の刃は間違いなく己の心臓を捉えていたが、それでも彼女が何とか一命を取り留めたのは、マダラが一瞬で距離を詰め、彼女の刀を僅かでも押しとどめたからだった。彼女はなんの躊躇いもなく、死ぬつもりだった。




「まさかだね。」




 イズナも驚いたのか、赤い顔で荒い息を繰り返しているを見下ろしていた。彼の表情にも信じられないという感情がありありと浮かんでいる。それはマダラも同じだった。

 彼女の言葉どおり、彼女は捕まったその時から死を覚悟していたのだ。

 少女が生きていたのはただうちは一族の情報を集め、それを外へと持ち出すため。彼女はその終わりが死であることも理解して、情報を集め、生きていた。そんな悲しみをおくびにも出さず、笑っていた彼女はなんだったのだろう。どんな気持ちだったのだろう。

 何も知らない、蒼一族の中でただ穏やかに育っただけの少女だと思っていた。

 しかし彼女は蒼一族の掟を強く教えられ、それを果たして死のうとした。それ程に蒼一族の掟は争いを知らぬ少女にすらも大きく絶対的なものであり、だからこそ蒼一族は今まで中立なんて中途半端な方法で生き残ってきたのだ。

 おそらく仲間の死と引き替えにもたらされる情報は大きい。

 うちは一族の情報が漏れたことは既に分かっているから、ひとまずマダラはうちは一族の全員を前いた場所ではなく別の場所へと移動させた。今いるのも借宿だ。彼女に持ち出されたであろう情報の損失は大きい。だが彼女まで死ねばこちらは僅かなカードすら失ってしまう。





「ん、」




 うっすらとは目を開く。熱に浮かされた潤んだ瞳はあまり視点がうまく結べないのか、水色と紺色の色合いを交互に浮かばせる。

 これが彼女の“眼”なのだろう。

 毒々しいうちは一族の緋色とは違う、澄んだ水色はすべてを映す。未来過去、そして人の感情や選択すらも見通す。不思議な色合いの、うちは一族のような戦いのためではない、進化を歩んだ瞳だ。

 傷から菌が入ったのか、は何とか一命を取り留めても傷故の酷い熱が連日続いていた。失血の後遺症もあるのだろう。マダラが止めたと言っても、刃は十分深くまで刺さっており、決して予断の許せる状態ではなかった。





「哀れな。」





 まだ年端もいかず、世界も何も知らぬ小娘が、ただ一族のために利用され、死んでいく。

 蒼一族の掟は確かに一族の存続のためには正しいものだが、僅かでもある捕まった者たちの生きられる可能性を奪うものである。幻術すらきかない蒼一族だ。生きていればもしかすると逃げられるチャンスも生まれるかも知れない。蒼一族の掟は、生き残るチャンスを奪う。





「おまえは一度死んだ。少し眠れ。」






 マダラはそう言って、額に張り付いたの髪を払ってやる。




「は、ぎ…、ここ、」




 彼女は震える唇で、小さく人の名を紡いだ。

 漢字一文字、訓読みの名をつけるのが蒼一族の風習だ。おそらく“はぎ”は萩。“ここ”は心か、ひとまず人の名前だろう。彼女はその者たちの命を心から大切に思うから、こんな恐ろしいことをしでかしたのだ。




「前に聞いたんだけど、には妹と年の離れた弟がいるんだって。」




 イズナは言いにくそうに、口を開く。

 おそらく、マダラとイズナが襲撃した時一緒にいた犬神に乗っていた、年下の子ども達だろう。性別まではマダラとイズナには知ることはできなかったが、それが弟妹だったのだろう。それが、彼女の“守りたいもの”なのかも知れない。




「両親は、どうした。」

「母親は、下の弟を産んだ後に亡くなったらしい。父親も数年前に戦いでって。」






 蒼一族が戦いに参加することは絶対にない。

 と言うことは父親の死因も、おそらくと同じように敵に捕まり、そのまま情報を漏洩した後で、命を絶ったと言うことだろう。それが戦わない蒼一族の“戦い”なのだ。

 この世界で、両親を亡くしたものが生きていくのは非常に難しい。

 それは蒼一族というゆりかごに守られているも同じだったろう。二人の弟妹を庇いながら生きていくことは難しかったはずだ。この戦乱の世においては、自分の身一つでも守るのが難しいというのに、彼女は弟妹を庇って生きてきたのだろう。

