ち、遠目で現在、過去のすべてを見通す水色の瞳は、確かに使い方によっては神のごとき価値がある。だからこそ、先代が伝えた格言は深いのだ。未来が見通せたとしても、自分たちも同じ有限の命を持つ者に過ぎない。だから最終的には誰もが同じ場所にたどり着く。

 驕るなと言う先祖からのメッセージだ。

 またそれを蒼一族では、皆同じ場所にどうせ行き着くのだから、生きても死してもいつかは会えると捉えている。




「死んでも、また会えるわ。」




 は手をそろえて、いつも通りの笑顔を浮かべる。

 残してきた妹と弟が気がかりでないわけではない。だからこそこうして命をかけて情報を伝えたのだ。死が怖くないと言えば嘘になるが、それでもは少し早く父母と会い、後から来る弟妹を待つのだと思えば、少しは慰められる。





「つかまった時から、それがわたしの役目だもの。」

「やってくれたものだな。」




 マダラの低い声が、そこに響き渡る。後ろからは警戒した面持ちのイズナもいて、は小さく息を吐く。どうやら考え事の時間は終わってしまったようだ。





「想像より、少しはやかったかな。」

「だが、遅かったようだな。」





 マダラもがやったことの意味は、理解しているらしい。

 どの程度かはもちろん把握していないだろうが、情報を漏洩し、蒼一族に伝えるために結界を破壊したことに関しては分かっているはずだ。





「蒼一族での決まり事だから。」




 は困ったように首を傾げて見せる。 

 情報を集め、そして漏洩し、死ぬ。それが蒼一族が外に出て、つかまった時の決まり事。それを蒼一族では“戦い”と言うのだ。の父親も3年前にそうやって死んだ。遺体も帰ってこない。そんなことが多いから、心だけでも行き着くところは同じだと、蒼一族は思いたいのかも知れない。

 確かには彼らのように戦い、勝ち抜いてきたことはない。

 ただ教育はされている。自分の一族を守るためにどうすべきなのか、当主の姉である自分がそれを破ってはならない。




「無理?」

『無理だぞ、ありゃ。おまえもわかってんだろ。』





 犬神は鼻先でマダラとイズナを示して、首を横に振る。





「やっぱりかぁ。」




 予想はしていたが、突きつけられると厳しいものがあった。ただ、わかりきっていたことなので確認しただけだ。本気で戦って誰かを傷つける気は、には無い。





「わたしは、父上のもとに帰ることにするよ。」





 犬神に小さく笑って、先ほど監視をしていたうちは一族の女から奪った小刀を構える。





「ありがとう。」





 マダラとイズナに向けて、は柔らかく笑む。

 情報を得るためで本当に申し訳なかったが、少なくとも彼らはにチャンスをくれた。丁重に扱い、何不自由ない暮らしをさせてくれた。そのことには心から感謝していた。彼らとて戦いのために仕方なくを攫ったのだ。だからこそ、こうなってしまったことは心から申し訳なかった。

 それでも、刃を胸に押し込むその力に躊躇いはなかった。







蹴散らせ