叩きつけるような泣き声に、マダラはうとうとしていたが、眉を寄せて腕の中にいた娘を見やる。どうやら娘を座布団に無意識に下ろそうとして、娘の方が起きたらしい。最近夜泣きの酷い娘は、どうやら抱かれるのは好きだが、下ろされるのは嫌らしく、座布団に寝かせると途端に泣き出す。







「何事?」 








 イズナが廊下からやってきて、不思議そうな顔をして部屋をのぞき込む。







「下ろしたら泣いた。」

「最近、やっぱりご機嫌斜めだよね。」

「あぁ、母親がいないからだろう。」





 幼くても分かるのだろう。が攫われてから、三日ほどは火がつくほど泣き、また泣き疲れては寝る、起きて泣くを繰り返していた。夜はマダラではなく侍女のカナが見ているが、夜泣きも悪化したし、また昼にカナが連れて行こうとすると火がついたように泣く。

 そのため、昼は屋敷にいるなら大体マダラが見るようにしていた。これでもまだ泣かない方だというのだから、カナの苦労は並大抵ではないだろう。





「俺に懐いてるとか言っていたが、母親よりも懐くなんて事はないということだな。」






 マダラはぐずっている娘の背中を叩いてあやしながら、小さく息を吐いた。

 はよく、アカルは父親であるマダラにとても懐いていると言っていたが、それは母親が傍にいたからだろう。なんだかんだ言ってもこの年頃の子供は母親を恋しがって当然だ。

 後から護衛をしていたアスカの妹であるカワチに聞いたところによると、は娘だけで良いから避難所に入れてくれと懇願したそうだ。それを見たカワチがマダラの娘のアカルを受け取ったのと同時に、避難所にを入れるようにカズナに言ったが、彼女は興奮しており話にならなかったらしい。


 は娘のアカルを手放すことを嫌っている。どれほどに心を痛めただろう。それに、まだ生後5ヶ月とはいえ、アカルは去って行く母の背中を見たことになる。

 そう思えば娘が情緒不安定になるのは仕方がないと言えた。






はしきりにアカルが俺に似て良かったと言っていたが、そうでなければ受け入れられないと知っていたのかも知れない」






 マダラは娘の漆黒の髪を撫でながら、息を吐く。まだ赤子だというのに随分しっかりした髪の毛の娘の顔立ちは、確かにマダラに似ているのかも知れない。だが、がしきりにそのことを喜んだのは、あの鋭い勘で、うちは一族の本質を捉えていたのかも知れない。

 他者を受け入れる寛容さのない、うちは一族自体を。





「俺は少し楽観的だったのかも知れないな。」





 どうにかなる、と、思っていた。

 は名実共に非常に役立つ能力を持ち、親族もしっかりしており、血筋的にも千手と縁続きになるという点でも重要だ。しかしうちは一族にとっての価値は強さであり、能力はともかく、血筋も何もかも関係はなかった。

 そう言ったことをよく知る男たちはともかく、女は特に理解していなかったし、マダラもわざわざ女どもを呼んで説明するようなことはなかった。侍女頭のカズナがを嫌っていることは百も承知だったが、マダラもよく分からない奥向きのことに触れるのを躊躇した。

 カズナはマダラの母の時代から奥向きを仕切っていたし、口うるさく争うのは面倒だった。母が亡くなってからも妹や姉はいなかったため、奥向きの支配者はカズナだったため、侍女もカズナの斡旋が多かった。

 それが結果的にを軽んじられる原因となったのかも知れない。





 ――――――――――――――わたしの味方は、貴女とマダラさんだけ






 アカルを抱きながらそう呟いていた彼女はどんなに心細かっただろうか。

 自分が歓迎されていないのは理解していただろう。うちは一族の中で里帰りすらも許されず、手紙も制限されながら、マダラだけを頼りに暮らす生活は、決して心地よかったはずもない。

 それでも彼女がマダラに愚痴を漏らすことはなかった。

 戦いの仕方を教えれば彼女はそれを熱心に繰り返し復習していたし、役に立てることならなんだって協力してくれた。マダラに娘を与えてくれた。


 なのに、マダラがに与えてやれた物はなんだったのだろう。







「蒼一族からの連絡は?」








 イズナはわざと話をそらした。





「…あった。だが、蒼一族は交渉の表に、うちは一族をたてたがってはいない。」






 炎一族の要求は首飾りを返せ、それだけだ。でないと経済力で通商経路をおさえるぞと脅してきている。そこにを殺すなどと言った脅しは入っていない。それはが既に人質としてうちは一族に対するカードになり得ないと思った上で、返す気も無ければ、殺す気もないと言うことだ。

