が谷の通りが危険だ、絶対に通るなと必死で言った二週間後、マダラは突然慌てた様子で部下たちと共に帰ってきて、に言った。
「谷を視れるか、」
今日、マダラたちはかぐや一族に対する襲撃に行っていたはずだ。切羽詰まった様子にただならぬ物を感じて、は驚いた。
またマダラが自分の部下である男衆を連れての部屋を訪れるのは初めてだった。
「うん。視れるよ。」
今の谷の状況を視るのはそれ程難しいことではないし、ここからそれ程遠くはない。
二週間ほど前に視た谷は、今日は人がいた。うちは一族ではほとんど見かけない鮮やかな銀色の髪の男が、他の面々と何かを話し合っている。彼らの足下にはいくつかの棺があり、一つは明らかに女性用のサイズだった。しかも仰々しく大きな花が掲げられている。
周りには戦いの痕跡と思しきものが広がっていたが、死体も何もない。
「…彼らは、」
谷を治める原住民だろうか、が前回に谷を見た時、あったのはせいぜい小さな民家と、貧しい農村くらいの物だった。
だが、谷に今いる銀髪の男の着物はの目から見ても非常に立派な物で、一見して高価だと分かる。光によって青く光る銀色の布地に、光の当たり加減によって家紋が浮かび上がる。はそれを透先眼を凝らして捉えようとした。
衣を翻す彼の背中が、ちらりと見える。
「一枚羽の、家紋…?」
は小さく呟いたが、全く見覚えのない家紋だった。
一枚の羽に、○を重ねたような家紋だ。家紋は基本的に一族の性質と歴史を示す場合が多いため、戦いをよくするうちは一族にとってそれは重要な情報源だったが、それを蒼一族であまり外に出たことのないはしらない。
「炎か、」
低く、マダラが言って、舌打ちをする。それに男衆も渋い顔をした。
「炎って、あの神の系譜って言われてる?」
「あぁ。」
谷がある山の反対側の斜面からは広大な炎一族の領域が広がっている。炎一族は炎を司る血継限界を持ち、宗主を中心にかなり大きな一族を持っているが、実際の人数などに関してはよく分かっていない。ただ、少なくとも200人は超しており、山の反対側に広大な農地と小作人を抱え、遠く湖の近くには聖地でもある不知火という商業都市を持つ、宗主を領主とする大名的な面も持ち合わせていた。
ただ領地の意識が非常に強く、入ってきた人間は問答無用で殺すことで有名だ。谷もおそらく炎一族の領域だったのだろう。
「…生死は。」
マダラは酷く重々しい声で、低く尋ねる。が今の状況を見る限り、谷には今、どこにもうちは一族の人間はいない。あるのは棺だけだ。棺の中に入っているのも、どうやらうちは一族の人間ではなさそうだった。
「わからないけど…イカダさんだけが、麓に出てるみたい。」
は谷辺りを見渡し、唯一イカダのみが生き残っているのを見つけた。彼は怪我はしているようだが、どうやら自力で谷から下りて来たようだ。
「他の面々は?」
「今のところ、いない、」
「遺体は?」
「遺体でも見つけられるはずなんだけど…」
の透先眼は一定の情報さえあれば見つけることが可能だ。見つけられないのは、物質すらもすべて消滅した場合と、見つけられる一定の情報と距離を満たしていない時だ。しかし、少なくとも谷は見えているので距離に問題はないはずだというのに、全く見えない。
どちらにしても、それは良い知らせではない。そのためはそのことを口に出来なかった。
「兄さん、ひとまずイカダの保護だけは」
「あぁ、そうだな。人を出せ。」
「麓の茶屋の傍にいる。かなり、怯えているみたい。」
「わかったよ。」
マダラの命令にが細かい場所を付け足すと、イズナは神妙な顔つきで頷いた。一人でも生きているなら事情を聞くことも出来るし、幸いだ。
「様の言葉が、正しかったと言うことか。」
マダラの後ろにいた男の一人が、目を伏せてため息をつく。
「…もっと止めておくべきだった。」
も後悔のあまりそう口にするしかなかった。
二週間前の集会での意見に同意せずに谷の道を通ると言った老人たちをは出過ぎたまねだと知りながらも何度も止めた。あの後もマダラに言って、絶対にあの谷は良くないと何度も言ったにもかかわらず、マダラも止められず、数人がそこを通ってかぐや一族の襲撃に行こうとしたのだという。
まさか全員皆殺しにされるなどとは思っていなかった。
「炎は俺たちと同じで名の通り火遁を全員が持ってる、」
「だが、それだけで歯が立たぬなど…」
男衆は戸惑いと恐怖の入り交じった声音で深いため息をついた。
イカダが生きていたとしても、少なくとも5人のうちは一族の人間が消息を絶ったということになる。もともと谷に行った者たちは何かあって使いものにならないだろうとは予想していたので、かぐや一族を襲う際に彼らが来なくても別に問題ない人数で行っていた。
しかし、の忠告があったとはいえ、怪我はしても全員が殺されるなど予想外も良いところだ。うちは一族にとっても大きな打撃だ。
「他の一族の手助けは得られるのか…」
一人の男が望み薄ながらも口にする。
「同盟は、炎と関わると争いごとが大きくなると関わらない所存だ。奴らを襲うのはリスクが大きすぎる。そして奴らはこちらが手を出さなければ何もしてこない。」
マダラは男に淡々と言った。
炎一族の財力、経済力は恐ろしい。へたに敵に回すと武力だけでなく、そちらからの根回しもされる可能性が高いため、先日組んだ忍の穏やかな休戦協定の中での話し合いでは、関わらないと言うことになっていた。
千手の柱間などがかなり説得して休戦協定への参加を呼びかけたようだが、必要ないと拒否されたそうだ。
彼らは経済的にも、武力としても十分な物を持ち、他の一族を必要としていない。関わり合いを望んでいないという点では、結界を張って引きこもっていた蒼一族と似ている。だが、数が少なく希少な能力を持ち合わせている蒼が千手との同盟や休戦をやむなしとしたのに対し、十分な力を持つ炎にとって同盟は煩わしいだけなのだ。
「手の出しようがない。」
マダラは悔しそうにぐっと拳を握りしめる。はそれを見て、目を伏せた。
「…遺族に通達しろ。」
マダラは短く一言だけそう言って、手を払って他の面々に部屋を辞するように示す。
ここはあくまでとマダラの私室だ。男衆がぞろぞろ本来なら入ってくるべき場所ではないし、マダラもいれない。ただ、事態があまりに切迫していたからだ。
皆が沈んだ表情で部屋を辞すると、彼はの前にあった座布団の上に腰を下ろし、あぐらを掻いた膝の上に肘を置いて額に手を当てる。項垂れたその姿を見て、も酷く悲しくなった。
「マダラさん、」
はそっと彼に近づいて、彼の頭をそっと抱く。
「俺の、判断ミスだ。」
谷の道を行くと言った者たちを、マダラは強く止めなかった。は必死で止めていたが、止めても無駄だと思っていたし、が今までにした予言は大怪我までで、人死にまではなかったからだ。しかし、こうして多くの人間が死んだのは実で、マダラが命じて止めなかったからだ。
「マダラさん、」
は優しく、そっと彼の髪を撫でる。
例え意見は違っても、死んだ彼らとマダラは同じうちは一族で、その死を悼むのは当然のことだろう。ならば、はどうなのだろうか。
彼を抱きながら、もまた小さな疑問を抱えていた。
さしのべた手の行き先