「あ、来る、」





 がぽつりと言い出したのは寄り合いの最中だった。

 寄り合いではイカダに事情を詳しく聞いた上で炎一族に対する対応を話し合うというのが主旨だったが、がそれを唐突に破った。マダラはもとより全員がに目を向ける。





「何がだ?」

「結界の近くに、いる。」







 水色に変わった瞳で視て、は珍しく少し早口で言う。





「炎一族、結界を破る気みたい。」

「何?だが、そんなこと…」






 マダラは目を開いて、うちは一族の集会に参加していた男衆と顔を見合わせる。

 うちは一族の集落の周りに張られている結界は争いを旨としている一族だけに強固だ。もちろん蒼一族ほどではないが、それでも千手一族にも破られなかったほどの結界を持つ。ましてやうちは一族の本拠地だ。

 しかしはマダラの思案を察してか、もしくは生来優れたその勘がそう告げるのか、は横に首を振った。






「破られる。」








 真剣な声音が聞こえた次の瞬間、弾けるような音がした。それは結界の崩壊を意味する。





「…おまえは奥へ、アカルの所に戻れ。アスカ、おまえが護衛しろ。良いな。」





 結界が破ったとなれば、間違いなく炎はうちはを襲うつもりなのだろう。もしかするとが視た時、あちらにも犠牲者がいたと言っていた。イカダの話では最初に襲ってきたのは炎だという話だったが、殺された報復に来たのかも知れない。

 あちらは戦力も経済力も抱負だ。十分に考えられる。






「わかった。」






 は初めてのことに震える声で、何とか気丈にそう言って見せた。





様、」





 アスカが心配そうにマダラを見ている彼女にそう言って、奥へと連れて行く。それを見送りながら、マダラはため息をついた。


































 襲撃を受ければ、戦えない老人や一部の女たちは襲われないように、また人質にならないように隠れるのが常らしかった。畳の下にある避難所のような場所は人でごった返していたが、この間首になった侍女頭のカズナがいて、避難所の前で仁王立ちをしていた。







「ここは、うちは一族が入るための避難所です!」







 カズナはを睨み付けて言った。





「カズナ様、それは流石に、」






 何人かの女がカズナの言い分があまりにも酷いと思ったのか、止めにかかる。しかし、彼女はそれを振り払った。酷い剣幕の彼女はを全く中へと入れるつもりはないらしい。






「おまえ、こんなことをしてただですむと思っているのか。マダラ様がなんとおっしゃるか、」





 アスカはカズナを罵り、彼女をどかせようとする。カズナはそんな彼に遠慮なく思いきり蹴りを入れた。流石に不意打ちで蹴りを入れられたアスカは宙を舞い、他の女たちも悲鳴を上げる。





「アスカ!」





 は慌てて彼の元へと歩み寄った。

 状態を確認すると、どうやら落ちたときに頭を打ったらしいが、ひとまず怪我はないようだった。少し安堵しながらも、はカズナを見る。彼女は侮蔑と嫌悪の入り交じった目でを見ていた。

 先日、炎一族からの襲撃を受け、唯一生き残ったイカダが帰ってきた折、の私室まで入ってきてを罵った。炎からの襲撃を受けたのはおまえのせいだ。おまえは知っていたのに曖昧に誤魔化し、我々を谷へと誘ったと罵られたのだ。

 勝手に私室まで入られたことにも驚いたが、真っ向から殺意を向けられ、流石に体が震えたのを覚えている。それでも娘が近くにいたため、ぐっと押し黙って耐えた。


 とはいえ、それはマダラの耳に入った。とマダラは寝室を分けてはいないし、私室も同じだ。彼はマダラの部屋に勝手に踏み込んだと言うことにもなる。彼がどこから入る許可を得たのか、がどうして一人で私室にいると知っていたのかが問題になったのだ。

 イカダを通したのは侍女頭で、彼の妻でもあったカズナだった。それがマダラの逆鱗に触れ、彼女は侍女頭の地位を追われ、首となった。






「おまえなどがいるから、私が職を失った!おまえがいるから、頭領に娘を嫁がす事も出来なくなった!!」









 カズナは皺だらけの顔を険しく歪め、緋色の瞳でを映す。

 夫がうちは一族の中の有力者であるカズナにとって、年頃の娘を頭領に嫁がせることはそれ程難しい選択ではなかったはずだった。それを望んでいた。


 しかしが来ることによって状況は一変した。


 は希少な血継限界を持つ蒼一族の娘であり、千手一族に嫁いだ妹がいる。最近出来た忍の一族同士の休戦協定の事を考えれば、彼女はうちは一族が持つ唯一の千手や蒼一族へのパイプ役であり、どんなに男を産めずとも、離縁は出来ない。

