確かに心臓を刺したはずなのに、何故か自分は生きていた。
1週間ほど熱を出しうなされていたが、目が覚めてみると引っ越ししたのか屋敷は別のものに変わっており、しかもが軟禁される場所は、何故かマダラの部屋になったらしく、彼が毎日夜になると帰ってくるようになっていた。
「…どうしよう。」
死ななければならないと分かっていたが、命を立てそうなものはすべて奪われている。
マダラがいない時には監視役が、監視役が帰る頃にはマダラが帰ってくるため、隙はない。監視役もかなり手練れのものがつけられているようだった。冬に入り戦争も止まったせいか、、マダラが部屋にいる時間も長い。
自分で自分の命を絶とうと思っても、舌をかめそうでもなくて、は途方に暮れた。
「参りました。」
将棋の盤面を見て、は口を開く。
「そうか。」
つまらなそうにマダラは言って、将棋の盤を片付けた。
雪が積もりだし、戦争はすべて止まり、皆が冬ごもりをする時期にさしかかっているため、やることもなく皆が暇をもてあましている。マダラは戦略を用いる遊びが好きなのか、に将棋を教えたが、やり始めたばかりのが勝てるはずもない。勝敗が決まっているこの勝負がは好きではなかった。
「やるなら、神経衰弱にしない?」
「ごめんだ。おまえは記憶力が良すぎる。」
「…」
マダラは結構負けず嫌いで、自分が負ける勝負は絶対にふっかけてこない。
透先眼保持者は見た映像をそのまま記憶できるため、神経衰弱などはほぼ無敵だ。しかし逆に“記憶”が応用力を奪うところがある。もその例に漏れず、幼い頃から物事は映像としてすべて覚えてしまった方が楽なので、どうしても応用をすると言うことが出来ず、数学や国語など応用が必要とされるものは大嫌いだった。
またばば抜きなど勘を要求されるゲームもの十八番だった。
「雪、まだ降ってるのかな。」
障子と雨戸が閉め切られているため、雪が降っているのかは分からない。だが、昨日から雪はずっと降っているようだった。
「そうだな。もしこれ以上降るようなら雪下ろしをしなければならなくなる。」
家が雪に潰されることは、この時代良くあることだ。こまめな雪下ろしは必要だった。うちは一族の隠れ家の一つらしいこの屋敷は、山の麓にある。吹き付ける風は雪も運んでくるため、雪は深いようだった。逆に、人が簡単に入ってこられないというメリットもある。
「雪下ろしかぁ、本でしか読んだことがない。」
蒼一族の結界の中では雪は降ってもそれは一時的なもので、積もらない。長老の幼い頃はつもり、一度だけ雪下ろしをしたと聞いたことがあったが、生まれてこの方は雪が積もる様を見たことがない。
「多くの場所で雪は降る。10メートル近く積もるところも決して珍しくはないぞ。」
「マダラさんは、それを見たことがあるの?」
「あぁ。何度もある。」
「世界は広いんだね。」
の知る世界は、小さな蒼一族の結界の中だけだ。それを常識として生きてきたが、どうやらその常識は蒼一族の中だけでのものらしく、世界からは大きくずれているらしい。
そんなことも、蒼一族の中で育ったは全く知らなかった。
「マダラさんはいろいろなところに行ったことがあるの?」
「あぁ、依頼だがな。」
大名に雇われ、戦う。それがうちは一族だ。
依頼とそれに見合う金があれば、どこであれ一族の人間を連れて出かけていく。その職業柄いろいろな所に行く機会には恵まれていた。少なくとも他の忍よりは頭領であり、有名な一族であるため、よりはいろいろな所に行っているだろう。
「ふぅん、じゃあ空に限りがあるって言うのは、本当?」
「どういう意味だ?」
「だって、木に遮られてどこまで続いているのか、見えないでしょ?」
蒼一族が住まう結界は森の中にある。彼女はその中から出たことがないから、“地平線”と言うものを一度も見たことがないのだ。それに気づき、マダラは思わず苦笑してしまった。