 蒼一族の話では、は殺されることなくかなり丁重に扱われているらしい。それを承知しているから蒼一族も焦らない。

 当主の萩はともかく、元々うちは一族がを力尽くで奪ったこともあり、当主の姉であるが嫁ぐに当たっては反対意見も多かったという。今回のことで萩も今回の一件のすべてを過去視することで、姉がうちは一族で良い扱いを受けていないと確認しただろう。



 だからこそ、うちは一族を信用していないし、蒼一族は炎一族から直接を自分の一族に戻す可能性もある。

 萩はの弟だ。生まれてすぐに母を亡くした萩にとって、4つ年上の姉は母に等しい存在だったと聞いた。彼女が不幸になるならば、一族をかけても姉を取り戻しにかかるかも知れない。そう思わせる物が、あの無邪気で聡い萩にはあった。

 ついでに萩のもう一人の姉であり、千手一族に嫁いだ愁もマダラを歓迎していない、と言うよりもむしろ誰よりも嫌っていた。





「仮にを取り戻せても、取り返すのは難しいかもってことかぁ。」






 イズナは少し渋い顔をして、腰に手を当てた。それは簡単なことではないと分かっている。

 形式上結婚しているのは間違いないし、子供までいるが、出だしは蒼一族からうちは一族が無理矢理を攫ったところから始まっており、それを違う形で蒼一族が取り返したならば文句は言えない。元々同族婚が普通の蒼一族にとって、再婚もそれ程難しくはないだろう。

 それは蒼一族を皆殺しにしたくなるようなおぞましい想像だった。





「千手に働きかけては見るが、」





 千手はなんだかんだ言ってもうちは一族との関係を休戦協定継続のためにも重視しようとしている。だからこそを自らの一族に取り戻したがっている蒼一族を説得したのだ。少なくともと愁は仲の良い姉妹で、二人がそれぞれ千手とうちはに嫁いでいれば、親族としての繋がりを保てる。

 とはいえ、今回の一件は要するに二度目となる。蒼一族に妥協を望むのは望み薄だろう。ましてや今回は千手一族にはの妹・愁が嫁いでいる。柱間が長らくのマダラの知人(友人と認めるのは嫌だ)であっても、簡単にマダラに手を貸してくれるとは思えなかった。

 は、どれくらい帰りたいと思ってくれているか、うちは一族に幻滅していることに間違いはないだろう。だからこそ、マダラはが帰りたいと言ってくれることに自信が持てなかった。






「本当に、おまえだけが頼りだな。アカル、」






 娘の頬を人差し指でつつくと、それを掴んでアカルは口に入れようとした。離乳食を始める時期のせいか、最近なんでも口に入れたがる。

 を無理矢理抱き、妻にした時も、を繋ぎ止めたのは腹の中にいたアカルだった。

 アカルを心から可愛がっているが、アカルだけは見捨てないと、それだけがマダラがすがれる唯一のものだ。






「結局、何も変わっていないな。」







 思いを通わせても、結局の所、一年半前と、すがる物も何も変わっていないというのは、実に情けない話だ。

 そこには確かにとかわした愛情も、夜もあったはずなのに全く自信が持てない。





「…は、」

「とと、」





 帰って来ないかも知れないな、とマダラが言おうとした時、ぐいっと小さな手に襟を引っ張られた。




「え?」





 イズナも一瞬意味が分からなかったのか、目を丸くしてマダラの腕の中にいる姪御を見る。





「とと、」





 漆黒の瞳でマダラを見て、嬉しそうに笑って見せる。その目を細める様がによく似ていて、思わずマダラは泣きそうになった。






「…もう、話せるんだね。」






 イズナも破顔して、アカルの頭を撫でる。






「そうだな。5ヶ月で話すとは、随分と賢い。」 






 何人も赤ん坊は見てきたが、5ヶ月で話す子供はなかなかいない。将来有望だと言えるだろう。

 マダラは自分の膝の上に立ってつかまり立ちをして自分を見上げてくる娘の額をそっと撫でた。手触りの良い漆黒の髪は随分と太いし、目もつり上がっているような気がするが、目を細めて笑えばによく似ている。





「俺が欲張りなだけかも知れないな。」






 は十分な物をマダラに与えてくれた。そう、何よりもかけがえのない娘を与えてくれた。なのにマダラがに与えたのは重責と辛さだけだったのかも知れない。

 だが、それでも満足が出来ない、のすべてを自分の傍に置いておきたいと思っている自分がどれだけ浅ましいか、マダラは百も承知だった。








純然たる愛情