うちは一族の古いしきたりでは、結婚の儀というのは初夜を含めて三日間通い、その何日か後にお披露目をするのが一般的な習わしだった。露顕と呼ばれるそのお披露目を白い着物を着せられて行ったは、終始俯いたままだった。
「様、」
カナが心配してに声をかけるが、は全くの上の空だ。
三日間、夜には痛いや苦しいと声を上げる彼女は、それ以外にマダラが話しかけようが全くの無言で、ほとんど食事に手もつけようとしなかった。三日目の夜にしきたり通りに銀盆にもって出された餅も無理矢理マダラが彼女に食べさせたほどだ。
こんな結婚など望んでいない。彼女の態度のすべてがそう言っていた。
彼女を攫った一族だというのに、今まで明るくうちはの者に話しかけていた彼女の変貌に驚いたのは何もマダラだけではない。誰が話しかけても答えは「はい」か「いいえ」、もしくは黙り。全くと言って良いほど表情を変えないに、皆戸惑っていた。
「幸運な子…、頭領の妻になれるなど。」
うちは一族の女がぼそりと言うが、そんなことはの耳には届かない。
彼女にとって蒼一族の不利益にならないことが一番の幸せであり、マダラに嫁ぐことは蒼一族の不利益を生み出す。今のところ彼女を刃物には近づかせていないし、監視もつけているから問題は起こっていないが、死を望む彼女をどうやって留めるかが、マダラに課せられた大問題だった。
子どもなので舌を噛むなどの方法は考えられないらしい。
首をつるか、はたまた刃物で自分の身を裂くか。方法は限られてはいるが、を自分のもので留めるためには、マダラは彼女を監視し、気をつけるしかなかった。
内輪だけのお披露目が手短に終わり、マダラはを連れて自室に引き下がると、しばらくしてイズナとカナがやってきた。
カナは呆然としているの着替えの手伝いにやってきたのだろう。
几帳を立てて、その影にを導き、仰々しい白い式服を脱がしていく。襟元をはだけさせると胸元には赤い、マダラの唇になぶられた痕がついており、手首にも初夜に繋がれ、こすれた手首の赤い痕が未だに残っていた。
「?」
心配そうにイズナが彼女の名前を呼ぶ。
「…」
は睫を伏せたまま、全くの無言だった。
聞こえてはいるだろう。だが、答える気は全くないらしい。マダラとの行為は慣れていない彼女にとって相当痛いことらしく、疲れていて機嫌が悪いというのもあるのだろう。また、蒼一族の娘としてマダラが彼女を娶ったことで、完全に信頼関係は破局を迎えた。
思いを寄せていることもあり、マダラとしてもにここまで公然とすべてを拒否されれば傷つく。彼女を怒鳴りつけたい衝動に駆られることもあったが、そうしたところで事態が好転することは絶対にないだろう。
この事態を変えるためにはきっと、が蒼一族でないか、マダラがうちは一族でないか、要するにそもそも生まれを変えなければならないことになり、不可能だ。また、どちらもお互いに一族に大切なものを抱えている限り、妥協点はない。
が蒼一族を捨ててうちは一族として生きてくれることは、絶対にないだろう。悲しいが、この状態を甘受する以外に道はなかった。
「は、兄さんが嫌いになったの?」
イズナが悲しそうに尋ねると、はぴくりと紺色の瞳を動かし、のろのろと顔を上げる。
几帳から除くのは何とも言えない表情をしたで、ふっとその不思議な色合いの紺色の瞳をイズナに向けて、小首を傾げた。
「わからない。」
迷いなくはい、と答えると思っていたので、マダラは驚く。
「俺たちが、憎い?」
「うぅん。」
は首を横に振って、違うと示す。
「兄さんと結婚したら、は蒼一族の娘かも知れないけど、家族の一員でもある。」
イズナとてが何に怒っているのか、理解している。
だが、うちは一族の頭領であるマダラがの立場をうちは一族の中で守っていくためには、仕方がないことでもあるのだ。何もうちは一族のためだけではない。
「それじゃ、だめ?」