「あぁ、海があるところなら、地平線が綺麗に見える。太陽が赤く丸く沈んでいくところもな。」
「太陽は赤いだけなんじゃないの?」
「地平線では丸く、赤く見える。森の中ではその赤い光しか見えないだろうがな。」
海の向こうの地平線に太陽が沈んでいく姿は何度見ても、胸を熱くさせるものがある。
丸く煌煌と燃える赤い塊が地平線の向こうへ消え、上部から徐々にグラデーションを纏った夜の帳がおりてくるのだ。その光景を彼女はおそらく一度も見たことがないのだろう。むしろ内陸にある森のことを考えれば、海自体見たことがないはずだ。
「マダラさんは物知りだね。良いな。」
蒼一族は基本的に森の結界の中で生きて、死んでいく。一族の者の多くが結界の外の世界を知ることすらない。もおそらく、こうして攫われなければ一生外を見ることはなかったかも知れない。もちろん外は沢山危ないことがあるのだろう。
実際にうちは一族にも攫われ、捕まっているわけだ。
しかしはマダラやイズナ、うちは一族の人の話を聞きながら、外はそれ程悪い物では無いし、他の一族と関わることもそんなに悪いことではない気がした。
外は酷く恐ろしいもののように教えられてきた。もちろん恐ろしいと思う気持ちも正しいと思うが、それ以上に沢山のものが世界にはあるのだろうとは思う。沢山の一族、沢山の土地、沢山の気候、そして沢山のの知らないものが迎えてくれる。
それを見たいと思うのは、悪いことではないのではなかろうか。
「春になったら、」
マダラが唐突に口を開く。
「春になったら桜を見せてやろう。」
「山桜?」
「違う。桜が沢山植わっている場所がある。葉のない山桜とは違う桜だ。」
山桜は群生していることはない。だが、うちは一族の集落の片隅には桜ばかりが植えられている一角があり、それらは春になると一斉に桃色の花弁を開かせる。しかも山桜と違って葉と花が一緒に出てくることはなく、先に花だけが出る。
だが山桜しか見たことのないにはそれを想像することすらも出来ず、思わず首を傾げた。
「葉っぱがないと綺麗なの?」
「あぁ、色の薄い花弁だけだからな。」
「ふうん。」
山桜は比較的濃い桃色をしている。色の薄いと言われても見たこともないのでぴんと来ない。しかし彼が言う限りは大層綺麗な光景なのだろう。
「楽しみ。」
見たことがないは素直に喜ぶ。
おそらく外出も逃げ出す心配さえなければ許されるものなのだろう。ましてやマダラと一緒なら大丈夫だろう。マダラは一応うちは一族の頭領だと前にアスカが言っていたので、本当はうちは一族でも偉い人なのだ。それでも怪我以降はの様子や体調にかなり気を遣ってくれている。
たまに怖い顔をしているが、本質的にはやはり優しい人なのだろう。
「まぁ、争いがなければ、だがな。」
春になれば戦争も再開される。マダラも戦いに赴くことが多くなる。桜が咲く数週間の間に休む時間がとれれば良いが、長期の依頼になれば戦場での休憩が常となるので、そうなればとの約束を果たすことが出来なくなる。
マダラが言うので、は小さく笑って小首を傾げる。
「無理はしなくて良いよ。だって、わたしの小さな興味だもの。」
春の桜とやらを見てみたいというのはなんの役にも立たないの願望だ。彼の重荷になるくらいならば、それは必要ない。
「あぁ、だができる限り連れて行く。」
マダラは小さく笑って言い、の頭をそっと撫でる。それは躊躇うような動きも見せたが、意を決したように彼はこわごわとの髪を撫でた。
「うん。」
その優しさが嬉しくて、はにっこりと笑い返した。自分たちは同族暮らし、同族だけを大切に思ってきた。けれどは心の中で、同族以外も愛せるんだと初めて気がついた。
傾きかけた純情