春が始まる少し前に、大きな戦いがあるらしくマダラとイズナは出かけていった。1週間くらい帰ってこなかったかと思うと、ある晴れた日に大騒ぎになりながら帰ってきた。




「怪我人をあちらに!」





 ばたばたと屋敷の中を人が走り回っている。屋敷の外でも騒がしい声が聞こえてきていて、何やら大事のようだった。先ほどまで頭領が帰ってくると浮かれ気分だった男達も右往左往しており、不穏な雰囲気が漂っていた。

 が状況について行けずきょとんとしている間に、部屋に運び込まれたのは血まみれのマダラだった。




「ひっ、」




 これほどの大怪我を見たことがなかったは、思わず悲鳴を上げて部屋の端っこにずり下がる。男達はそんなに一瞥をくれたが、医師だ薬師だと騒ぎながら、何人か外に出ていき、何人かは部屋に残った。




「兄さん!」




 イズナも部屋の中に入ってきて、声をかけるが、マダラはうめき声を上げるばかりで、返事をしない。かなりの重傷のようで、まだ血が止まっていなかった。おずおずとイズナの方へと視線を向けると、彼はに気づき、「奇襲だ」と一言言う。





「奈良の一族が、千手と手を組んだらしい。」




 知らない一族の名前だったが、その一族がうちはの長年の宿敵、千手と手を組んだというのは、少なくとも朗報ではないとにも分かった。後からやってきた若い医師や薬師がマダラの傷を見るが、皆芳しくない顔色で傷を見ている。要するにかなりシリアスだと言うことだ。




「今日は俺しかいない。他の奴は出払っている。」




 若い医師の男は酷く焦った様子で言った。





「頼むぞ。ズイソウ」




 イズナはそう声をかけたが、不安そうだった。どうやらズイソウはほとんど経験のない医師のようだ。薬師への指示も全くなく、酷く緊張した面持ちで傷を見ているのが気の毒だった。

 少しだけ血まみれのショックから立ち直ったは、おそるおそるマダラの方へと近づく。





「ど、く?」

「何?」





 の言葉に、ズイソウが反応する。




「傷口から、いやな感じがする。毒か、んー。薬、とかってあるの?」





 薬と毒は紙一重のものだ。血を止まらなくする薬というのは、確かに存在する。ズイソウははっとした顔をして小さな紙片を持ち出し、それにマダラの血をつける。すると青色に変色した。





「これは、いかん!」




 どうやら本当に毒だったらしい。慌てた様子でズイソウが指示をして薬師が毒の調合を調べる中、はマダラの顔をじっと見た。いつもと違って不遜でもなく、偉そうでもない彼の顔は、まだどこかあどけない気もした。彼が目を閉じているところを見たのは初めてだ。

 いつも彼は一緒に眠ったときでも自分より早く起き、自分より遅く眠っていたと思う。

 だからこんな状況とは言え、目を閉じている姿を見るのは初めてで、はそっと彼の頬に手を伸ばした。しかし少し煤で汚れた頬は冷たくて、驚いてすぐに手を引っ込める。人の肌とはこんなに冷たいものだっただろうか。

 はもう一度手を伸ばし、顔の煤を払い、そこにあった小さな擦り傷にそっと光を当てる。結界術と同じように医療忍術も蒼一族では誰もが教えられるものだ。小さな傷ぐらいならあっという間に治せる程度にはも得意だった。

 それを見ていたズイソウが、驚いた表情でを見て、がっと肩を掴んだ。




「おまえ、止血術が使えるのか!?」




 突然言われて、は彼がどうしてそんなに必死になっているのかよく分からなかった。蒼一族では誰もが使える当たり前のものだったからだ。しかし、イズナを含めて驚きと縋るような目が自分に向けられていることに気づき、は紺色の瞳を丸くする。




「え、」

「止血術はチャクラコントロールが難しい!お願いだ、助けてくれ!!」





 手術をする際、誰かが止血術をしながら誰かがメスを持つという方式が一般的だ。もちろんはそんなこと知らないわけだが、医師は切に止血術を出来る忍を求めていた。しかしうちは一族はどうしても攻撃に傾く傾向にあり、細かいチャクラコントロールをおろそかにしがちだ。医療忍者は非常に少なく、今屋敷の中にはズイソウ一人しかいなかった。

