「悪いな、窮屈な思いをさせて、」
宗主の弟である風雪は僅かに目じりを下げて、に謝ったが、は炎一族邸では完全に客人のように快適に過ごさせて貰っていた。
確かに一応勝手に外に出てはいけないと言われているが、が軟禁されている部屋は非常に広く快適ですべてが揃っているし、毎日美味しいご飯が侍女によって運ばれてくる。着物も侍女達が毎日違う物を置いて行ってくれるし、着替えも手伝ってくれる。
何か必要な物があればなんでも用意してくれると言うし、頼めば散歩などもさせてくれる。
炎一族の何人かを殺したうちは一族の頭領の妻だというのに炎一族のものたちはみんなに同情的で、侮蔑の目を向けられることも疎まれることもない。本当に客人として迎えられているような気軽さだった。
正直言うと、うちは一族の屋敷よりも快適なくらいだ。
「いえいえ、良くして戴いていますよ。」
「敬語は良い。酷く若そうな顔をしているがどうせ年齢も似たようなものだろう?」
「…貴方の方が年上だとは思いますけど、甘えさせて貰おう、かな。」
は苦笑してしまった。
炎一族は驚くほどに優しく、比較的珍しい客人としてを好意的に受け入れたようだ。元はうちは一族が首飾りを取ったことが悪いのだ。ましてや人質の価値がないのにわざわざ出てきてしまっただけに、この待遇は逆に申し訳ない。
が目じりを下げていると、風雪はの前に腰を下ろした。着物の袖を払う姿は、優雅で美しい。
彼は銀色の髪に灰青色の瞳の綺麗な人で、美貌と言うに等しい顔立ちをしていた。長い銀色の睫に彩られた瞳は物憂げで、高貴な顔立ちというのは分からないし、あまり顔の善し悪しが気にならないですら、どきりとするときがあるほどだった。
また高そうな良い仕立ての着物が、彼にはよく似合う。
「豊かなんだね。炎一族は。」
は思わず彼を見ながらそう呟いてしまった。
うちは一族の数倍はありそうな広い屋敷にたくさんの豪華な着物や調度品。ここへと連れてこられるときに見た道には沢山の市が立ち、それは1日の市ではなく、毎日変わることなくそこにあり続けるのだという。
蒼一族よりうちは一族の方が遙かに規模が大きく大概豊かでお金も持っていると思ってきたが、炎一族は一段違っていて、規模の、金銭的豊かさもきっとうちは一族を上回るのだろう。当然、蒼一族とは比べものにもならない。
「あぁ、我々は化け物と言われる程の特別な血継限界で、民を守ってきた。」
宗主を中心に、炎一族は農地から商業、そして領域の警備までをすべて行ってきた。戦国の時代で唯一穏やかに暮らしていけるのは炎一族だけだと言われる程に。そのため彼らが持つ商業都市は不知火と言われるのだ。
「どこもみんな大変だね。」
たち蒼一族は忍たちの休戦協定と同盟に参加するまで、結界の中に引きこもり、一切の争いごとに感化しようとはしなかった。外界との関わりをすべて立ってきたのだ。
対して炎一族は蒼一族とは違い、自由な商業を許しつつ、完全に引きこもるのではなく領域に攻撃をしてくる人間だけを倒し、外界との繋がりを保ちながらも自分たちを守ると言う難しいバランスを、特別な血継限界と力で保ってきた。
戦いは双方が失う物が多く、簡単ではない。
「蒼一族は、休戦協定に参加したが、全く違うそうだな。政略結婚か?」
問われて、は少し考える。
確かに彼とが結婚した理由はが蒼一族の娘だったからで、致し方がない事情だった。だが、彼に思いを寄せていたのはその前からで、自分を攫った敵だと分かっていても、敵だとは思えなかったし、好きになる気持ちを止められなかった。
「わたしは夫が好きだし、夫もわたしを大切にしてくれるけど…、駄目なんだろう。」
「駄目なのか?」
「政略的な、問題だから、かな、」
もしもとマダラがふたりでやっていくならば、なんの問題もなかったと思う。彼は自分を大切にしてくれるし、も彼を支えるためになんだって努力する。だが、うちは一族という一つの一族の中で生きていくためには、は決定的に足りない。
「わたしはうちは一族ではない、から。」