確かに表向きには蒼一族の娘として娶らなければならなかった。しかし、感情としては家族と思っている。マダラはにその能力をうちは一族のために使えと強要したことはない。政略結婚や利用するためではなくて、守りたいから、そうしたのだ。
それでは、駄目なのだろうかと、イズナは問う。しかしは首を振った。
「…だめだよ。」
震える声が否定を紡ぐ。
「だってわたし、ここにいたら、妹と弟の不利益になっちゃう。」
蒼一族の宗主の萩は、の弟だ。
家族だと言うけれど、はこのまま自分の感情にまかせてここに居続ければ、本当の家族の不利益になるのだ。マダラにはいくらでも次に有利な相手が見つかるだろうが、両親もなく、あまりに小さな一族の当主である萩が生きていくのは難しい。
それは大きく、あまりにも強い一族を持っているうちはの頭領であるマダラが一番分かっているはずだ。
「僅かな不利益でも、だめなんだよ。」
イズナが家族になったと言ってくれるのは嬉しい。もっと違う形ならば、マダラの妻になるのだって嬉しかったのかも知れない。でも、一族を抜きにして家族を思ったとしても、が今選べる選択は、ここで死ぬことだけだった。
「それに、わたし、」
はマダラをちらりと見て、ぎゅっと手を握りしめる。
そうして誤魔化したつもりだったが、着替えを手伝っているカナはが酷く震えていることに気づいたらしく、驚いた顔でを見上げていた。
はいつもは優しかったのに、素知らぬ顔で暴力を振るったマダラが怖いのだ。優しい人だと思っていた。そして自分の勘もそう言っていたのに、彼は手ひどい暴力をに振るったのだ。自分の勘も当てにならないものだとわかり、また、マダラを信じることが出来ないと分かった今、がこのうちは一族によりどころとするものは、ない。
「わたしの居場所なんて、どこにも、ない。」
蒼一族に帰ることはできない。うちは一族にも居場所はない。死以外の選択をする余地なんて、あるのだろうか。
今なら、攫われ、相手の情報を蒼一族の者に伝え、死んでいくものの気持ちが、痛いほどには分かる。
蒼一族の掟では、攫われたものはもう二度と一族に戻ることは出来ない。攫った側の情報を漏らし、死ぬことが求められる。攫われた時点で、もう蒼一族に居場所はないのだ。当然攫った側は敵であり、居場所など作り出せるはずもない。
帰る場所も、行く場所もなくなり、死を選ぶしかない。
同じ運命を歩んだ父は、最後の瞬間どんな心地だったのだろうとは思う。遺体ですら帰ることは許されない、自らの一族を請うて、死ぬ。
この心許ない感覚をどう表現したら良いのか、若くて弱く、覚悟もないには、正直分からなかった
「様は、頭領の妻になられたのです。居場所ならここにあります。」
カナが震えるの手を握り、強く言う。
彼女はが攫われて軟禁されたときの最初の監視役で、が逃亡した際は止められなかったためしばらく任を解かれていたようだが、この間マダラに抱かれてが泣いた時抱きしめてくれた。楽しく話しかけてくれる人はいたが、僅かなりとも本気で自分を気にかけてくれるのは、彼女だけなんかも知れない。
「…貴方は、優しい人ね。でも、皆同族が良いでしょう。」
形の上では妻にしたが、すぐに側室が迎えられるだろう。うちは一族のだ。
彼らはどのみちを利用する気はあっても、本当に大切にする気などありはしない。頭領の妻であったとしても、に居場所などない。
「俺は、そんな気持ちでおまえを娶ったわけではない。」
マダラはを睨み付けて、言う。だがにはそれは言葉だけにしか思えなかった。
ならばに暴力を振るい、嫌がっていると分かっていながら蒼一族の娘として娶り、それがのためとでも言うのだろうか。そういう点では根本的にはマダラのことを信用できていないのかも知れない。信用できたら、この気持ちは変わって、死にたいと思わなかったのだろうか。
それも何やら怖くて、は目を閉じて思案するのをやめた。
どちらかだけなんて選べないから