は妊娠が分かってから少しずつ食事をするようになった。
『子どもには罪はないから、子どもは産む。でも、』
子どもを産んだら、自分は命を絶つと彼女は震える声で、ゆらゆらと揺れる頼りない迷子のような瞳でそう言った。彼女自身自分の選択が正しいのか、計りかねているようだった。はすでに、自分の当たりすぎる勘を信じなくなっていた。
「うぅっ、」
悪阻と言うものが起こったのは妊娠2ヶ月かと言ったところだった。は軽い熱が続いただけでなく、気分も良くないのか、ぐったりして布団に転がっていることが多くなり、マダラの目から衰弱しているように見えた。
大丈夫なのかと医師や、侍女頭のカズナに尋ねたが、そんなものだという。
「、大丈夫か。」
辛そうなの長い紺色の髪をゆっくりと撫でてやる。すると心地が良いのか、僅かに紺色の瞳を細めて見せた。
正直、マダラとはうまくいっていなかった。
子どもが出来たからと言って、マダラのやったことがすべて帳消しになるわけでもなく、また蒼一族だというの立場も変わりはない。またはマダラに酷く怯えるようになっており、へたに近づけば夜中であるにもかかわらず悲鳴を上げることもあった。
不安もあるのか、夜中に突然泣き出すこともある。
女中頭のカズナには寝所を別にしてはどうかとまで言われたが、マダラは何となくそれが酷く危険なことのような気がした。彼女は自分の勘を疑っている上、子どもを産まず、今すぐ死んだ方が良いのでは無いかと疑っている。人がいなくなれば、迷子の子どものように移ろっている彼女心は簡単に答えを変えるのではないかと思った。
妊娠とは心を不安定にさせるものらしい。
ましてやは何も知らぬままに蒼一族として無理矢理マダラに娶られ、行為すらも暴力を振るわれたと感じていた。そして何も知らぬままに子どもが出来た。うちは一族に攫われてからが不安に思うことはたくさんあっただろう。それらがすべてまとまったように、は酷く不安定になっていた。
マダラを信じられないためもあるのだろう。
「、来い。」
ぐったりしているを自分の膝に抱き上げる。されるがままで拒みはしない。
うまくはいっていないが、それでも子どもが出来てからがマダラの手を拒むことはない。たまに暴力を思い出して震えることはあるが、前のように返事が「はい」と「いいえ」だけと言うことはなくなっている。
「今日は何をしていた?」
マダラは子どもをあやすように抱きしめて背中を叩きながら、努めて優しい声で尋ねる。
「今日は、カナが、」
そう言っては床の間に飾られた花を指で示す。そこにあったのは綺麗な寒桜だった。確かにたまに1月に咲くこともあるが、見つけてくることは難しかっただろう。
「どこで見つけてきたんだろうな。」
「わたしが、桜を、みたいって言ったから、」
マダラとの約束をはカナに話したのかも知れない。
カナはにつけられた世話役兼、見張りで、心からを心配して手を尽くしていた。前にどうしてそれ程必死になるのかとマダラが尋ねると、幼い頃妹を亡くしており、を見ていると素直だった妹を思い出してしまうと言っていた。
マダラが依頼や会合でいない時、カナは片時も離れずの傍にいるという。
侍女としては出過ぎたまねだと理解してるが、一人になるとが不安定になることを知っているため、最近ではマダラとカナが交代でを見ているような状態になっていた。
「そうか、少し赤みが強いな。」
マダラはに桜を見せてやると言った。うちはの集落の近くにある、染井吉野の桜並木だ。森の中にある葉桜の山桜しか見たことのないは、薄桃色の花びらだけのそれを楽しみだと笑っていた。
とはいえ、今となればその約束がどれだけ儚く馬鹿な願いだったかが分かる。お互いの立場を忘れていたからこそすることの出来た儚い約束を果たすことが出来るかどうかは、彼女が春まで生きているかにかかっている。