うちは一族は長らく他家から嫁を迎えたこともなく、戦いだけに明け暮れてきた。遠目という副産物の目を持つは作戦立案には有効的だが実質的な戦いには役立たずだ。結界に閉じこもってきたが出来るのは結界術と医療忍術だけで、戦えるはずもない。
は必要な存在だ。蒼一族の能力を持ち、休戦協定の証でもある。妹は千手一族に嫁いでいるからなおさらだ。
だが同時にはうちは一族にとっては戦いに役に立たない嫁であり、戦いを第一義と考えるうちは一族にとっては価値がないのだ。
「避難所に入ろうとした時も、わたしはうちは一族じゃないから、入れてもらえなかったの。」
「それは…」
「いろいろ言われることも、夫はとてもわたしを大切にしてくれるし、そういう時はこちらが怖いくらい怒ってくれるけど、それもたまに怖くて、」
マダラはこちらが恐ろしくなるほど、をないがしろにする人間に対して静かに、それでいて苛烈に激高する。一度を何も出来ないと直接罵った護衛がいたが、彼はマダラによって腕を切り取られた。そのマダラの苛烈さが、うちは一族の中でのマダラの立場を悪くするのではないかと怖くなる。
彼には彼の立場がある。それが壊されてしまうことが、にとって一番心配だった。
「子供は?」
「女の子が。それも彼は女の子で十分だと言ってくれる、本当に、でも、わたしが、」
「それを満足に思えない?」
「…そう。幸せなはずなのに、とても悲しい。」
マダラに愛されて、大切にされて、他の雑音など聞かなければ良い。彼は娘が生まれて嬉しいと言ってくれた。戦えないを問題だと思っていない。十分だと言ってくれる。だから、問題などないはずなのだ。問題に思ってはいけない。
なのに、心が徐々に沈んでいく。
「炎一族では女でも宗主になるからな。そうしてしまえば良い。」
「でも、うちは一族は基本的にかなり男の人が強い一族なんだと、思う。」
古い慣習などもすべて残っている。そして傾向として男性が中心となる忍社会の中でも一際その傾向の強い一族だった。
そもそも予言の力を持つ蒼一族の小娘に過ぎないの言うことを聞けという方が無理なのかも知れない。
「兄も言っていたことだが、おまえは帰りたいか?」
風雪は静かにの愚痴を聞いていたが、灰青色の瞳を伏せて問うた。
聞く限り希少な能力だからと言ってが丁重な扱いをうちは一族の中で受けているとは風雪には思えない。夫はしっかりしているのだろうが、他人の意見というのは総じて代えがたい。
これからも休戦協定が出来たとは言え戦いはある。そして襲撃を受けることもあるだろう。今回炎一族は全くと言って良いほどを傷つける気は無かったし、殺す気もなかったが、蒼一族の人間だからと避難所に入れてもらえないとなれば、普通は殺されているか、攫われて本気で利用されていただろう。
「…娘が、わたしと一緒じゃなければ、避難所に入れてもらえたの。」
は声を震わせて、小さな笑みを零す。
蒼一族には乳母をつける習慣がなかったし、子供を手放したくなくて、は手元で娘のアカルを育ててきた。だが、それは間違いだったのだろう。母親のとともにいれば、避難所に入れてもらえない。情けない話だが、他の人に託さなければ、娘すらも避難所に入れてもらえなかった。
娘が夫とそっくりの顔立ちである事、そして漆黒の髪であったことを心から神に感謝する。
「あの子のためには、私がいない方が良いのかも知れない。」
少なくともマダラは娘を粗雑に扱ったりしないし、“マダラの娘”であれば娘に問題はないだろう。問題は“の娘”である事だ。
「…子供に、母親は必要なものだ。」
風雪は悲しそうに灰青色の瞳を細める。
「この間殺された、首飾りを持っていた妾は、東宮の母親だった。あれは伴侶の証なんだ。」
うちは一族によって殺された妾は、谷近くの集落に住んでいた身分の低い女だったが、宗主であった白磁の寵愛を受けて、東宮を儲けた。まだ東宮は3歳だ。今はともかく、大人になればおそらく母のことは覚えてはいないだろう。
例え首飾りを取り戻したところで、東宮の母親は帰って来ない。
「…」
は幼い娘の顔を思い出す無事ならば侍女のカナが相手をしてくれているだろうが、泣いているだろうか。
それを考えればの心は酷く重くなった。
悲しみの海