 死ぬまで正妻にとどまり続けるのだ。






「頭領をたぶらかし、若い男を惑わす化け物が!」






 若い男は徐々にだがの能力を知り、その鋭すぎる八割当たる蒼一族特有の勘を信奉するものも多い。だがそのおとぎ話のような力はうちは一族の古い伝統の中に生きてきたカズナにとっては、化け物のような力にしか思えなかった。

 マダラはを非常に尊重している。浮気などは全くしないし、同族の妾を薦められても絶対にとることはない。それは彼女の機嫌を損ねれば千手とのパイプを失うことになりかねないからだ。

 それも、カズナにとってはうちは一族が他の一族に跪いているように見えて、気に入らなかった。







「…」









 は、真っ向から向けられる悪意と憎悪に黙り込むしかなかった。

 あまりの剣幕を見て、他の女たちも呆然としている。またアスカが殴られたことで、彼女がなんでもやるように見えたらしく、言葉を噤む。

 だが、はそういうわけにはいかない。





「…わかった。わたしは、確かにうちは一族の娘ではないよ。」






 さらりと、長い紺色の髪が揺れる。それはうちは一族の黒髪とは全く違う、淡くて夜闇を映す、蒼一族特有の色だ。どこにいたとしても、が蒼一族出身である事は変わりようがない。

 そのことを、生まれて初めては憎んだ。勝手に溢れてくる涙を堪えて、それでも、と必死で言葉を絞り出す。





「でも、この子は、違うから、」





 はぎゅっと抱えているアカルを見せる。

 とは似ても似つかぬ、漆黒の髪と瞳を持つ娘。マダラにそっくりのこの子供は、蒼一族の娘ではない。髪の色も目の色も、うちは一族の者だ。






「わたしは良いから、この子を入れてください、」






 避難所には入れなければ、何かあったときに対応仕切れない。アスカが蹴られ、気を失っている状況で、は一人で自分の身を守れないのに、子供まで守れるはずがない。

 争いごとなどわからず、炎一族に襲われていることすらもわかっていないアカルは、厚手の着物を着たまますやすやと寝息を立てていた。白い肌はに似ているとマダラは笑ってくれたけれど、ほとんどマダラそっくりの娘に、心から感謝する。

 では、娘を一人で守れない。







「娘の身柄を、父親が持つのは、当然でしょう?」







 この時代、娘の処遇を決めるのはいつも父親だ。そして例え他家から嫁いだ嫁の子供だったとしても、子供をどうするかを決めるのは父親であるマダラだ。娘は父方の一族であるうちは一族に属するし、蒼一族とは関係ない。

 尋ねるように言うが、カズナは全く動かない。だが、それでも後ろにいた女の一人が、慌てた様子で出てきた。







「そうよ。この子はうちはの子よ。」







 少し精悍な顔つきを緊張させて、彼女は言ってから、の手からアカルを受け取ろうと出てくる。






「ありが、とう、」





 は泣きそうになりながらも何とかアカルを彼女に渡した。






「アスカも、彼もうちは一族だから、入れてあげて、」

「…わかったわ、」






 後ろに倒れているアスカのことを言うと、彼女は目を伏せて、「ごめんなさい、兄さんが、」と頷いた。どうやら彼女はアスカの妹らしい。

 アスカはの護衛としていつも良くしてくれていた。もしかすると、彼女も兄からのことを聞いていたのかも知れない。そしてだからこそ、カズナに殴られたり蹴られたりすること覚悟の上で出てきてアカルを預かってくれたのだろう。






「ありがとう、」






 は声を震わせて、彼女の手を取り、礼を言う。すると彼女は目じりを下げて、泣きそうな表情で口を開いて後ろを見た。






「この方は、うちは一族ではないけれど、この子の母親だわ。」






 彼女が言うと、何人かのうちは一族の女が、カズナを押しどけるようにして、の方へと出てくる。だが、その決断はあまりにも遅すぎるものだった。







部外者