 弟妹がいなければ、マダラとイズナに捕らえられたあの時、彼女はふたりからも逃げられたかも知れない。しかし走りの遅い弟妹を彼女は助けるために時間のロスになるのに、口寄せをして犬神を呼び出し、弟妹をその上に引きずり上げ、結果的にマダラとイズナから逃げ切れず、彼女は自分は残り二人を迎撃し、弟妹を逃がす道を選んだ。





「…それでも、俺たちは、彼女を帰すわけには行かない。」





 哀れだとは思う。だが、マダラたちとて一族を守るために彼女をただで帰すわけにはいかない。この状況であればなおさらだ。僅かでも彼女が交渉のカードになる可能性があるのならば、生かしておかねばならない。

 情報が漏れた今の状況では、それを期待する以外、ない。

 が漏らした情報が蒼一族によって例えば千手一族に転売された場合、ろくでもない事態になる。マダラは殺すと言う行為も視野に入れたが、彼女が予言の力を持つ限り、殺すのは尚早だ。僅かな理とも人質としての価値がある限り、飼っておいて損はない。

 どちらにしても、もうすぐ冬がやってくる。戦争はこの時代冬止まるのが常だ。思案する時間はたっぷりある。出方を窺う時間もだ。




「それに、俺はこいつに聞いておきたいことがある。」

「聞きたいこと?」





 イズナが問い返す。





「予言についてだ。」

「え?兄さんに?」

「あぁ、は俺に言った。“そのままでは、何もうまくいかない。”と」





 マダラはあの時の確信を持った、しかし躊躇うように口にした彼女を思い出す。

 本当ならマダラはを攫った張本人だ。“うまくいかない”なら良いことだろうが、彼女はマダラに僅かなりとも情が移ったのか、そう口にしたのだ。分かっているとおり、彼女の予言はきちんと回避の方法さえ聞けば当たらない。回避が出来るのが彼女達の予言の最大の利点だ。





「そのまま、は方針のことかな。」





 うちは一族の方針のことか、それとも違うのか。





「それぞに聞かなければ分かるはずがない。」






 予言の答えなど、本人でなければ分かるはずがない。ましてや自分の勘を根拠として話すの話はきちんと聞かなければ単純なことであれ、全く分からない。どうしてその結論が出たのか、根拠を必要としない彼女は恐ろしい勘だけで話を積み上げてくるのだ。

 推測するだけ無駄だった。





「ひとまずせっかく手当をしたにも関わらず死んでもらっては困る。」




 マダラは言って、監視役の人選も考えなければならないとため息をついた。

 女のカナと屋敷の警備を突破したことから、彼女はかなり忍術も良く出来るようだ。攻撃系の術はほとんど知らないようだったが、カナなどの話では攻撃が全部跳ね返されてしまったらしい。また多重結界を貼るのがかなりうまいこと、結界を破った手腕から見て、結界に関する才能は一級品のようだ。





「依頼がない時は、できる限り、俺が見るようにするよ。」





 イズナは苦笑して、を見下ろす。

 まさかこんな小さな少女一人に手こずらされるとは思っていなかったのだろう。それはマダラも一緒だった。





「そうだな。俺もそうする。部屋も、奥向きの俺の部屋に移そう。」

「良いの?」

「仕方あるまい。目を離さないためには、それが一番だろう。」





 マダラはため息混じりで、腕を組む。

 自殺されても逃げられても困るのだから、目を離すわけにはいかない。ましてやこれほどの使い手だと分かればなおさらだ。また、今回は屋敷の周りにも小さな結界を張り、破れば分かるようにしてある。今度逃げれば外の結界までたどり着く前にすぐ分かる。

 荒い息を吐いてたまに呻く彼女は、数えで14歳と言うだけあってかなり幼い。

 外の世界も知らず、ただ結界の中だけで生きてきた彼女は、小さな生き方に殉じようとした。その覚悟を嘲るつもりはマダラにはない。マダラを苦しめるほどに、このまだ幼い小娘は良くやったのだ。だがその無邪気な言葉しか語らなかった唇には酷く不釣り合いなものだ。





「…哀れだな。」




 まるで、なんの意味も知らぬマリオネットだと、マダラは彼女を思った。





唇にきず