マダラが帰ってきたのか、襖がさっと開く。

 彼は千手一族との話し合いだったらしく、2日ほど屋敷を空けていた。無事に帰ってきたところを見ると、会合はうまくいったのだろう。とはいえ、もはやにはなんの関係もない話だ。




「おまえの弟と妹に会った。」




 マダラは上着を近くの樋にひっかけながら、話す。そしてそのポケットから小さな手紙を取り出し、それをにつきだした。




「おまえの弟からの手紙だ。」

「いらない、」





 は即答した。

 写輪眼が既に筆跡をまねすることが出来ると知っている。また、はいまもう自分の勘を信じることが出来ない。だから、それが本当に弟から来た物なのかも、判別がつかなかった。





「中くらいは確認しろ。」

「本物かどうか信じられないから、」

「おまえはわかるんだろ?」

「もう、わからないから、」






 どうして、なんの根拠もなくは今まですべてのことを信じてきたんだろう。自分の勘を信じられなくなって、は何もかもが恐ろしくなった。

 自分を世話してくれる人たちや、関わりのある人たちの心や動きが、手に取るように分かっていた。しかし今ではそのことすら怪しい。手に取るように分かっていると思っていたマダラの感情も、すべて偽物だったのだと思う。

 きっと自分は自分の信じたいことを信じて生きてきたのだ。





「ここに来てからの、おまえの勘はすべて当たっていた。」




 マダラは着替えると、布団の上で座り込んでいるの前にあぐらを掻く。手元には侍女にもらってきたのか、小鉢を持っており、ブドウが入っていた。





「嘘、ばっかり。」




 はぽつりと呟いた。

 マダラがあの日に与えた暴力は、あの日から三日間だけだった。どうして皆が当たり前のように暴力を振るわれたに話しかけられるのか、には分からない。戻ってきた限りはまた始まるのかも知れないが、もうそれすらもには関係なかった。

 蒼一族の娘として娶られた今、一族の不利益になることを避けるために、は死ななければならない。

 もうかれこれ数日ほとんと何にも口につけていないため喉が酷く渇いていたが、刃物や紐類を全く与えられていないにとって、絶食だけが唯一の死への道だった。勘も信じられない、一族の不利益にもなるとなれば、死以外にには道は残されていない。





「来い、」 






 腕を強く引かれれば、暴力を思い出して体が震える。





「別に抱くわけじゃない。来い。」




 マダラもの怯えに気づいたのだろう、宥めるように言って自分の方へと引き寄せ、あぐらを掻いている自分の膝へとを乗せる。




「食え、」





 食べていたブドウをマダラはの口の前に突き出す。もう何日も食事をしていないためみずみずしいブドウに食欲がそそられたが、はじっとそれを見ただけで、首を横に振った。








「い、いやっ、」

「食わないと死ぬだろうが。」

「そのためにやってるの。だからいらない。」

「それはおまえの自己満足だ。」






 マダラは優しく宥めるようにの背中を撫でる。





「昨日おまえの妹たちに会ってきた、彼女達おまえを心配してる。」

「信じられない。」

「どうやったら信じる。」

「何も信じられないの!」







 は叫ぶように言って、マダラの膝の上から立ち上がろうとするが、すぐに彼の腕に阻まれた。強く抱きしめられて、優しく背中を撫でられる。







「俺は、おまえが、」

「聞きたくない!」





 は叫んで、マダラの胸板を叩く。だが彼が抱きしめるその腕を放す気配はない。





「俺がおまえにむけた感情は、」

「じゃあどうしてあんな酷いことしたの!?どうしてわたしに暴力振るったの?」






 続きを遮るように、は叫んでいた。





、誤解だ。俺は暴力を振るおうと思ったんじゃない。」





 ただ、必要に駆られて彼女を抱いただけだ。三日三晩はうちは一族のしきたりであり、確かにが暴れたため酷いやり方をしたのは認めるが、愛情が存在しなかったわけではない。彼女を手に入れることが出来て嬉しいと思った気持ちは本当だ。

 しかし、マダラは少し体を離し、の瞳をのぞき込み、あまりに怯えた瞳に言葉を失った。




「すごく、すごく痛かったよ。それは暴力じゃないの?」





 震える声で悲しそうに問われれば返す言葉はない。

 それは少なくとも彼女にとってはただの暴力以外の何もでもなかった。愛情など感じなかったし、怖くて痛くて仕方がなかったのだ。





「わ、わたしは、あなたを、しんじ、」




 は震えて出ない声を無理矢理押し出した。

 信じていたのだ。無邪気に、勘なのかただの夢なのか、それが本当なのかも確かめないままでマダラを信じていた。彼は自分を大切にしてくれる。蒼の娘として利用したりしない。彼は自分のことをただのとしてみてくれているから、彼は自分に酷いことをしたりしないと。

 だから死にもせず、のうのうと生きていたのだ。

 今考えればあまりに浅はかで、馬鹿な考えだ。どうしてもっと早く命を絶ってしまわなかったのだろう。蒼一族の不利益になる前に。







「わたしは、わたしはどこまでいっても、蒼の娘で、あなたはうちはの頭領なの!」







 多分、彼が自分に優しくしてくれたのはずっと蒼の娘で、娶るだけの価値があったからだ。もう二度と彼を信じることは出来ないだろう。二人はどこまでもその関係から逃げ出すことは出来ないし、彼は蒼一族の娘を求めている。






「桜を、見ようと言った。」





 マダラが唐突に口にした。

 それは地平線を見に行ったあの海辺での約束だ。もし自由に生きられるなら、どうしたいかと問うた彼に、は答えた。桜が見たいと。彼が話してくれた薄紅色の花弁で一杯の桜並木が見たいと思った。彼の手を取って、来年に見に行こうと、言ったのだ。






「…見たかった。」 





 は表情を歪め、ぽたぽたと涙をこぼす。 

 水平線を眺めて、ただのとして、彼の隣で同じように並木道を見られるのかも知れないと、あまりに浅はかな夢を見た。





「おまえはその約束を破るのか。」





 マダラの大きな手が、の手首を掴む。それは縋るようでもあったが、は首を横に振って、手を振り払った。





「もうわたしはあなたの手を取れない。」





 あれは、仮定の話だ。

 人は生まれる場所を選ぶことは出来ない。蒼一族として生まれたは蒼一族としての役目と掟を果たして生きていかなければならない。そして彼もまた、それは同じだ。うちは一族を守るために彼はを娶った。その覚悟を否定することはない。

 でも、蒼一族の娘として彼の手を取ることは出来ない。





「俺が、おまえをただの小娘として娶ると言ったら、おまえはついてきたのか。」





 マダラは俯いたまま、尋ねる。





「…嬉しかったと、思うよ。」




 ありもしない仮定だ。もう既に彼は蒼一族の娘としてを娶り、他の一族にも通知しているという。また、彼の立場から考えてただの小娘を娶ることは出来なかっただろう。だから、それは幸せ過ぎる、ありもしない仮定だった。


螺旋を抱く