蒼一族の不利益となるのを防ぐために死にたがっていた彼女を今、生かしているのはマダラではなく、お腹の中の小さな命だ。
未だまったくいるのかどうかわからない子どもは、確実に腹の中で成長しているのだという。悪阻もその証で、悪阻が過ぎれば流産の危険も減り、彼女が若いとは言え大丈夫だろうとカズナが言っていた。それまでは、マダラも気を抜けない。
無事お腹の子どもが成長してくれれば、少なくともマダラは約束通り、彼女に桜を見せることが出来るだろう。
「子どもが欲しかったの?」
はか細い声で問う。
確かに頭領であるマダラが一族から子どもを求められるのは当然だ。実際に妻を娶れと長く言われていた。だが、マダラ自身はほしかったかと言われれば、相手であっても別に欲しくなかっただろうと思う。子どもなんて面倒だ。
しかし、今は心から子どもの存在に感謝していた。
「…おまえの妊娠は、嬉しい。」
子供がいるから、は今こうして自分の腕の中で不思議そうにマダラに質問している。こうして生きて、うちは一族の頭領の妻として遇されている。
子どもにもし何かあれば、は迷わず命を絶つだろう。
この子どもの無事の成長は少なくとも、彼女の命を10ヶ月は延ばしてくれる。この冬を超えられれば、春には萩との会合が待っている。そこで、蒼一族の宗主である萩自身にを止めてもらうしかあるまい。ただ冬を越してしまわなければ、そのチャンスすらもないのだ。
「どうした?」
腕の中のを見下ろすと、紺色の瞳に涙をためてじっとマダラを見上げていた。
「…」
何かを思い出してか、それとも蒼一族への罪悪感なのか、はこうしてよく泣き出す。
マダラが彼女との不和を産むまでの一年ほど、互いに仲良くやってきたし、マダラに攫われたにもかかわらず、は一度も泣いたことがなく、いつも笑っていた。マダラは最初が泣くことに、驚いて慌てふためいたが、カナは年相応に本来なら普通のことだと背中を抱いていた。
そう、本当ならばうちは一族に対して怖いと思っても仕方がないし、不安だと泣いていてもなんのおかしさもないのだ。
まだ彼女は15歳であり、マダラとてその年頃には悔しさのあまり泣くことだってあった。マダラの方がずっと残酷なものを見てきたし、戦いに対しても幼い頃から慣れていた。むしろ穏やかに育ってきたはずの彼女が突然身の危険を感じる場所に放りされて、泣かないことの方がおかしいのだ。
しかし、マダラにはかけてやるなんの言葉も思いつかない。
「まだ、わからないな。」
マダラはの腹に着物の上からそっと触れる。
薄くて膨らみのない腹は、まだ子供がいるとは正直思えない。彼女の体も痩せてしまっているため、柔らかくもなくて、妊婦と言われてもまだよくわからなかった。それでも医師の調べでは、間違いないそうだ。
「育ってくれ。」
まだ体も女として整っていない年頃で、カズナもここ数ヶ月が勝負だと言っていた。
子どもが成長してくれるかどうかで、と、そしてマダラが彼女と歩んでいけるかどうかという、重要な未来が決まる。戦いならばいくらでも自分で戦局を変えることはできるが、こればかりはどうしようもない。
ただ、に優しくして、願うしかないのだ。
「マダラ、さん…」
が小さな声で、久々に自分の名前を呼んで身を寄せてくる。それが嬉しくて、マダラはの小さな体を強く抱きしめた。
「寒くないか。」
昨日から本格的に雪が降り出している。あと二日は降り続くだろうから、しばらくすれば雪下ろしとて必要だ。
マダラが問うと、は首を横に振った。
「温かい。」
震える声でそう言って目を閉じたを見下ろし、マダラも願うように目を閉じた。
移ろう心に理などきかぬ