 薬師も止血術を会得していない。




「頼む!この通りだ!」





 ズイソウはどうやらがうちは一族が攫ってきた蒼一族の娘だと言うことを知っているようだ。だから助けてくれないことを前提に、それでも助けてくれと必死で頭を下げ、土下座に近い状態でに頼んだ。

 は突然人から土下座され、当たり前に出来ることをやってくれと言われ、正直戸惑う。

 すると、周りにいたうちは一族の者までが、懇願の眼でを見て頭を下げた。イズナも同じように深々と頭を下げる。





「あ、えっと、わたし、大きな傷は見たことがないのですけど。」





 は結局彼らを見て、そういうしか道はなかった。

 蒼一族はほとんど戦わないので、多くの場合日常の酷い怪我、擦り傷切り傷の酷いレベルしか見たことがない。ぱっくりお腹が開いてしまうような、今のような重傷者の処理など当然やったことはなかった。要するに術は知っていてもド素人なのだ。

 助けられるとは限らない。




「ありがとうございます!」




 まだ若いズイソウは、嬉しそうにの手を握り、メスなどの手術道具を隣に広げていく。

 は小さく息を吐き、止血の術を手に纏わせ、傷口全体に広げる。しかし傷がかなり大きく、毒まで含んでいるため再生は非常に難しく、また止血の度合いも非常に悪い。するとズイソウは麻酔が効いた状態のマダラの腹の肉を、少しずつ切り始めた。

 ぞっとする光景に、思わずは目をそらしたくなった。何人かの男が吐き気を堪えて外に出ていく。

 要するに血を凝固させないようにするような毒を中和する方法が分からないため、切り取ってしまおうという算段のようだ。この薬は体の奥まで入るたぐいではなく切り口だけの問題で、確かに切り口をとった傍から、の止血術で止血することが出来ている。しかし、それでも見れた物では無い。誰もが目を背けたくなるような光景だ。

 だが、止血術を使っている限りは見なければならない。は唇をへの字にして耐えるしかなかった。





「大丈夫?」




 イズナが脂汗の出ているの額を手ぬぐいで拭う。

 の止血術は同時に再生医療も含まれているため、かなりのチャクラを使う。それもこれほどの傷となれば消耗はかなりのものだ。マダラの傷の大半が止血し終える頃には、の方がぐったりで、倒れそうな状態になっていた。




「…疲れた。」

「ありがと。お疲れ。」







 イズナがぽんぽんとの背中を労るように軽く叩いた。




「ありがとうございました。」





 頭を畳に叩きつけそうな勢いで、ズイソウはに頭を下げる。経験が浅い彼一人ではおそらくマダラを助けることは出来なかっただろう。




「今回は千手と奈良か、敵は増えるばかりだな。」




 イズナは渋い顔で腕を組んでいた。

 どうやらかなり追い詰められているのはうちは一族のようだ。ましてや頭領のマダラがやられるような事態になれば、うちは一族は瓦解しかねない。それは規模は違えど簡単にでも分かることだった。それでも大怪我をするような戦いになっているのだ。




「今回は二人殺されました。」




 ズイソウは目を伏せて、葬儀の用意をと悔しそうに言う。

 が見た最後の葬儀は父のものだった。棺の中には遺体はなく、泣く妹と弟を自分は泣くことも出来ず必死で支えた。大人は皆気の毒だとは言ってくれたが、特別助けてくれたわけではない。小さな結界の中、家である神社を一人で切り盛りしながら弟妹の面倒を見る単調な日々の中で、父は太陽のようだった。

 よく父を知る人はは父によく似ていると言ったが、おそらく才能と共に父の血を色濃く受け継いだのは、弟だったと思う。

 一族の当主として、明るくて天真爛漫な人だったが、孤独な人だった。





「…あなたも」





 一族の誰よりも強くいなければ、誰かを守らなければと思うことは悪くないのかも知れない。しかし戦いは常に一族の者を殺し、彼を生かすことを望む。彼が長であるが故に。そして沢山のものがなくなっていく。だから、父は死んだのかも知れない。一族のために最後に死ぬことを選んだのかも知れない。

 はそう思うことがあった。


捨て猫